これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

虐めと不作為の犯罪

2021-01-16 12:37:28 | 社会問題
【はじめに】
 私は虐めとパワハラは重大な犯罪だと考えています。 悲惨な状況を何回も見て来たからです。

 2020年11月21日に投稿した『令和維新のすゝめ(その11)』に、苛めとパワハラ問題を取り上げました。 今回は、これらの問題を『不作為の犯罪』の視点で考えて見ました。

【不作為の犯罪】
 泳げる父親の目の前で、彼の子供が溺れていたとします。父親には、子供を守る義務がありますから、放置して死んだら不作為の犯罪(殺人)を犯した事になります。 

 金槌の(泳げない)父親の場合は、子供が溺死しても犯罪を犯した事にはなりません。 金槌の父親でも、助けを求める義務が有りますから、助けを求めなかったら不作為の犯罪を犯した事になると思います。

【為政者の不作為の犯罪】
 為政者、役人及び議員達には、「国民の生命と財産を守る義務」が有ります。日本では何故か?「為政者の不作為の犯罪」を追求しません。

 警察、検察、裁判所、マスコミも「為政者の不作為の犯罪」は放置します。 学校で担任の先生の目の前で「虐められていた子供が、その場で自殺したケース」を考えて見て下さい。 ”虐め”は犯罪ですから、先生には助ける義務が有ります。 先生は”虐め”と言う不作為の犯罪を犯した事になります。 自殺した子供の父母と祖父母は、虐めた子供と担任の先生が「”殺人”と言う不作為の犯罪を犯した」と考えるでしょうが、「判事はそう考えない」と私には思えます。

 では、先生の目の前で虐められていた子供を、先生が放置して、その子供が下校途中に自殺したケースはどうでしょうか? ”虐め”を放置したと非難されるだけで、刑罰の対象にはならないと思われます。 私は、納得しないですが!

 教育長には、先生達に「虐めを放置してはならない」、「虐めが発生していたら報告しろ」と指示する義務が有ります。虐めの存在を知っていた教育長が、何も対策しないで子供が自殺した場合、教育長も”虐め”と言う不作為の犯罪を犯した事になると私は考えています。 

【虐めとパワハラに関する法律】
 私は、「虐めとパワハラは同種のもので、同じ様な犯罪だ」と考えていますが、政治家や官僚は別のものだと考えている様です。 『虐め』については文科省が下記の①の法律を、『パワハラ』については通産省が所轄で②の法律を定めています。

 学校に通う子供がやったら『虐め』で、社会人がやったら『パワハラ』です。

① いじめ防止対策推進法 2013年(平成25年)6月28日に公布されました。

② パワハラ防止法 :労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(労働施策推進法)

 1966年に『雇用対策法』が制定されました。戦後20年経過して、日本の経済が回復/発展して、技術労働者が不足して来た状況に対処するために設けられた法律です。

 この法律は、2018年に改正され、トンデモナク長い名称・『労働施策の総合的な・・・職業生活の充実等に関する法律(労働施策推進法)』に変更されました。

 更に、2019年に一部改正されて俗に『パワハラ防止法』と呼ばれる様になりました。

【二つの法律の問題点】
 上記①と②の法律には、罰則規定が全く有りません。①の法律では、「先生達が虐めを見付けたら警察に相談しろ!」となっています。警察は刑法に規定された『どの犯罪』で、虐めが行われたか?を捜査する事になります。

 『虐め』と『パワハラ』では、『口の虐め(言葉の暴力)』が多いですが、①と②の法律には”言葉の暴力”は規定されていないので、刑法・231条の『侮辱罪』に該当する様です。侮辱罪の罰は軽くて「拘留又は科料に処する」と規定されているだけです。

 日本では、「口で虐められたくらいで、”へこたれる”のは駄目人間だ!」と言う考え方を持った人が多いい様に思われます。 純粋な子供は言葉の暴力には耐えられ無いと思いますから、①の法律に「言葉の暴力で虐めたら、少年院に入れる」くらいの罰則規定を盛り込むべきだと思います。

 ②のパワハラ防止法は、「パワハラを定義して、企業にパワハラが起こらない体制を作れ!」と要求しただけの法律です。 企業が体制を作らなくても罰則は有りません。 パワハラが発生しても「警察に相談しろ」とも書いていません。

 国会議員達は悲惨な現場を見た事が無いのだと思います。 ”虐め”や”パワハラ”が社会問題になって来たので、好い加減な法律を作って、お茶を濁して置けば政治家の責任は問われ無いと考えたのでしょうか? 皆さんは、こんな法律で”虐め”や”パワハラ”を減らせると思われますか?

