マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

私の歴史・・・1

2008-12-12 11:40:22 | 古代史

どうせつくなら大きなうそを。まゆみさんにほめられたので、今日は私だけの歴史を披露しよう。でも、内緒にしてね。こんなことを言う人、日本には絶対にいないから。

まず、大前提として仏教の話をします。愛さんからの情報にもあるけど、仏教の伝来を中国からだと思うのは間違いである。古来から中国は道教の国なのだ。中華思想というのは道教だったのである。

その証拠に、北魏が中国北部を制圧し、一大帝国を築いた時、仏教を蛮族の宗教として弾圧している。その後、中国も北魏も仏教が盛んになるが、それはとりもなおさず匈奴からの圧力が高まったということだろう。

日本も当然だが、半島経由で仏教は伝来している。日本書紀などでは新羅や百済から伝わったように書いているが、それは表面的な言い方であり、正しくはやはり、匈奴の騎馬民族が暴力とともに日本へ持ち込んだのだ。宗教と言うのは喜んで変える人はいない。どこにおいても無理やり変えさせられるのである。

他にこんなこという人いないと思うけど私の歴史を言います。

まず、645年、高句麗と唐は遼東で激しい戦争をした。ここで高句麗が勝利した事は事実だろう。しかし、淵蓋蘇文が唐の都、長安まで駆け上がったことはほとんどの歴史書には書かれていない。李世民はそこで降伏した。このことは韓国ではいくらか知られている話のようだ。

唐が亡びるのは世民の息子、高宗の后、則天武后が政権を簒奪し周を建国する時だが、やはり、これも大幅に粉飾されているはずだ。つまり、彼女は唐を亡ぼすため、悪魔と手を組んだんだろう。つまり、匈奴と手を組んだはずだ。おそらく、高宗は世民の息子ではなく、淵の息子であろう。匈奴に乗っ取られた周はその後、再び唐になるが、匈奴の存在を消すのにずいぶん苦労しただろう。

この大政変は韓半島、日本にも大きな影響を与えたはずで、この話の続きは明日にでもしよう。長くなるもんね。