これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

企業の民主化 (その1)

2019-10-26 07:03:07 | 民主主義
 今回から、企業の民主化について私の経験と考えを書きます。 私は、沢山の会社を訪問する事が出来、色々勉強させてもらいました。 ”民主化”とは関係無いのですが、「何故そんなに多くの会社を知る事が出来たのか?」を知って頂きたくて、初回は脱線させて頂きます。

【素晴らしいアドバイス!】
 私は、入社1年目は長い新入社員研修の後に、仮配属で専門とは全く違う課で仕事のやり方を勉強しました。2年目になって正式配属で、技術者として非常に優秀な方(課長)の部下になりました。 初めて、加工業者を呼んで打合せをした時、課長に「君は新入社員なんだから、業者を呼んで打合せをしてはならない。 今後は、君が業者の所に出向いて打ち合わせる様にしなさい」とアドバイスしてもらいました。

 このアドバイスは、私の技術屋としての人生にとって、掛替えの無い”宝物”になりました。 私はまだ二十歳代の若造でしたが、相手の会社に出向くと、複数のスタッフと打合せが出来、製造現場を案内してくれました。 (私は依頼する仕事に関連する工学の専門書を読んで、打合せに臨む様にしました。加工業者は一般に、経験による知識は豊富ですが、工学的な知識は少ないのです。)

 何回も会っていると、(年は親子ほど違った)友達の様な関係の社長が、複数出来ました。 会社の経営状態、職場の雰囲気、社員の給料レベルまで分かる様になりました。

(余談) 若い社員を預かる様になって、新入社員には業者の工場に出向いて打合せする様にアドバイスしましたが、彼等は業者を呼び付けて打合せをしました。 仕方が無いので、初回は私が連れて行くことにしましたが、私のアドバイスを受け入れてくれた社員は、残念ながら一人もいませんでした。

【加工業者の調査依頼】
 入社10年目になった頃には、色々な所から「こんな加工が出来る業者を紹介して欲しい」と言った依頼が来る様になりました。 重役経由のケースが多かったので、調査の為の出張が”すんなり”と認められ、一泊二日で出掛ける事も多々有りました。

 将来、大きな取引になりそうな案件の場合は、後術の「加工ブローカー」を利用せずに、必要な加工技術を有する企業が多くある地域の商工会議所などに行って、加工業者の会員名簿を頂き、後は”感を頼りに”足で探しました。

(余談 :悪徳探偵会社)  私が種々調査/検討して他部署に推奨した会社から、「悪徳探偵会社が来た」と電話が有りました。 浄水器の様な製品を売りつけ、「買わないと、貴社を悪く書く」と脅すのです! こんな悪徳商売は、探偵が個人でやる場合が多いいので、探偵社の選定には注意が必要です。

【工場サーベイ(調査)】
 「F社との取引を検討しているのだが、F社の内情を調査して欲しい」と言う様な依頼も時々有りました。 最初に私は大ミスをしてしまいました! F社が有名な観光地の近くにあり、ビジネスホテルや安宿が無かったので、F社に宿を探して貰ったのです。 なんと! F社は超高級ホテルのスイートルームを予約して、代金が支払い済みだったのです。 幸いにも、F社は申し分の無い優良企業だったので、噓の報告書を作成する必要が有りませんでした。

【加工ブローカー】
 昔は、インターネットが利用出来無かったので、加工業者を探すのは非常に難しかたです。 当時は、大手企業の殆どに協力会社の組合が有り、その組合に入っている、どの会社でも出来ない加工だけ、”加工ブローカー”に依頼していました。

 加工ブローカー(A社)とは仲介業者の一種です。 某企業(B社)がA社に新しい加工業者を探して欲しいと言うと、適当なC社を紹介してくれます。 B社がC社に注文すると、支払い金額の2~3%を(何時までも)A社が取り続けるのです。

