マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

同和軍団の謎

2008-12-10 10:03:50 | 古代史

鹿島昇氏の「国史正義」p385から引用します。

「後醍醐天皇が南朝革命を考えた時、それを支持したのは北畠の党という万歳師や楠などの頭で、すなわち軍団であった。のちに南朝の王族が敗れて地方に四散した時、その逃亡者を保護したのはこのような差別された木地師や万歳師など、いわゆる社会の人々だった。

戦国時代は織田信長によって一向一揆が鎮圧されたときほぼ終わったといってよいが、この一向一揆の中核も差別された人々であった。また、信長の後天下を統一した秀吉は出身だったが、統一したのちは刀狩りなどを行ってを圧迫した。さらに、出身の徳川家康はカースト制を強化しの民を裏切った。明治天皇の生母であると言う中山慶子も、天皇家の葬列を司る被差別の八瀬で育った人であった。しかし、薩長と岩倉達によって将軍家茂、孝明天皇父子を暗殺した後、明治天皇に成りすました大室寅之祐は南朝の子孫であると称したが、その生家は長州麻郷の万歳師たちによって援助されていた。日本の歴史の節目には必ずの力が決定的影響を与えていたのであった。」

藤原氏と百済系桓武が権力を握るや、新羅、高句麗人はに逃げ込まざるを得なかったのがのそもそもの始まりと言えるのだが、もっと前にも存在した可能性がある。

また、東北にはないという人がある、それは東北自体がそのものだからだという人もいる。近畿圏に差別が激しいのはそれだけ政変があるごとに勝者敗者の明暗が別れたものだろう。

私が古代にさかのぼって歴史を研究するのは、歴史そのものと言うより、ができた原因を探していると言ったほうが正しいのかもしれない。

タブーの中でもほど大きいものはないだろう。差別が存在して、今でもそれで苦しむ人がいるのに、差別は存在していないが如く言葉狩りをし、それに触れないようにしている。

最初に引用したように歴史が大きく変動する時に必ず被差別のエネルギーが使われ、そして捨てられる。私の憶測だが、天皇裕仁が本土決戦をしたくなかった原因は国内の民が蜂起し国体を覆す恐れがあったからだと思う。また、アメリカ軍が今でも日本に駐留しているのは決して日本を守るためではない。もっと言うなら、沖縄は最大の悩みだという事だ。本土決戦を回避したにもかかわらず、沖縄は見殺しにし軍隊は戦いもせずに逃げてしまった。できる限り沖縄の住民を減らそうとしたのではないか。

今回、ヤジロウに異様に興味を持つのは、そのヒントが隠されている可能性があるからだ。

いろいろな書物に当たってもほとんど参考になることはない。サンカにしても落合莞爾の主張と従来からのサンカ作家の主張はまったく違う。どうもサンカは山を放浪するロマンティックな旅人ではないようだ。これは真実をゆがめるための陽動作戦のようだ。

今回姫様の好意で「千年王国」を拝借する事ができそうだ。それ以外に真実に近づく方法はない。大いに期待している。