あなたの夢の中で

2ちゃんねるを見ていて目に止まった書き込みを収集しています。

海辺のカフカ (上)(抜粋)

2009年03月06日 18時00分00秒 | 未来と闘え

「僕はごらんのとおりの人間だから、これまでいろんなところで、いろんな意味で差別を受けてきた」と大島さんは言う。「差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚なわらくずで埋めてふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」
 彼はため息をついて、指の中で長い鉛筆をまわす。
「ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうが、そんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を掲げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中,,,,,,なんだ。そういう人々を前にすると、僕は我慢できなくなってしまう。ついつい余計なことを口にしてしまう。さっきの場合だって適当に受け流して、あしらっておけばよかったんだ。あるいは佐伯さんを呼んできて、まかせてしまえばよかったんだ。彼女ならうまくにこやかに対処してくれる。ところが僕にはそれができない。言わなくてもいいことを言ってしまうし、やらなくてもいいことをやってしまう。自分が抑えきれない。それが僕の弱点なんだ。どうしてそれが弱点になるのかわかるかい?」
「想像力の足りない人をいちいち真剣に相手にしていたら、身体がいくつあっても足りない、ということ?」と僕は言う。
「そのとおり」と大島さんは言う。そして鉛筆の消しゴムの部分で軽くこめかみを押さえる。「実にそういうことだ。でもね、田村カフカくん、これだけは覚えておいたほうがいい。結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういった連中なんだ。想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪さんだつされた理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか――もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここ,,には入ってきてもらいたくない」
 大島さんは鉛筆の先で書架を指す。もちろん彼は図書館ぜんたいのことを言っているのだ。
「僕はそういうものを適当に笑い飛ばしてやりすごしてしまうことができない」


村上春樹 『海辺うみべのカフカ (上)』、株式会社新潮社、2002年9月10日、312-314頁