久しぶりに時間があるのでもう1つ書きます。
なんだか受験カウンセラーみたいな内容が続いていますが、本来このブログは英語学習に関するものでした(それとダイエット。あ、このたび15キロほど減量しました。その内容はまた後日)。が、大人の英語学習も学生の受験勉強も似たようなもんなので、私の経験に基づいて喋れる内容は喋って、ご参考にしてもらえればと思っています。
で、勉強に関していうなら、その方法や内容はもちろん大事なんですけど、それと同じくらいに成否を左右する重要な話があると思っていて、それが表題の「精神的成熟度」です。ようするにメンタル面。
まあ勝負事に際してはメンタルは強い方が望ましいのは論を待たないでしょうけど、今回はメンタルの強弱を話題にしたいわけではありません。そんな事よりも、できるだけメンタル方面での踏ん張りが必要ないように、余裕を持ってラクに勝負を乗り切る戦略を取る、そういう賢さが重要だということが言いたいのです。そのためのキーになるのが精神的成熟度です。
それって何?と思われると思います。そりゃそうです、私の造語ですから。簡単に言うと、”どれだけ大人の世界の事情が見えているか”。要するに、大人の事情を斟酌して世の中の仕組みを俯瞰できるおマセさんかどうか、ということです。おマセさんであることが望ましいです。
真面目に勉強するのに結果が出ない子、わりと出来る子だったのに受験に失敗する子が少なからずいます。どうしてでしょう?私が思うに、精神的に”子供すぎる””ピュアすぎる”からです。メンタルの強弱とはまた少し違う話です。
ということです。これが見えている子は成熟度が高くて、見えていない、子供っぽいピュアな子は成熟度が低い、と定義します。
”要領がいい、悪い”という言い方もありますよね。そう言えばピンとくるでしょうか?それに近いです。受験に関してはテクニック的な方面から”要領”という言葉がよく使われますが、ここで話題にしたいのはそれに近いんだけど微妙に違っていて、自分の心の持ちようをいかに平静に保って淡々と勉強できるか、という側面での要領です。私が思うにそれは、上に書いたように、要領というよりは”精神的成熟度”と言うべきかなと。似てますけどね。
前置き的なものが長くなってしまいましたが、受験(勉強)というものの仕組みや本質が見えていて、一喜一憂したり自分を追い詰めたりしない、そういうことができる能力、のことを言っています。一喜一憂したり必要以上に自分を追い詰めるとはどういうことか?これは受験を経験したことがある人なら大体経験があるはずです。教科書の問題は解けるのに模試の問題は解けなくて偏差値低くて落ち込むとか、志望大学の過去問が難しくて萎えるとか、問題集やっても解けない問題が多くて自分の数学の才能の無さにウンザリするとか、みんな経験ありますよね?でも、今になって思うと、それって全部
って思うんです。はい、大人が高校生を騙しているんです。そして、そういう事態、つまり、模試や入試の問題の難しさを突きつけられて落ち込むような事態になってしまうということは、まんまとその騙しに引っかかっている、ということなんです。
よく考えて下さい。入試とは、特に有名大の入試とは、みんなが入りたいと思う大学が、みんなを入学させることなんてできないから、受験生の多くを”落とす”ために行われるものです。一方で、入試問題は高校の指導要領の範囲内で作ることが義務付けられていて、それを逸脱して作成することは許されません(国立だけ!?)。その2つがあるとすると、入試問題ってどのようなものになってくるでしょうか?50年、60年と変わらずに行われているそのような入試の問題の集合体って、勉強の真っ只中にある成長途中の高校生にとってどのようなシロモノに写るでしょうか?
そう、受験期直前以外の、成長途上真っ只中の高校生にとっては「解けなくて当たり前」のシロモノのはずです。どんなに生まれつき頭が良かろうが、日々の勉強をどんなに真面目にやっていようが、そう簡単に解けるシロモノでないことは当たり前です。成長途中の高校生が簡単に解けるシロモノだったら、選別マシンとしての機能が果たせるわけがないですよね。
なのに、大人は「お前の偏差値は十分じゃない」とか「もっと勉強しろ」とか、「お前は学年で何番だ」とか好き勝手な事を言って、成長途上にある学生を脅しまくるんです。まだ解けないのが当たり前の問題をやらせておきながら。効果のある勉強方法を伝授してくれるわけでもないのに。
そして、多くの子が、そういう大人からの叱咤を真に受けて、「もっと勉強しなきゃ」と思いつめるならまだマシで、「こんなの解けないから志望校下げようかな」とか、「マジ勉強の仕方が分からない、助けて」とか、最悪なのは「どうせ俺は頭悪いから」とか言って諦めて戦線離脱していく。多くの子供たちがそうなっていくのは、まだまだ大人の世界の事情を見抜く目を持たない”精神的成熟度が低い”子だからです。まあ低いというのはちょっと酷で、歳相応だという事です。我々大人の目から見ると成熟していない、というだけ。
でも、稀に、この精神的成熟度が高い子がいます。こういう子供はおそらく次のように考えます。
”入試問題?そりゃ落とすための問題なんだから、そんな簡単に解けるわけないじゃん”
”でも、指導要領の範囲で難問作るにも限界あるだろうから、パターンはもう大体出尽くしてんじゃね?”