 政府だけで無く国会議員達にも、”虐め”や”パワハラ”から国民を守る義務が有ります。「セクハラは犯罪だ!」と多くの国民が考える様になりました。 ”虐め”や”パワハラ”は法律を改正しない限り、減少するとは思えません。国会議員達がこのまま放置したら、不作為の犯罪を犯していると言われても反論出来ないでしょう!

(余談) 酷い『口の虐め』には大人でも耐えられません。某中小企業に出向した時、現場社員が口で虐めるので、次から次へと辞めていきました。 私の(父親のいない)甥の一人が、小学校で『口の虐め』に遭って不登校になりました。 フレックスタイム制が始まっていたので、登下校時に私が行くと言ったのですが、姉が反対したので出来ませんでした。 その甥は小学校と中学校に殆ど通いませんでした。

【中途入社が難しい日本】
 日本は今でも、大企業の多くは年功序列制度です。 ブルーカラーの場合でも、大企業の多くは中途入社を認める所が少なく、派遣社員で働く事になります。 大学卒の場合は、企業が求める特殊な技術/経験の有る人以外は、中途入社は難しいです。

 貴方のお子さんやお孫さんが、一生懸命勉強して一流大学に進み、一流と言われている企業に就職したとします。 不幸にも酷い上司の下に配属されて、連日パワハラを受けて退職したら、どう思われますか? 優良企業に中途入社出来たら万々歳ですが、私の知り合いでは中小企業に中途入社して苦労した方が多いいです。

 アメリカでは、一流大学を出たら数年で別の会社に移ってキャリアを磨き、給与が上昇する様です。同じ会社に十年以上勤めたら「仕事の出来ない奴だ!」と見られてしまいます。 日本がアメリカの様な社会になる迄は、「パワハラは非常に重大な犯罪だ!」と規定する法律に改定すべきです。 (欧米諸国以上に、日本ではパワハラを厳しく罰し、取り締まるべきなのです。)

【私の子供の頃の虐め】
 私の子供の頃は、虐めは少なかったですが、山村の小さな学校でも虐めは有りました。 虐めは人類共通の性(さが)なんですね!

 村には幾つか小学校が有って、この話は私の小学校では無かったのですが、酷く陰湿な虐めが問題になった事が有りました。 山林大地主とその家の番頭さんに、私とほぼ同じ年齢の息子がいました。 地主の子供が連日、番頭さんの子供を虐めるのです。 地主さんは立派な方で、村でお金を集める必要が有ると、父が何時も寄付をお願いしに行っていました。

 ある日、村の旦那衆が数人・我が家に来られて、父に「地主さんに状況を話して欲しい」と頼みました。 多分、父は出掛けて行ったのだと思いました。 それ以来、その虐めの噂を聞かなくなりました。

 私の小学校に、二歳ほど年上の悪ガキがいて、年下の子供に石を投げたり、殴ったりしました。女の子まで虐めるのです。 私は絶対許せ無かったので、目の前で虐めたら殴り合いの喧嘩をしました。 先生達は見て見ぬふりをして、何も言いませんでした。 母の耳に入ると、何時も叱られました。 それでも懲りずに、悪ガキに立ち向かいました。

 毎年・修了式の時、「品行方正学力優秀」と「学力優秀」の賞状が渡されました。 成績はダントツでしたが、喧嘩を続けたので「学力優秀賞」しか貰えませんでした。

 高校で剣道部に入りました。 部員の多くは、中学時代に初段に合格していました。 私は段級試験は受けませんでしたが、練習を始めて直ぐに『籠手(こて)』だけマスターしました。3年生に二段か三段の悪い部員達がいて、彼等は私の練習の相手をしてくれるのですが、私の『籠手』には勝てないのです。 彼等は勝手に、「籠手は禁止する」と言うルールを作りました。

 彼等は、防具の無い所を思いっきり叩くので、私は青痣(あおあざ)が絶えなかったのです。 一年半ほどで剣道部を辞めましたが、虐めが問題でなく、成績が低下して来たためです。

【私が見たパワハラ】
 私は40年間ほどサラリーマン生活を送り、色々有って職場を転々として働きました。 その為に、普通の方よりもパワハラの現場を沢山!沢山!見ました。 酷いパワハラを受けた被害者が、会社を辞めたケースを十数件覚えています。

① SN氏 :この話は、平社員の時は正常でも、管理職になると急にパワハラを始める人間がいると言う例です。 入社1年目(1971年)に仮配属になった課に、私より10歳ほど年上の社員(SN氏)がいました。 SN氏は公立大学の化学機械科卒でしたが、並外れて数学が苦手で、仕事をしている振りをするのは上手でしたが、まともな仕事は出来ませんでした。 誰かを虐める様な事は無く、普通の駄目社員でした。

