櫛田川(くしだがわ)の支流の秡川(はらいがわ)です。
平野部をうねうねと蛇行して伊勢湾まであと少し。
上の写真は、下の小さな橋「御糸(みいと)橋」の上から撮影しています。
(御糸地区には、昔ながらの古い建物の「御糸織物工場」があります。
今も、植物の藍で糸を染めて、縞模様の反物を機械で織るまでの作業を一環して行っています。)
川沿いの道。
前も後も田んぼと畑。
所々にこんもりした林があります。
道路沿いの木の枝が通行の邪魔になるのでしょうか。
伐採された木々がまるでオブジェ。
平野部をうねうねと蛇行して伊勢湾まであと少し。
上の写真は、下の小さな橋「御糸(みいと)橋」の上から撮影しています。
(御糸地区には、昔ながらの古い建物の「御糸織物工場」があります。
今も、植物の藍で糸を染めて、縞模様の反物を機械で織るまでの作業を一環して行っています。)
川沿いの道。
前も後も田んぼと畑。
所々にこんもりした林があります。
道路沿いの木の枝が通行の邪魔になるのでしょうか。
伐採された木々がまるでオブジェ。
その名もずばり「霊山」の名が地図に見えます。
私は、両親とも京都の下鴨神社のそばで生まれ、
昔は、葵祭の時には提灯を吊るし、鯖寿司をどっさり食べていましたが、葵祭りの主人公「斎王代」とは何なのか、ついこの間まで、まったく知りませんでした。三重県の斎宮跡の近くに住むようになるなんて!驚きです。
ここは、果樹のある庭と、明るい小さな畑と、かわいい平屋に一目ぼれで越してきました。(一応スーパーや病院はチェックしましたが。)斎王とか斎宮のこととかを知ったのは引っ越しを決めてからでした。歴史に興味がないわけではないのです(民俗学には興味があります)が、どちらかと言うと、冒険、探検が好きで、自然が好きで、遅まきながら、へぇ~、すごい、と感心しながら、伊勢街道や熊野街道の地図を見たり、本を読んだりしています。
男鹿に住んでその3倍ほどの時間が流れました。
斎王はいろんな小説などで読んでいます。
移住前の京都はもちろんのこと、
そちらはあまりにも歴史事跡が多すぎて
目移りしてしまうのではないですか。
ネットで調べてみたら秡川は各地にあるようです。
知りませんでした。
山形では、羽黒山に登る前に、秡川で身を清めてから登った、という記述がありました。
俄然興味がわきました。
kmitohさんの故郷はどちらでしょうか?
我が家の近所を流れる祓川は、斎宮に近くて、
斎王が禊をした、と言われています。
(伊勢神宮の祭祀のために、天皇の未婚の娘の中からト定で選ばれ、斎王となって、伊勢に送られ、斎宮で潔斎生活を送ったそうです。都で天皇が亡くなるなどの政変がない限り、都に帰ることはかなわなかったそうです。660年間続いたそうです。広大な宮殿・御所が今も発掘中です。)
祓川と名付けられた細流が流れています。
故郷にも祓川がありました。
近くに神社でもあるのですか。