英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

精神的成熟度

2018年06月23日 20時55分02秒 | 勉強一般
久しぶりに時間があるのでもう1つ書きます。

なんだか受験カウンセラーみたいな内容が続いていますが、本来このブログは英語学習に関するものでした(それとダイエット。あ、このたび15キロほど減量しました。その内容はまた後日)。が、大人の英語学習も学生の受験勉強も似たようなもんなので、私の経験に基づいて喋れる内容は喋って、ご参考にしてもらえればと思っています。

で、勉強に関していうなら、その方法や内容はもちろん大事なんですけど、それと同じくらいに成否を左右する重要な話があると思っていて、それが表題の「精神的成熟度」です。ようするにメンタル面。

まあ勝負事に際してはメンタルは強い方が望ましいのは論を待たないでしょうけど、今回はメンタルの強弱を話題にしたいわけではありません。そんな事よりも、できるだけメンタル方面での踏ん張りが必要ないように、余裕を持ってラクに勝負を乗り切る戦略を取る、そういう賢さが重要だということが言いたいのです。そのためのキーになるのが精神的成熟度です。

それって何?と思われると思います。そりゃそうです、私の造語ですから。簡単に言うと、”どれだけ大人の世界の事情が見えているか”。要するに、大人の事情を斟酌して世の中の仕組みを俯瞰できるおマセさんかどうか、ということです。おマセさんであることが望ましいです。

真面目に勉強するのに結果が出ない子、わりと出来る子だったのに受験に失敗する子が少なからずいます。どうしてでしょう?私が思うに、精神的に”子供すぎる””ピュアすぎる”からです。メンタルの強弱とはまた少し違う話です。

世の中の、あるいは大人の、綺麗な所も汚い所も含めて見えているか?

ということです。これが見えている子は成熟度が高くて、見えていない、子供っぽいピュアな子は成熟度が低い、と定義します。

”要領がいい、悪い”という言い方もありますよね。そう言えばピンとくるでしょうか?それに近いです。受験に関してはテクニック的な方面から”要領”という言葉がよく使われますが、ここで話題にしたいのはそれに近いんだけど微妙に違っていて、自分の心の持ちようをいかに平静に保って淡々と勉強できるか、という側面での要領です。私が思うにそれは、上に書いたように、要領というよりは”精神的成熟度”と言うべきかなと。似てますけどね。

前置き的なものが長くなってしまいましたが、受験(勉強)というものの仕組みや本質が見えていて、一喜一憂したり自分を追い詰めたりしない、そういうことができる能力、のことを言っています。一喜一憂したり必要以上に自分を追い詰めるとはどういうことか?これは受験を経験したことがある人なら大体経験があるはずです。教科書の問題は解けるのに模試の問題は解けなくて偏差値低くて落ち込むとか、志望大学の過去問が難しくて萎えるとか、問題集やっても解けない問題が多くて自分の数学の才能の無さにウンザリするとか、みんな経験ありますよね?でも、今になって思うと、それって全部

騙されてた

って思うんです。はい、大人が高校生を騙しているんです。そして、そういう事態、つまり、模試や入試の問題の難しさを突きつけられて落ち込むような事態になってしまうということは、まんまとその騙しに引っかかっている、ということなんです。

よく考えて下さい。入試とは、特に有名大の入試とは、みんなが入りたいと思う大学が、みんなを入学させることなんてできないから、受験生の多くを”落とす”ために行われるものです。一方で、入試問題は高校の指導要領の範囲内で作ることが義務付けられていて、それを逸脱して作成することは許されません(国立だけ!?)。その2つがあるとすると、入試問題ってどのようなものになってくるでしょうか?50年、60年と変わらずに行われているそのような入試の問題の集合体って、勉強の真っ只中にある成長途中の高校生にとってどのようなシロモノに写るでしょうか?

そう、受験期直前以外の、成長途上真っ只中の高校生にとっては「解けなくて当たり前」のシロモノのはずです。どんなに生まれつき頭が良かろうが、日々の勉強をどんなに真面目にやっていようが、そう簡単に解けるシロモノでないことは当たり前です。成長途中の高校生が簡単に解けるシロモノだったら、選別マシンとしての機能が果たせるわけがないですよね。

なのに、大人は「お前の偏差値は十分じゃない」とか「もっと勉強しろ」とか、「お前は学年で何番だ」とか好き勝手な事を言って、成長途上にある学生を脅しまくるんです。まだ解けないのが当たり前の問題をやらせておきながら。効果のある勉強方法を伝授してくれるわけでもないのに。

