マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

ヤジロウの3

2008-12-08 17:17:43 | インポート

今日はたくさんのコメントをいただき、さらにパニックになってしまった。返事がてら記事にします。ちょっと長くなるけど勘弁してね。

サムライさん、姫さん、まゆみさん、ねこさん、しんくろうさん、愛さん、ありがとうございます。

普通の人なら「馬鹿じゃないの?」と言われそうなヤジロウ伝説。自分自体がいつもトンデモ話をしている関係で、人の話をトンデモで片付けることはできないですね。

しかし、この岩屋天狗の本である、「岩屋天狗と千年王国・・」はオークションでも数万円の値がつく珍品で、手に入る可能性は少ない。数万円を投じるほど物好きではない。もちろん探しはするが・・・。

姫さまの投稿を紹介しよう。コメント欄は読みにくいのでここに貼り付けますね。

マヨさん、ヤジロウは1507年以来、十数回渡鮮して多くの書をなして弥勒天徳教(後の天道教)を説き、仏教の再興、韓語(ハングル)の創出、易占(ムーダン、タンゴル、シンバン)の普及など、想像を絶する多元的な文化興隆を図り、1544年には自分と朝鮮王女玉珥との間に生まれた清茂を王(仁宗)に擁立するなど多くの事績を遺した。
永禄六年(1563)に来日した宣教師ルイス=フロイスらは織田信長をそそのかし、多くの武器、弾薬(硝石)、商船艦隊を提供して、それまで六十年続いてきた大阪石姫山に籠る易断政府(石山本願寺の一向一揆として歪曲されている)を討滅せしめた。

ヤジロウと易断政府の存在を歴史から抹殺するという政治工作の発端は、天正十五年(1587)秀吉が博多において発令した「宣教師追放」と「岩屋梓梁抹殺令」に始まり、以後易断政府に参画して政治を執行してきた神官、僧侶、惣、座、学問芸能などの支配者郡の人々を、全国の特殊地域に「易断党」と称して隔離、幽閉して痛めつけ、その歴史、記録、伝承をじめ人々の心からその存在を消滅せしめんとしてきた。

明治維新時に、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛ら多くの英傑を生んだ鹿児島の鍛冶屋郷(現加治屋町)もそういう特殊地域の一つで、ヤジロウを慕って全国から集まった易断精鋭分子の子孫だった。

征韓論は、純粋な外交問題に関する論争ではなく、西郷と薩摩という特殊特異事情に関して成起した論争だったと言う事。」

ここまでが、姫様のコメントです。

さらに、しんくろうさんからのコメントで、ポールという日本人が出てくる。そこで、WIKIでヤジロウを引くとアンジローと出てくる。即ち、洗礼を受けたキリスト教徒である。

「薩摩(鹿児島)の出身。彼自身やザビエルの書簡に寄れば、若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れていたが、その罪を告白するためザビエルを訪ねてきたという。1548年の聖霊降臨祭にゴアの司教から洗礼を受けた。霊名は「パウロ・デ・サンタ・フェ」(聖信のパウロ)。1549年4月19日ザビエルに従いゴアを離れ、8月15日に鹿児島に上陸。」とある。

しかし、ヤジロウがキリストの洗礼を受けたとするなら、フロイスにそそのかされ信長が石山本願寺を攻撃したのだから、本願寺が易断政府だとしてヤジロウが関わる事は矛盾する。つまり、アンジロウとヤジロウはまったく別人なのだろう。WIKIは良くやるんだ・・・。

このポールは誰だ?しんくろうさん、別人じゃない?ヤジロウはキリスト教徒ではないでしょ。

易断政府と言うのが存在したかどうかはまったく確認できなかった、ただ、日本人の心の中に根ざす道教とこの易断とは大いに関わる気がし、正史からは抹殺された高句麗・北魏系の残党が百済系に追われ、特殊地域に追い込まれた可能性は大いにある。日本人はずいぶん迷信深いが、正史を見ても道教が広まった説明ができないのだから・・・・。

