おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

ヴァーチャルとリアルの断層

2013年09月02日 09時27分37秒 | 日記


初秋にこんなに長く雨が降り続くことがあっただろうか?

どうも気持ちまで陰鬱になってしまう・・・

テレビを見ていると時に世相の変化に気付くようなこともある。

最近世の中はスマホ時代に突入。もう携帯は過去の遺物に成り下がってしまった。

携帯の機種を変えようとショップに行った時に驚いた折りたたみ式のこれまでの携帯がない

店員に相談したら2種類しかない折りたたみ式携帯を紹介してくれた。メーカーは視線をスマホに合わせてしまっているので元の携帯の開発、機能改善、モデルアップはストップをしてしまっている

写真は移りが悪くなっているし、ポケットに入れていると知らずに腰かどこかに触れてすぐマナーに替わってしまっている。だから着信に気付かないことが度々。

替える時に思い切ってスマホにして居れば良かったーとは「後悔先に立たず

現代人は携帯に縛られているのではないか?携帯がもたらす情報は素早く、便利で価値のあるものも確かにある。便利と快適とファッション性が現代のキーワードになっている。



街を歩けば若者も中年も誰しもがスマホを手に歩きながら見たりメールしたりー豪傑は運転しながらメールを打っているばか者も目立つ

このパソコンもネットに繋げばそのまま世界に繋がっているということを実感する

田舎に住むことを決め移住して3年。現役という一つの役得として様々な分野の情報が自動的に入ってきた。

しかし、人口1万人余の小さな限界集落、もしパソコンもラジオもテレビも新聞さえなければ時代に取り残されてしまうだろう。

情報はどうしても必要だ。しかし、人間それぞれが情報に価値を設定する必要がある。「見っ放し、聞きっ放し」状態で洪水のように流されてくる情報を脳はきっと処理しきれない。だから必要なものを峻別して獲得すればいいのだが、メディアは人の理性を惑わせるような刺激的なものを次々送り出す。

地獄への道は善意で舗装されている

流行に後れまじと子どもが親にねだって買ってもらう。小さな子までスマホを持っている。そして依存症の発生。

スマホに繋がっている時、たとえその人がどんな場面に立っていても自分は一人ではないという、自分の隣に友達が存在するような錯覚を抱くのではないかー

15歳の少女が殺害された。なぜあんな時間に、あんな場所(帰り道ではあるがー)を一人であるいていたの?きっとそこにはスマホの影響があると思う。ボタン一つで友達と社会と繋がることができる。すぐ隣に親しい友人がいる。・・・

違う「あなたは一人なんだ!」周りにはあなたを狙っている不気味な異常者がいるかもしれない。

友達と繋がっているとはバーチャル=仮想現実。あなたのリアルは暗い人のいない危ない場所に一人いるというのが現存在。

現代は急ぎ過ぎだ。

「あまちゃん」は最先端の情報創出の場所とゆっくり自然に向き合って生きている北三陸の田舎との対比を基底においている。東北出身の工藤官九郎がこれから震災をどう描き、アキが生きていく方向をどう選ぶのか

時計19秒前に異常発覚でロケットが延期された。こういう0.○○秒の違いを許さないという世界もある。しかし、一般人はもっとゆったり生きていたっていいんじゃない・・・