漬物二種類は、今日になっても歯ごたえよろしく、美味しいです。
何処の国にもありますけど、お漬物って賢い料理だと思います。
新鮮な野菜を、ちょっと時間差つけて、いただける。
普通は塩を振って、水が上がるのを待つけど、塩水で温めれば、塩分も少なくて済みます。
確かに、味がちょっと薄いけどね。
今日は、富山のホタルイカと共に、昼食しました。
ジムの後、どこを歩くか考えて、「大新田」へ行きました。
歴史から見て、東山麓から米作農業が始まり、農具川を越えて、人々が集まり、
市が立つようになったのが、今の商店街の始まりです。
すると、この辺りは、仁科さんが竈神社南側に館を移した後に、開墾されたはず。
だからこそ、「大新田」と名付けられたってことでしょ。
高瀬川の東から、農具川の西側に広がる、平坦な土地は、
住めるような状態になったのは、最後の最後と見ました。
ただ、鉄道が松川村から、この地を回り、昭和電工が建築された。
養蚕が盛んになって、後に東洋紡が進出した。
すると、たちまち田んぼはなくなって、工場と宿舎に。
今では、残っていたであろう田畑が、宅地になって、新築の家が増えているようです。
東洋紡跡地の西側だけでなく、高瀬川の直近にまで、家が建築中。
知らない場所を歩くのは、なかなかスリリング。
ここは、両側が川で行き止まりなので、車の量も少ない。
JRの線は越えなかったので、また、探検してみましょう。
何処の国にもありますけど、お漬物って賢い料理だと思います。
新鮮な野菜を、ちょっと時間差つけて、いただける。
普通は塩を振って、水が上がるのを待つけど、塩水で温めれば、塩分も少なくて済みます。
確かに、味がちょっと薄いけどね。
今日は、富山のホタルイカと共に、昼食しました。
ジムの後、どこを歩くか考えて、「大新田」へ行きました。
歴史から見て、東山麓から米作農業が始まり、農具川を越えて、人々が集まり、
市が立つようになったのが、今の商店街の始まりです。
すると、この辺りは、仁科さんが竈神社南側に館を移した後に、開墾されたはず。
だからこそ、「大新田」と名付けられたってことでしょ。
高瀬川の東から、農具川の西側に広がる、平坦な土地は、
住めるような状態になったのは、最後の最後と見ました。
ただ、鉄道が松川村から、この地を回り、昭和電工が建築された。
養蚕が盛んになって、後に東洋紡が進出した。
すると、たちまち田んぼはなくなって、工場と宿舎に。
今では、残っていたであろう田畑が、宅地になって、新築の家が増えているようです。
東洋紡跡地の西側だけでなく、高瀬川の直近にまで、家が建築中。
知らない場所を歩くのは、なかなかスリリング。
ここは、両側が川で行き止まりなので、車の量も少ない。
JRの線は越えなかったので、また、探検してみましょう。