  私は、2社の加工ブローカーと親しくなりました。 私の関係で2社が毎年、どの程度利益を得ているか?把握していました。 新しい調査を依頼する時、「今回の依頼は、旨く行っても○○年後には直接取引にする!」と宣言しておきました。(○○年後から、加工ブローカーはピンハネが出来なくなるのです。)

(余談) 私が付き合った加工業者は社員数名の小さな・個人企業の様な会社でしたが、結構遠方の加工業者も知っていました。 同じ加工をする会社でも、量産に対応出来る、値段が安い、精度が高い等々・・・それぞれの会社の特性を良く知っていました。 加工ブローカーと雑談するのは、楽しくて勉強になりました。

【設計協力会社】
 私は若い頃、数年間設計部に所属していました。 正社員は計画図を作って、出来た図面をチェックするのが仕事でした。 各課に、設計会社から1名か2名製図工が派遣されていて、彼等がオーバーフローした分は、設計会社の社長を呼んで、資料を渡し/説明して、社長の事務所で図面化して貰いました。 正社員の技量は”まちまち”で、要領の悪い正社員に派遣社員を付けたのです。

 私は、朝か夕方の通勤途中で設計会社の事務所に寄って、実際に図面を描く人に説明し、出来た図面はその場でチェックしました。 このやり方だと、図面の修正が少なくなり、時間が大幅に短縮されるのです。 設計会社に支払う金は、完成した図面のサイズと枚数で決めていましたので、設計会社にとっても大きなメリットが有りました。 それで、設計会社の社長達と親しくなれたのです。 (設計会社の給料も把握出来る様になりました。)

【その他】
 私は長い間、新機種の開発に従事したのですが、「機械を開発するのは難しいが、開発した機械を売るのはもっと難しい!」が私の持論です。 私が開発した機械を、自分でセールスに回りました。 顧客は大企業~中小企業、業種は多岐に渡り、農家にも行きました。

 製造業や装置産業、大形の船舶にも行きました。 国立の研究所、大学等にも装置を納入し、据付/試運転にも参加しました。 そんな訳で、ブラック企業の職場、生き生きとした職場、明るくて清潔な職場、非常に危険な職場、飛んでもなく”臭い”職場・・・色々見て来ました。

(余談 :中小企業診断士)
 私は東京勤務の時に、自費で中小企業診断士の夜間の講座に通いました。 それまでに沢山の中小企業と取引していたので、アドバイスが必要な会社は、どんな素晴らしい提案をしても受け付けないケースが多いい事を知っていました。 中小企業診断士になろうと思ったのでは無く、経営数字の読み方を勉強する為に受講したのです。 (結局、試験は受けませんでした。)

 1996年に最初に出向した会社は、債務超過になる寸前の状態でした。 勿論、私は技術屋として出向したのですが、社員の給料、仕入れ金額、受注金額、預金額など、何でも見せてくれました。 中小企業診断士の勉強をしていて、良かったと思いました。

 この会社は、1台が数百万円~数千万円の機械を設計/製造していたのですが、受注した機械が幾らで出来たのか?全く把握出来ていませんでした。 期末になって、「その年が赤字だったか、黒字だったか」が分かる状態でした。 私は、新機種の開発をしながら、エクセルで機械の仕様をインプットすると製造コストが計算出来るプログラム(見積・積算プログラム)を作成しました。

 経理は、社長の奥さんと、女性の担当者で見ていました。 運転資金が少なかったのですが、当時は1億円以上の引き合いは有りましたが、受注出来なかったのが幸いでした。 1台1億円以上の機械を受注をしていたら、奥さんはきっとキャッシュフローで悩まれたと思います。

 事情が有って、私はこの会社から別の会社に出向させられたのですが、60歳の定年になって、この会社に再就職しました。 最初に出向した時の状態に戻ってしまっていて、経営状態も悪化していました。 私が前に作成した、見積・積算プログラムも活用していませんでした。