秀吉が発令した「宣教師追放」は、たしか鬼塚氏の天皇のロザリオで読んだが、秀吉は、何故キリスト教徒は勝手に神社を破壊するのか、そして、日本人の女をどうして海外に売り飛ばすのかと怒ったからだと承知している。この禁止令とヤジロウの関わりは私にはわからない。

そして、「岩屋抹殺令」が本当に発令されたのかも確認できなかった。以前、サンカの記事で秀吉はサンカ出身で自分の出自の秘密を知る利休を殺したと書いたが、岩屋がサンカであるなら良く分かるが、どうなんだろう。

薩摩藩が改宗ユダヤであるイエズス会と組み、天皇と水戸家を買収し、明治維新を計画したと言うのは大いにあり得るし、正に英国フリーメーソンとフランスメーソンがそのように計画し正・反・合で日本を転覆したのだろう。その時、被差別の抑圧された力をフルに利用するためエタが動員されたと見るのも悪くない。さらに、その立案者である西郷が維新後に約束を果たすよう要求し裏切られたと見るのもありうる。

私の知る範囲で西郷の本音は、旧武士達を対ロシア戦線につぎ込み死に場所を与えたかったと聞いている。朝鮮と戦う気などなかったはずだ。

大日本史を水戸藩が編纂したのも明治維新後の皇国史観を見据えた陰謀で、このときに日本書紀などが捏造されたのであろうか。なぜ水戸の徳川家が尊王になったのか、これも歴史の謎のひとつなのだから。

姫様、家康は世良田出身ですね。家康は自分の出自を隠してなかったけど、家光のころに隠すようになったそうですよ。

今、東京の鬼塚氏の愛読者から電話があった。「八百長 恐慌!」が良く売れているそうだ。一日に350冊の注文が来て、驚いた成甲書房がネットで調べたら、私のブログともう一人が推薦していたのだそうだ。

私のブログが鬼塚さんのために役立ったようで、ちょっとうれしいな。

キリがないので今日の考察はこの辺で、また明日。

愛さん、あなたのコメントまでできなかった。情報が多すぎでした。ごめん!


頭がパニック!

2008-12-08 09:54:28 | ぼやき

いやいや、もうすごいです。私の頭はパンクしそうです。

やじろうと言うのは恥ずかしながらまったく聞いた事がなく、冗談のような話だと思ってた。しかし、しんくろうさんや姫様からの情報を読んでみるとちょっと無視できない。

重複するかもしれないけど、八切氏によれば、明治維新で財政破綻状態だった政府に徳川家は埋蔵金を提供する事で、江戸時代の悪事をばらさないようにしてもらったと書いている。だから、テレビで埋蔵金発掘をやっていたが、出てくるはずないのだ。

そんなことはどうでもいい。問題は江戸時代がどんな時代であったかだ。私は江戸時代が意外に庶民にとっていい時代だった気がしていた。何しろ時代劇を見ると、ほほえましい下町人情あふれる平和な時代だったように思う。しかし、情報がないだけで現実はどうであったのか・・・・。

落合莞爾氏が書いているように、明治維新は薩摩が仕組み、天皇家を利用し、水戸藩が徳川家を動かしたようである。これはいわゆる陰謀である。サムライさんの情報によれば、明治維新は英国主導だという。

私は古代史しか興味がないので近代は知りませんでは通用しない。日本の歴史の中でとてつもなく大きいウソがあり、そのウソを通すために過去にまでさかのぼって書き換える必要があったのかもしれない。昨日ネットで読んだ中に、やはりそのようなことが書かれているページがあった、よほど危ない記事なのかやたら伏字の多いHPだった。

また、愛さんには少し変わった解釈もいただいている。みんないろいろやってるんだ。

ブログを書くより、皆さんのコメントを読むのが精いっぱいです。今日はこれにてごめん。