MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

演奏者の僕 (しもべ)

2012-06-07 00:00:00 | その他の音楽記事

06/07      演奏者の僕 (しもべ)



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 「2、3年の間、死んでみたいんですよ。 向こうから見て
いたい。 一体、本当に・・・音楽界に・・・私が必要なのか
どうか・・・」



 リハーサル3日目、途中の僅かな休憩時間。 控室に戻る
とへたり込むように椅子に腰を落とし、荒い息を吐きながら、
途切れ途切れ絞り出すように呻いた。

 疲労の極みに達していた。 3時間程の睡眠が1ヶ月間も
続いている。 リハーサルで疑問が残ったパートの譜面は
自宅に持ち帰り、朝方までかけて全て自分で直すのが習慣
になっている。 この日も朝の7時までかかった。 テーブル
に肘をつき、うなだれたまま眼を瞑り、じっとして動かない。



 「みんなは私が死んだ後、『あいつがいないとまずいよ』
と言うのか、『あの野郎、死にやがった』と言うのか・・・」



 憔悴ぶりに気を使ってか、リハーサル開始予定を5分
程すぎてマネージャーを務める女性団員が呼びに来た
時、烈火のごとく怒りをあらわにした。 「何もかも演奏
者のために用意周到に準備して、こっちはいるんだ。
約束を守らない、と思われたらどうするんだ!」



 ふっと弱い声になり「一事が万事、これです」。 怒りが
残していった光が、微かながら眼に宿っている。 「誰か
私の代わりに寝てくれませんかね」。 冗談のように言い
おいて指揮台に向かっていく。




 (これは、あるウェブサイトから一部を抜粋、引用したものです。
 それは後ほどご紹介することにして、もうしばらくお読みください。





          軍手をはめたマエストロ



 新宿オペラシティのリハーサルルーム。 初日。 自分で運転
してきたトラックを搬入口につけると、指揮者自らステージ作り
のための資材を降ろし始める。 1つ1つ演奏者の位置を確認し
ながら、演奏台を修正し、椅子、譜面台の位置を確かめていく。



 譜面台に置かれる楽譜はこの2ヶ月の間に指揮者自身が作成
したものだ。 隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜から一段
ずつ拡大コピーして切り貼りする。 譜めくりの時に演奏に支障を
来さないよう、各パートの休みの箇所がめくりの場所になるよう
配慮されている。 眼に優しいように少しクリームがかった色の紙
を特注している。 練習の時に、散らばった楽譜を集めても直ぐに
パートが分かるようにパート毎に表紙の色を変えている。

 こんなことまで指揮者がやらなければいけないのか、という思い
がよぎる。 こうした様々な配慮がされているのも、演奏者が音楽
だけに集中できる環境を可能な限り作りたいためだと気付いたの
はリハーサルが始まってからだった。 そう、それらが語っている
ことは「演奏では一切手抜きをさせないぞ!」だった。



 リハーサルが始まる。 曲が始まった途端の停止。 演奏者
ごと名指しの注意、説明。 同じ場所を繰り返すうち、次第に
語気は荒くなっていく。 ニュアンスをピアニカで吹いてみせ、
どのような思いを込めて演奏するかの比喩があり、叱責があり、
罵倒があり、時に笑わせ、嘆き、ついには哀願がある。 威嚇、
戒め、叱咤、激怒、肯定、悲嘆、失意、謝罪、激励、合点、納得、
称賛、感謝。 人の持つあらゆる感情、表情がそこにある。

 そうしながら、ほんの少しずつ先へ進んでいく。 曲の深み、
意味を伝えていくのに、その部分のメインの奏者が一種の
生贄になる。 1人を罵倒しながら全員に伝えているのだ。



  宇宿允人 - NTTファシリティーズ (2003年夏) より

 (注) "隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜" とは、
    指揮者用スコアのことです。





 前回までお聴きいただいた、指揮者、宇宿 允人
(うすき まさと) 氏の映像音源

 そしてそれを取り上げた Facebook 内のページ。

 演奏に対する様々なコメントもお読みいただきました。



 コメントの中には、以下のようなものもありました。




 演奏者が尊敬の念を抱いていないのは明らかだわ。
彼が登場しても、みんな座ったままなんだから!

 obviously they have no respect as did not stand for
his entrance !




 音楽は演奏者次第で、指揮者次第ではありません。 それが
幸いしましたね。 さもなくば、列車は直ちに脱線するでしょう。

 Good thing the music is really up to the performers and not
the conductor or that would be a train derailing so fast.




 指揮をするのは、オケに君臨してる者だわ…
そうなると…それも、ここまで来るとね…。

 da dirigiert der Orchesterbestuhler. . . .wenns
so was gibt. . . wow, so was von daneben,. . . .




 音楽家たちは曲を知り尽くしているから、どのみち、実際は
指揮者なんて要らないのよ。

 The musicians know the piece by heart so they don't really
need a conductor anyway.




 指揮者なんて、本当に必要なの!??????? そのいい例
だわよね。

 goes to show, do you really need a conductor!???????