そして、多くの子が、そういう大人からの叱咤を真に受けて、「もっと勉強しなきゃ」と思いつめるならまだマシで、「こんなの解けないから志望校下げようかな」とか、「マジ勉強の仕方が分からない、助けて」とか、最悪なのは「どうせ俺は頭悪いから」とか言って諦めて戦線離脱していく。多くの子供たちがそうなっていくのは、まだまだ大人の世界の事情を見抜く目を持たない”精神的成熟度が低い”子だからです。まあ低いというのはちょっと酷で、歳相応だという事です。我々大人の目から見ると成熟していない、というだけ。

でも、稀に、この精神的成熟度が高い子がいます。こういう子供はおそらく次のように考えます。

”入試問題?そりゃ落とすための問題なんだから、そんな簡単に解けるわけないじゃん”

”でも、指導要領の範囲で難問作るにも限界あるだろうから、パターンはもう大体出尽くしてんじゃね?”

”だから、今は出来なくても受験の時までにパターンになれて出来るようにすれば無問題”

このように考えて、今問題が解けようが解けまいがそんな事はあまり気にせず、パターンが有限の入試問題の征服を受験当日までにやればいいと考えて、日々の勉強を淡々とこなす。大人たちの叱咤なんて、完全無視。

これが、精神的成熟度が高い、ということです。大人の側の事情、世の中の仕組みというものを完全に見抜いちゃってるんですよ。勝負の世界で勝つにはこういう賢さというか、物事の本質を見抜く力、が必要だと思うのです。

後生大事に育てられた、温室育ちのいい子ちゃんが失敗するケースの多くの場合、この能力が欠けていることが原因ではないかと思うのです。ピュア過ぎて、物事の本質が見えておらず、頑張り方が闇雲で、結局最高峰を極められない、そういうパターンって多いんじゃないかと想像するわけです。なぜかって、はい、私自身の失敗談だからです(笑)。

受験も世渡りの一つです。世渡りの上手な賢い子に育てるには、大人の世界の汚い事情や論理もある程度教えてあげて、視野の広い子に育てた方がいいのだと思います。それは子供自身ではなく大人の側の仕事でしょう。ただただひたむきに頑張る素直な子が最高の結果を出せる世界が一番美しいのかも知れませんが、ピュア過ぎて潰れてしまうこともあるのです。

計算ドリル、教科書傍用問題集をバカにするな

2018年06月23日 18時58分09秒 | 勉強一般
計算力が大事だという話をしました。

考えてみれば当たり前の話で、学問をする側の立場を想定してみても、別にとてつもない天才的な発想ばかりを積み上げることが仕事ではないはずで、そんなことよりもむしろ1つ1つの論理を正確に積み上げていきながら新しい知見を開拓していくことが本来の営みのはずです。天才が天才的発想によって大仕事をすることはあるでしょうけど、本来それは想定外の出来事のはずですし、そんなことができる人間を人の手によって育てることもできないのですから、プロの数学の世界といえども、凄い発想より緻密な論証の方が通常は重要な営みになってくるはずです。

なので、若い人達に求められている能力も、いかに正確な論証、計算をきちんとやってくれるか、ということの方がメインのはずです。天才は時々現れてくれればラッキーという程度で、別にそんなものは誰も求めちゃいない。

しかしこの計算力ってやつも、じつは一朝一夕に身に付くものじゃない。そういう意味で、全然バカにするようなシロモノではないんです。いや、バカにするどころか、18歳くらいの人間を選別する上ではもっとも重要な指標の1つとなるはずです。受験直前の付け焼刃のクソ暗記勉強では身に付かない能力なんだから、長年コツコツと真摯な勉強を積み重ねてきた人間かどうかを見極めるのに最適な指標なのはうなずけると思います。

計算が速い、正確である、計算上の工夫に長けている、これって結構凄い能力なんですよ。簡単な問題を解く時間が短くなるし、計算ミスもないし、だから、難しい問題をじっくり考える時間も増える。いろんな解法を試す時間が増える。今の形式の受験で闘う上では一番大事だといっても過言じゃない能力じゃないですか。もちろん受験だけじゃなくて、数学的なものを仕事で使うようになったときにも、仕事のパフォーマンスを決定づける大きな要因になります。プログラマーがプログラムを書くのにどれくらい時間がかかるかも、アルゴリズムを検証する計算力なんかに大きく依存するはずです。

もちろん暗算10段とか、そういう電卓と競うようなレベルまで追求する必要はないでしょうけど(もちろんそれができれば超素晴らしいが)、計算力を磨く事によって得をすることってとても多いんです。理系科目ならその勝敗の大部分は計算力で決まるんです(文系科目なら国語力・読解力ね。読み書きそろばんって言うでしょ)。