 1986年に神戸本社に有った開発部に私が転属になった時、SN氏は部下3名の課長になっていました。 部下達は結構優秀な社員で、仕事は部下任せの駄目課長でしたが、部下を虐めている様には見えませんでした。1年ほどして、SN氏は部下と一緒に工場の設計部(EC設計部)に移りました。

 1988年に私もEC設計部に転属し、名目上はSN氏の部下と言う事になりました。(出張旅費の精算時にハンコを押して貰うだけの関係でした。) 約1年間の間に、SN氏はパワハラを繰り返す鬼の様な課長になっていました。

 SN氏には、(私を除いて)部下が5名いたと記憶するのですが、部下の一人を二、三か月間・毎日!毎日!徹底的に虐め、その後・別の部下を虐める・・・これを繰り返しました。私とSN氏の席は対面でしたので、SN氏の無茶苦茶な/非論理的な説教が、毎日2時間以上耳に入りました。

 当時・EC設計部は、ワープロとパソコンを・それぞれ数台所有して、部屋の端の専用の机に置いていました。 虐められていた課員(A氏)が、社内向け資料をワープロで作成したのですが、「社内向け資料は手書きすべきだ!」と二、三時間怒鳴るのです。 A氏が次の日に、手書きの社内向け資料を作成すると、「こんな重要な書類はワープロで作成すべきだ!」と、又、二、三時間怒鳴るのです。

 入社2年目の温和なB氏が虐められ始めました。B氏は超有名な国立大学卒で、数学に強く、難しいシミュレーションプログラムが作成出来ました。 些細な事でSN氏が連日怒鳴るので、私は「貴重な人材だのに、このままでは辞めてしまう!」と心配になりました。 次長は話の通じる方だったので、「当分の間、パソコン1台をB氏専用にさせて下さい」とお願いして、了解を得ました。

 その日からB氏は、私が温めていたシミュレーションプログラムの作成を始めました。SN氏が私に、「最近、B君は何をしているのか?」と聞くのです。「現有の○✕用の計算プログラムは、実機の運転結果と全く違うので、新しいコンセプトのプログラムを作成して貰っている」と答えると、「ふん!」で終わりました。

② 躁病のHK氏 :皆さんは躁病の方と同じ部署で働いた事が有りますか? 私は二人知っています。 その内の一人・HK氏は30歳代の部下が二人いる、営業の責任者でした。HK氏とは、半年ほど同じ職場でしたが、常に躁の状態でした。

 部下の二人は、HK氏に実に旨く対応するので感心しました。HK氏が客先を訪問する時は、部下の一人に運転させて出掛けるのです。多分、車の中で怒鳴られ続けたのでは?と想像しましたが、部下は何事も無かった様な顔で帰って来ました。 帰社後・直ぐに、HK氏は他のグループの社員を怒鳴り始めました。 例外の日は有りませんでした。

 HK氏は暴力は振るいませんでした。 彼の席の近くに女性社員の席が有りましたが、不思議な事に、女性社員を怒鳴るのを見た事が有りません。 (女性社員は「毎日!毎日!の怒鳴り声にはうんざりする」と言っていました。彼女に矛先が向いたら、多分・辞めたと思います。)

 部の忘年会で少し酒が入った時、私が「家で会話が出来ますか?」と聞いたら、怒る事無く「長いこと、妻と息子と話した事が無い。三人がパソコンでメールして必要な事は伝える。御飯が出来た!とか風呂が沸いた!」、「家にパソコンが3台有る」と答えました。

【私へのパワハラ】
 私がパワハラの被害者になることは少なかったです。 若い頃から散々な目にあわされた重役待遇のTK氏から、「相談したい事が有るから来い」と言われ、遠路はるばる/渋々出掛けました。会議室に案内されると、「✕○の開発を担当させてやるから、この場で土下座しろ!」と言い出しました。

 「冗談だろう」と思ったのですが、TK氏は本気でした。✕○の開発はTK氏の昇格が掛かった重要な開発だったのです。TK氏は「土下座!、土下座!」と言い続けましたが、断って帰りました。 二、三日後に、部長から「TK氏が、君を1年間・貸してくれと言うので断れなかった」と言われ、結局・私は✕○の開発を担当する事になってしまいました。

 1年間で✕○の開発は完了したのですが、人事上の職場に返してはもらえず、結局4間も貸し出されたままで、その間に部長は平取に昇格され、私の事は忘れてしまった様でした。

 私は他部署に貸し出されて重要な開発を担当するのが、この時が4回目でした。3回目までは前任者が暗礁に乗り上げて、精神的にオカシクなって会社を辞めていました。

 重要でない開発だと失敗しても責任を問われる事が無い会社でしたが、社長や副社長絡みの重要な開発が旨く行かなくなると、連日怒鳴られるのです。 これは、明らかにパワハラです。私が4回の内、1回でも失敗していたら、会社に残れなかったと思います。



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