”だから、今は出来なくても受験の時までにパターンになれて出来るようにすれば無問題”
このように考えて、今問題が解けようが解けまいがそんな事はあまり気にせず、パターンが有限の入試問題の征服を受験当日までにやればいいと考えて、日々の勉強を淡々とこなす。大人たちの叱咤なんて、完全無視。
これが、精神的成熟度が高い、ということです。大人の側の事情、世の中の仕組みというものを完全に見抜いちゃってるんですよ。勝負の世界で勝つにはこういう賢さというか、物事の本質を見抜く力、が必要だと思うのです。
後生大事に育てられた、温室育ちのいい子ちゃんが失敗するケースの多くの場合、この能力が欠けていることが原因ではないかと思うのです。ピュア過ぎて、物事の本質が見えておらず、頑張り方が闇雲で、結局最高峰を極められない、そういうパターンって多いんじゃないかと想像するわけです。なぜかって、はい、私自身の失敗談だからです(笑)。
受験も世渡りの一つです。世渡りの上手な賢い子に育てるには、大人の世界の汚い事情や論理もある程度教えてあげて、視野の広い子に育てた方がいいのだと思います。それは子供自身ではなく大人の側の仕事でしょう。ただただひたむきに頑張る素直な子が最高の結果を出せる世界が一番美しいのかも知れませんが、ピュア過ぎて潰れてしまうこともあるのです。
なんだか受験カウンセラーみたいな内容が続いていますが、本来このブログは英語学習に関するものでした(それとダイエット。あ、このたび15キロほど減量しました。その内容はまた後日)。が、大人の英語学習も学生の受験勉強も似たようなもんなので、私の経験に基づいて喋れる内容は喋って、ご参考にしてもらえればと思っています。
で、勉強に関していうなら、その方法や内容はもちろん大事なんですけど、それと同じくらいに成否を左右する重要な話があると思っていて、それが表題の「精神的成熟度」です。ようするにメンタル面。
まあ勝負事に際してはメンタルは強い方が望ましいのは論を待たないでしょうけど、今回はメンタルの強弱を話題にしたいわけではありません。そんな事よりも、できるだけメンタル方面での踏ん張りが必要ないように、余裕を持ってラクに勝負を乗り切る戦略を取る、そういう賢さが重要だということが言いたいのです。そのためのキーになるのが精神的成熟度です。
それって何?と思われると思います。そりゃそうです、私の造語ですから。簡単に言うと、”どれだけ大人の世界の事情が見えているか”。要するに、大人の事情を斟酌して世の中の仕組みを俯瞰できるおマセさんかどうか、ということです。おマセさんであることが望ましいです。
真面目に勉強するのに結果が出ない子、わりと出来る子だったのに受験に失敗する子が少なからずいます。どうしてでしょう?私が思うに、精神的に”子供すぎる””ピュアすぎる”からです。メンタルの強弱とはまた少し違う話です。
世の中の、あるいは大人の、綺麗な所も汚い所も含めて見えているか?