分かる、分からない、もブレークダウンしてみると結局、頭の中で計算的なものができている、できていない、という話でしかないんです。高校程度の数学なら、発想が分からないなんて高尚な話などほとんどないはずで、要するに式変形が分からんってことがほとんどのハズなんだから、これは計算の話。物理だって化学だって、式の意味や立て方がぴんと来ないとか、反応式が操れないとか、こんなのも要は calculation が出来てるかどうかということ。計算力の有無、これがアナタの人生の可能性を大きく左右するといっても過言ではないのです。

しかし、繰り返しになりますが、この計算力ってやつは実際に自分でどれだけ手を動かして頭を使って格闘してきたか、幼少の頃からのその蓄積によってのみ養成される能力です。人から教えられる事をただ理解すればいいということではなく、自分の体に覚えこませることでのみ磨かれる能力。だから、小学生の子供には計算ドリルをとにかく真面目にやらせることが大事です。私もそうでしたが、計算ドリルをこなすのが人より速くなってくると自信がついて、勉強がどんどん楽しくなってきます。逆に、こういう計算事が遅くてそれがコンプレックスになってくると、勉強というものが億劫になってきて、次第に勉強しなくなっていきます。子供の頃の計算ドリルへの取り組み一つが、勉強に対する正負のスパイラルの原因になるのです。恐ろしいですね。

しかし、小学生の頃に出来た子も、中学・高校となってくると、どんどん出来ない方の仲間入りをするようになります。この年齢になってくると、小学校の頃の計算ドリルに相当する教材がなくなってくるからです。

殊勝な子は、学校で配られる教科書傍用の問題集とかそういうのをきちんとこなしたりしますが、普通はなかなかそこまでやらないですよね。でも実は、そういう営みをきちんとやったかどうかの差が、じわじわと基礎力の差になってくるのです。そして、大学受験を意識しはじめる頃には、もう絶望的な差になってしまっています。数学だけではなくて、今では物理とか化学なんかも教科書傍用のいい問題集なんかが配られると思いますが、ああいうのを高校1年、2年の段階でしっかりやっておけば、受験期には大きなアドバンテージになるはずです。

どんなに高度な内容も、基礎的な事項の上に成り立つものです。その基礎的な事項をいかに正確に素早く操れるか、は学力の伸びという物に対して、多くの人がなんとなく考えているよりもずっとずっと大きく影響しているのです。そして、一流大学といわれる所が子供の学力として見たいのも、実はそういう所なんだと思われます。問題みれば分かります。1年や2年では身に付かない能力をしっかり身につけている子、それ以上に何を求める必要がありますか?って話ですよ。問題を作る上でも、高校の指導要領の範囲内で差が付く問題にするには計算量を多くするのは有効な方法ですし、とりたい学生を選別するにも計算力を見るというのは大事な側面になってくるんです。

計算できるものは理解できるんです。計算を面倒くさがって計算できなくなってくると、理解が及ばなくなってくるんです。圧倒的多数の凡人が、確率論とか統計学とか信号処理とか微分積分とか、いわゆる”理論”ってやつを理解できないのはどうしてでしょうか?どこかの時点で、一生懸命計算式を追うという作業を放棄してしまったからです。つまり、”分からない”の出発点は”計算できない”なのです。

受験数学が出来るとはどういうことか(3)

2018年06月23日 16時28分00秒 | 日記
久しぶりの更新で、何から書こうか迷ってしまうのですが、書きかけになっている話題をつぶしておきたいと思います。ということで表題の続き。

前回の(2)では、よく言われる解法暗記に関してもっと意識した方がいいことが2つほどあるという話をしました。前回はそのうちの1つである「スピードをもっと意識しろ」という話をしましたが、今回は2つ目の「”解法”よりももっとミクロな能力を磨くべき」という話です。ま、私はプロの数学者でも受験講師でも何でもないので、素人の主観でしかないのですが、実感としてそのようなことを感じるのです。

もちろん、いわゆる”解法”も大事です。が、実際に手を動かして問題を解いていると、ここで一歩前に進むことができなかった、とか、計算や場合分けが汚くなりすぎてギブアップしてしまったとか、要するに最後まで解ききれない原因となるような事は、解法というよりももう少しミクロなこと、一言でいうと

処理を進めるための、計算上・発想上のちょっとしたTIPS

が欠けていた、ということが非常に多いのです。まあそれも解法じゃん、と仰るかもしれませんが、解法というほどの大きな、方針立案そのものの知識ではなくて、計算を上手く進めるためのちょっとした小技、的なものです。はい、やっぱり受験数学は計算力なんです。

思いつきで言っているわけではありません。この話題で記事を書き始めたのはもうだいぶ前ですが、実は最近1ヶ月ほどかけて、東大(と京大)の文系数学の問題ばかり60問ほど集めてある本の問題を解いてみたところ(ジジイのボケ防止ですww)、やっぱり同じことを痛感させられる羽目になり、改めてこの考えは間違っていないな、と思った次第なのです。

