わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
===== ヨブ記 1章 21節 =====
私たちは、生まれた時には、何もありません。
死ぬ時にも、何もありません。
これは、誰も例外はありません。
それを考えると、生きている時だけに、何か持っていることになります。
貧乏も金持ちも、凡人も、平でも、名誉でも、地位でも、生きている時の間だけのことであります。
===== ヨブ記 1章 21節 =====
私たちは、生まれた時には、何もありません。
死ぬ時にも、何もありません。
これは、誰も例外はありません。
それを考えると、生きている時だけに、何か持っていることになります。
貧乏も金持ちも、凡人も、平でも、名誉でも、地位でも、生きている時の間だけのことであります。
天に富を積むことは、とても難しいと思います。 ただ1つだけ言えることは、純粋に神様を見つめることが大切だと思います。
お金は、純粋に神様を見ることが出来ない1つの要素だと思います。
例えば一時的に、罪を犯してすっかり落ち込んでいる時、こんな自分はイエス様に嫌われていると思いこんでします。本当にそうでしょうか。その時でもイエス様はニコニコして「そんなあなたが好きなんだよ。」と言っておられるかもしれません。逆に何かに成功して有頂天になっている時、その成功のために人を見下す心が生まれたらイエス様はがっかりされているかもしれません。
「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」この話は新約聖書の中でも悲しい例の1つになっています。でも、この話が聖書に載ったのは、この例に従ってはいけませんと言うことなのでしょうね。