英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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不惑

2010年04月07日 03時47分35秒 | 日記
変な時間に目が覚めてしまった。

四十にして惑わず、とは孔子(論語)の言葉ですが、、、私は四十にして色々と惑い始めましたね(笑)。
(ちなみに孔子は英語でConfucius、儒教はConfucianism。いずれも基本単語。論語はthe Analects of Confuciusだそうです。これは知らなかった。analectsは「語録」。)

私自身は四十になって、「自分の人生の限界が見えてきた」と感じています。出世とか、仕事の技量とか、俺は大体この辺までだろうな、というのが見えてきちゃうわけです。もちろん人生何が起こるかわかりませんが、まあ、何となくそういうのは分かっちゃう。

若い頃は理想に燃え、苦難に耐え、最大限のことをやってきた自負はあります。その頃のほうが「惑い」は一切なかったような気がします。しかし、この年になって自分の限界が見えてくると、、、「こんな生き方で良い(良かった)のだろうか?」「もっと手綱を緩めた方がトータルとして幸せなのでは?」なんて、良からぬ事を考えてしまうというか、妙に弱気になっちゃったりします。皆さんもそういうの、ありませんか?

仕事以外のものに幸せをもとめるべきか、大して高い所に行けるわけではない事を予感しつつそのまま突っ走るべきか、惑ってしまいます。もちろん、これらは二律背反ではないとは思いますが、私は不器用な人間なので、何事も二律背反的なアプローチしかできない(まあこの辺が恐らく一番ダメな所。100点を目指さないなら、0点でいいや、みたいな。破滅型です。)

なので私は四十を「不惑」とは呼べないです。「而立(三十)」の境地には達していると思いますが。まあ、天命を知るのは五十で良いようなので、この十年で固めればいいのかな。

いい意味でも悪い意味でも、四十代で人間がほぼ完全に決まってしまうのは確かなような気がします。五十を過ぎてから人間性やポテンシャルが変わる、なんてことはまあ無いでしょう。

この十年を本当に大事にせねば。











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