文系数学の問題集ということもあり(なぜ文系数学の問題集を手に取ったかは後ほど述べます)、いくら東大の問題(と京大の問題がチラホラ)とはいえ、解くための方針がまったく思いつかないというような問題はほとんどありませんでした(まあ、東大京大の文系数学のうちの、割と易しめの問題を集めているのだと思いますが)。受験数学から30年くらい離れている私でも半分くらいの問題は完投できました。しかし、最後まで解ききれなかった問題について、どこで、何につまづいたのかを振り返ってみると、そのほとんどが上に書いたような理由になるのです。

具体的にいうと、ほんの少しばかりの変数変換をしてやれば相加相乗の関係で簡単に最小値が出せたのにとか、三角関数をtと置いてやれば計算がめっちゃ楽になったのにとか、座標軸の設定をもう少し上手くやればスッキリ処理できたのにとか、xとyの同次式をx/y、あるいはy/xの式に変形して1変数にするときに、x/yを作るよりy/xを作った方が次数が下がって簡単になったのに、とか、挙げればキリがありませんが、そういうちょっとした文字変換、式変形、座標設定、場合わけ設定の巧拙、みたいな話が処理量に大きく影響してきて、そこで下手をこいた結果、式が汚くなって結局処理できずに挫折してしまう、というケースがほとんどなのです。

こういうのは解法というよりは、計算を上手く処理するための小技、というべき物でしょう。そして、特に文系数学レベルだとそれほど難しい問題はそもそも作れないので、こういう

最後まで処理を押し進められるかという計算力、ラクをする能力

にどれくらい長けているか、が勝負を決するように作られていることが多いのです。方針が立つか立たないかというよりも、計算力や設定力によって処理時間が大きく変わってきて、そこが点数の差になるという構図ですね。

で、大事なのはここからですが、こういう小技は人に教えてもらったり参考書に”要点”としてまとめてあるものを読んだりして身に付けるものではない、ということを分かっておくべきなんです。”解法”は網羅系の参考書に要点として目立つように書かれていると思います。例えば、「点の存在範囲」の問題なら、ある文字についての方程式と見て、二次方程式なら判別式、3次方程式ならグラフを書いて実数解の存在条件にもちこめ、とか、そういうのは解法です。でも、特に文系レベルの数学に関して言えば、このような解法を知らないために解けなかったというケースよりも、上に書いたような、計算を最後まで上手くラクに進めるために必要なちょっとしたTIPSを知らなかった、適用できなかったために完答できない、というケースの方が遥かに多くなると思います。

そして、そういうTIPSは、自分で手を動かして問題を解く(最初のうちは模範解答の写経でもいいでしょう)中で、

自分でハイライトして身に付けていく

しかないのです。だって、こんなに細かいTIPSをいちいち要点としてまとめてたら参考書が電話帳みたいになっちゃいます。解法を1つ紹介するために1つ問題を載せることはできますが、計算上の細かいTIPSを1つ紹介するために1つ問題を載せる、なんてことはできませんからね。だから、こういうのは本を読んで覚えるのではなく、解答を再現する作業の中で自分なりに整理して頭に叩き込んでおくというやり方で身に付けるものなのです。受験数学の力の差は、こういう作業をどれだけ沢山やったかという経験量の差なのです。簡単に言えば、やっぱり慣れなんですよ。解法の知識量が大事なのはよく知られるようになりましたが、それにプラスして、こういう計算上の細かい慣れの蓄積、も非常に大事になってくるのです。

最後に、なぜ文系数学の問題集をやったかですが、もちろん30年のブランクのある私にとって東大京大の理系数学はあまりにキツイ(じつは10年前くらいに過去30年分くらい解いて頭に叩き込んだ経験はあるのですが、もう忘れています)という理由もありますが、文系数学は理系数学ほど複雑すぎない分、教科書レベルと受験レベルのつなぎになるポイントが見えやすくて勉強しやすい、という点があると思ったからです。なので、理系で難関大を目指す方でも、初期のうちは難関大の文系数学の問題で鍛えた方が効率よく力がつけられるかも知れません。

確かに難関大の理系数学ともなると、端から方針が全く思い浮かばないような問題も少なくないと思います。しかし、そんなのは多くの受験生もできないし、まずはそこで悩むよりも、基本的な解法網羅や上に書いたようなTIPSレベルの技を完全に身に付けることに専念すべきだと思います。それが出来ていないうちに高度な事で悩んでもあまり生産的ではありません。基本的な解法、しっかりした計算能力、をしっかり磨いて、それから、難問にアタックするタフさを磨けばいいのです。難しすぎることばかりやっても実はあまり力は付かないというのは、英語も数学も同じかもしれません。もっと足元をしっかり固めることをやれ、ということです。