 これらが如何に的外れであるか、よくお解りいただける
でしょう。



 そもそも前記の音源映像がリンクされていたのは、Facebook
内のClassical Music Humorなるページでした。 タイトル
は "How to ignore the conductor...." (こうして指揮者を無視
する、2012_05_27) です。

 予断を持って視聴した者も、きっと多かったことでしょう。



 しかしまた一方で、嘲笑とは一線を画した真摯なコメントも
見られます。 音源映像をシェアした者は、この記事をアップ
した時点で288名、「いいね!」と賛同の意を表した者は511
名に上ります。 ただし、このページの他のトピックに比べる
と、共に少ないと言えます。

 笑いの材料として喧伝した者もいるでしょうが、好意的な方
が一人でも多からんことを、切に望むものです。




 否定的なコメントが多かったわけですが、それらに全然根拠が
無いわけではありません。 特に、指揮の動作に言及したものが
多く見られました。

 ご本人によれば、「かっこ良さなど、考えたことが無い。 そんな
余計なことを考えると、ふと隙間風が入り込んで来てしまう。」

 また、再三お断りしてきたように、演奏者の視点で彼の動作
を眺めれば、決して見やすい指揮とは言えません。 まことに
僭越ながら直言すれば、「手の動きがほとんど常に下向きなの
で、行き場を失って細かく震える」…ということになるでしょう。
今回の映像に限った話ですが。



 打楽器関係の方はよくご存じのことですが、叩く際に重要なの
は、バチの上向きの運動です。 「バチが上がりきったところで
音が出る」…つもりで叩け。 そう聞いています。

 また弦楽器も、発音原理はよく似ています。 もっとも上下運動
の距離には大幅な差がありますが。 またこれを演繹すれば、管
楽器や歌唱の原理にも行き着きます。



 上向きの運動は、力の解放にとって必須のものです。 ダンス
がいい例ですね。

 指揮も、運動としては、これと同じ。 それを視る奏者たちも、
無意識に同調し、準備し、呼吸しながら音を出します。




 しかし、どんな指揮者にもクセがあります。 また今回は
指揮者ごとに比較する場ではなく、私にはその権限も無い
ので、ここまでにします。




 それどころか、私も氏から演奏上の指摘を受けたことが
あります。 リハーサル際中でした。



 ただし、痛罵されたのではありません。 若い奏者の方々
が多い中、たまたま年配者だったので、配慮してくれたので
しょう。

 それは、当夜のプログラムにあった、バッハの管弦楽組曲
第2番の中の、ある曲、そのテンポ感に関するものです。



 私は今でもそれを忘れません。 なぜその指摘を受けた
のか、思い当ることが多々あるからです。 これには今でも
感謝しています。




 若輩の私が氏とご一緒できたのは、たった5日間だけ。
4回の練習と、本番当日でした。

 氏は、2011年3月5日に他界されました。



 その唯一の演奏会が、たまたま Facebook 上でリンク
されたわけです。 私の友人 Hさんが、教えてくれたの
でした。 まさか、そこで私が弾いていたとは知らずに。



 面白い偶然の連鎖ですね。 そのお蔭で、この一連の
記事を書くことになったのですから。




 なお蛇足ですが、前回私が記した文章の中から一箇所
だけ、再度お読みいただきたいと思います。

 「聞えて来る音と、視覚との一致を望むのは、鑑賞者の
視点。 そして、客受けを狙う派手好みの指揮者が用いる、
常套手段でもあります。 でも、呼吸の準備が必要な演奏
家は違う。 すべてを事前に整える必要があるのです。
オケでも、室内楽でも、またソロの場合でも。」





 最後に、友人Hさんの名文をご覧いただきましょう。 今回の
記事と直接の関連はありませんが、ご了承をいただけたので、
ここに掲載させていただきます。

 溢れるユーモアの中に顔を出す真理。 お楽しみください。




 「有名」と「一流」とはまったく別の概念である。

 有名人がみな一流なわけではないし,一流の人がみな有名な
わけではない。 しかし,「有名どころ」を支持する人の中には,
大変生意気な言い方で恐縮だが,全く物事がわかっていない
人が結構いるように思われてならない。

 これを「有名どころ」の演奏会を例にとって説明すると・・・



 「あの指揮者,かっこいい~!」 (←格好だけは良いが,
肝心の棒・・・ここでは指揮者がやろうとした音楽の内容の
こと・・・は全く「デクノボウ」だ,このべらボウめ!)

 「あの女性奏者の衣装がステキ!」 (←衣装だけはステキ
だが,肝心の音楽の内容は全然ステキじゃないんですけど!)

 「今日の演奏,迫力満点だった!」 (←迫力だけは満点だが,
それ以外の音楽の要素はすべて零点!)

 ・・・てな具合。


 
 とにかく,「有名」が「一流」だとは,ユーメーユーメー思うなかれ!




 以下は関連サイトです。



         宇宿 允人(うすき まさと) (wikipedia)



          宇宿允人の世界 公式サイト]



  孤高の指揮者宇宿允人を偲ぶ西部邁ゼミナール 2011年7月9日放送]



  孤高の指揮者宇宿允人を偲ぶ2西部ゼミナール 2011年7月16日放送]




         上記を含む 宇宿允人検索サイト]