ということです。これが見えている子は成熟度が高くて、見えていない、子供っぽいピュアな子は成熟度が低い、と定義します。
”要領がいい、悪い”という言い方もありますよね。そう言えばピンとくるでしょうか?それに近いです。受験に関してはテクニック的な方面から”要領”という言葉がよく使われますが、ここで話題にしたいのはそれに近いんだけど微妙に違っていて、自分の心の持ちようをいかに平静に保って淡々と勉強できるか、という側面での要領です。私が思うにそれは、上に書いたように、要領というよりは”精神的成熟度”と言うべきかなと。似てますけどね。
前置き的なものが長くなってしまいましたが、受験(勉強)というものの仕組みや本質が見えていて、一喜一憂したり自分を追い詰めたりしない、そういうことができる能力、のことを言っています。一喜一憂したり必要以上に自分を追い詰めるとはどういうことか?これは受験を経験したことがある人なら大体経験があるはずです。教科書の問題は解けるのに模試の問題は解けなくて偏差値低くて落ち込むとか、志望大学の過去問が難しくて萎えるとか、問題集やっても解けない問題が多くて自分の数学の才能の無さにウンザリするとか、みんな経験ありますよね?でも、今になって思うと、それって全部
騙されてた
って思うんです。はい、大人が高校生を騙しているんです。そして、そういう事態、つまり、模試や入試の問題の難しさを突きつけられて落ち込むような事態になってしまうということは、まんまとその騙しに引っかかっている、ということなんです。
よく考えて下さい。入試とは、特に有名大の入試とは、みんなが入りたいと思う大学が、みんなを入学させることなんてできないから、受験生の多くを”落とす”ために行われるものです。一方で、入試問題は高校の指導要領の範囲内で作ることが義務付けられていて、それを逸脱して作成することは許されません(国立だけ!?)。その2つがあるとすると、入試問題ってどのようなものになってくるでしょうか?50年、60年と変わらずに行われているそのような入試の問題の集合体って、勉強の真っ只中にある成長途中の高校生にとってどのようなシロモノに写るでしょうか?
そう、受験期直前以外の、成長途上真っ只中の高校生にとっては「解けなくて当たり前」のシロモノのはずです。どんなに生まれつき頭が良かろうが、日々の勉強をどんなに真面目にやっていようが、そう簡単に解けるシロモノでないことは当たり前です。成長途中の高校生が簡単に解けるシロモノだったら、選別マシンとしての機能が果たせるわけがないですよね。
なのに、大人は「お前の偏差値は十分じゃない」とか「もっと勉強しろ」とか、「お前は学年で何番だ」とか好き勝手な事を言って、成長途上にある学生を脅しまくるんです。まだ解けないのが当たり前の問題をやらせておきながら。効果のある勉強方法を伝授してくれるわけでもないのに。
そして、多くの子が、そういう大人からの叱咤を真に受けて、「もっと勉強しなきゃ」と思いつめるならまだマシで、「こんなの解けないから志望校下げようかな」とか、「マジ勉強の仕方が分からない、助けて」とか、最悪なのは「どうせ俺は頭悪いから」とか言って諦めて戦線離脱していく。多くの子供たちがそうなっていくのは、まだまだ大人の世界の事情を見抜く目を持たない”精神的成熟度が低い”子だからです。まあ低いというのはちょっと酷で、歳相応だという事です。我々大人の目から見ると成熟していない、というだけ。
でも、稀に、この精神的成熟度が高い子がいます。こういう子供はおそらく次のように考えます。
”入試問題?そりゃ落とすための問題なんだから、そんな簡単に解けるわけないじゃん”
”でも、指導要領の範囲で難問作るにも限界あるだろうから、パターンはもう大体出尽くしてんじゃね?”
”だから、今は出来なくても受験の時までにパターンになれて出来るようにすれば無問題”
このように考えて、今問題が解けようが解けまいがそんな事はあまり気にせず、パターンが有限の入試問題の征服を受験当日までにやればいいと考えて、日々の勉強を淡々とこなす。大人たちの叱咤なんて、完全無視。
これが、精神的成熟度が高い、ということです。大人の側の事情、世の中の仕組みというものを完全に見抜いちゃってるんですよ。勝負の世界で勝つにはこういう賢さというか、物事の本質を見抜く力、が必要だと思うのです。
後生大事に育てられた、温室育ちのいい子ちゃんが失敗するケースの多くの場合、この能力が欠けていることが原因ではないかと思うのです。ピュア過ぎて、物事の本質が見えておらず、頑張り方が闇雲で、結局最高峰を極められない、そういうパターンって多いんじゃないかと想像するわけです。なぜかって、はい、私自身の失敗談だからです(笑)。
受験も世渡りの一つです。世渡りの上手な賢い子に育てるには、大人の世界の汚い事情や論理もある程度教えてあげて、視野の広い子に育てた方がいいのだと思います。それは子供自身ではなく大人の側の仕事でしょう。ただただひたむきに頑張る素直な子が最高の結果を出せる世界が一番美しいのかも知れませんが、ピュア過ぎて潰れてしまうこともあるのです。