マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

歴史のなぞなぞ

2008-12-27 10:16:22 | 古代史

歴史を研究していて思うのですが、古墳時代の前が弥生時代、その前が縄文になります。問題なのは、果たして縄文時代に文明はなかったのかという事です。古墳時代を4~5世紀ととらえれば本当に1500年前であり、ついこの間の出来事です。現在のように日進月歩で進歩する時代ではないのです。近代文明は明治の頃、産業革命以降に革命的に進歩しただけで、それ以前の文明は今のスピードの100分の1ほどでしょう。日本の歴史書は縄文時代を必要以上に非文明時代とし、文字も言葉もなく、まるでマンモスと同居していたかのごとく教育しています。

なぜなんだろう。日本の言葉は縄文時代にすでに完成していたことは言うまでもなく、各地にピラミッドを見立てた山岳信仰が存在していたのは事実であります。それはエジプトから渡来したというより、日本列島がまだアジア大陸と陸続きだった頃の住民が地殻変動の後も奇跡的に生き残り、細々と子孫を増やしてきた結果なのではないでしょうか。なぜなら、南方からの文明を受け入れたとするなら日本の言葉はもっと違っていたはずです。たとえば、稲作文明を日本に持ち込んだ中国南部の人たちが日本民族の主力だとしたら、言語は限りなく中国語となり、日本語の特徴である語順はあり得なくなります。つまり、縄文時代にすでに日本語の基本は出来上がっていた事は明らかなのです。

言語は一番基本的なもので、容易に変わらないものです。ヘブライ語だろうが、中国語であろうが、日本人はそれを自分達の言葉を変えることなく見事に利用してしまい、世界中でもまれなほどすばらしい日本語を完成させている。これは韓半島から騎馬民族が侵攻しようが、ほとんどその影響を受けなかったという事です。むしろ、韓半島から満州にかけて、もともと日本語と共通の言葉があったはずなのに、彼等はモンゴル人や匈奴の影響をまともに受け、自分達の言葉の原点を失った気がします。

最終的に日本が異民族に支配されたのは奈良時代から平安時代である事はいうまでもないでしょう。

彼等は自分達の文化を押し付けるよりも、むしろ彼等が日本人に同化したと見るべきです。そして、彼等は日本文化を自分達が持ち込んだように見せるため過去に存在した文明を貶めたのです。

昨年見学に行った豊橋のピラミッド、石巻山は残念ながら邪馬台国ではなかった、しかし石巻山をピラミッドとして暦を作り、太陽信仰の王国があったのは間違いがないことで、そんな国は太古の昔からたくさんあったはずです。

大和朝廷(奈良以降の渡来部族)は彼等先住民と必要以上の争いをさけ、それらの既得権を保証する事で国家を形成した。その保証がおそらく現在まで生きていて、大半の国民は知らないうちに水利権、道路利権、山利権などとなり、いまだに不鮮明な政治が営まれているのではないだろうか。私は政治はまったくわからない、政治家にとってそれは当たり前なのだろうが、国民にはまったくわからない。このことがタブーとなり、闇となり、政治不信を引き起こしている原因だろう。すべては大和朝廷が成立した時の談合がもたらしたことで、日本人は単一民族という妄想を押し通すための弊害であろう。日本人は人種として単一民族としてもいいのではないだろうか、しかしいくつかの民族が混ざりあい、お互いを尊重しあって擬似単一国家を作り上げたのが現実です。天皇制を否定するつもりはありません。まことに都合のいいこの仕組みは世界に誇るべき制度であります。

複数の民族がこれほど上手に溶け込んだ国はないのだから、世界に模範を示す意味でも真実の歴史を明らかにしたほうが政治はわかり易いし、国民も逆に利権を認めやすくなるのではないだろうか。