主の御名を讃美申し上げます。
今日は、教会の礼拝のプログラムの中で証をしました。
教会学校のアピールということで、自分の証と教会学校のクラスの証をしました。
現在の教会学校は、詩編を学んでいます。
詩編は150編もあり、長い書物です。
主に、ダビデ、ソロモンなどが霊感によって書かれた書物です。
教会学校で学ぶ箇所は、新共同訳とヘブライ語の原典を予習してクラスへの出席をしています。
教壇に立って証をするので、少し緊張をしました。
やはり慣れていないので、原稿の棒読みになってしまいました。
ただ注意したのは、原稿を間違いなく、ゆっくり、はっきりと話すことでした。
間違いなく、ゆっくり、はっきりと話すことは出来たと思ったので、その点は良かったです。
4月から分級に出席をしていますが、ヘブライ語を読んで何か変わった?
自問自答してみますが、信仰的に何か変わったということはないです。
だけど、新しい発見、改めて意味を考えさせられました。
・ヘブライ語の「罪」の単語が複数あること。
・ヘブライ語の「恵み」と「良い」が同じ単語であること。
・新共同訳では少し難しい表現をされているのが、ヘブライ語の直訳をすると分かり易いこと。
例えば、詩編51:8
新共同訳:「あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。」
Logical直訳:「見よ! 真実は心のうちに喜んだ。 そして、秘められた中の知恵を知るだろう。」
などなどがあげられます。
そういう意味では、信仰的に変わったというより、聖書に対する新しい見方が出来るようになったこと、原典ならではの発見があったことです。
<最近の原典について>
現在のヘブライ語とギリシャ語の勉強は、創世記を7章まで、ルカによる福音書を2章まで、対訳を読んで原典を直接に読んでも40~60%は読み取れる感じです。
新共同訳の意味を知っているので、ある程度は予想しながら読めると点はあります。
英語で譬えると、1節に2~3個だけど分からない単語はあるけど、節の内容が何となく分かる感じです。
創世記の1章1節のヘブライ語は、なぜか覚えてしまいました。
原典で読むのは大変だけど、独学でも少しづつ頑張りたいと思います。
今日は、教会の礼拝のプログラムの中で証をしました。
教会学校のアピールということで、自分の証と教会学校のクラスの証をしました。
現在の教会学校は、詩編を学んでいます。
詩編は150編もあり、長い書物です。
主に、ダビデ、ソロモンなどが霊感によって書かれた書物です。
教会学校で学ぶ箇所は、新共同訳とヘブライ語の原典を予習してクラスへの出席をしています。
教壇に立って証をするので、少し緊張をしました。
やはり慣れていないので、原稿の棒読みになってしまいました。
ただ注意したのは、原稿を間違いなく、ゆっくり、はっきりと話すことでした。
間違いなく、ゆっくり、はっきりと話すことは出来たと思ったので、その点は良かったです。
4月から分級に出席をしていますが、ヘブライ語を読んで何か変わった?
自問自答してみますが、信仰的に何か変わったということはないです。
だけど、新しい発見、改めて意味を考えさせられました。
・ヘブライ語の「罪」の単語が複数あること。
・ヘブライ語の「恵み」と「良い」が同じ単語であること。
・新共同訳では少し難しい表現をされているのが、ヘブライ語の直訳をすると分かり易いこと。
例えば、詩編51:8
新共同訳:「あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。」
Logical直訳:「見よ! 真実は心のうちに喜んだ。 そして、秘められた中の知恵を知るだろう。」
などなどがあげられます。
そういう意味では、信仰的に変わったというより、聖書に対する新しい見方が出来るようになったこと、原典ならではの発見があったことです。
<最近の原典について>
現在のヘブライ語とギリシャ語の勉強は、創世記を7章まで、ルカによる福音書を2章まで、対訳を読んで原典を直接に読んでも40~60%は読み取れる感じです。
新共同訳の意味を知っているので、ある程度は予想しながら読めると点はあります。
英語で譬えると、1節に2~3個だけど分からない単語はあるけど、節の内容が何となく分かる感じです。
創世記の1章1節のヘブライ語は、なぜか覚えてしまいました。
原典で読むのは大変だけど、独学でも少しづつ頑張りたいと思います。