京都の町なかは一歩路地を入ればお地蔵さんがあって、
花がお供えしてあって、そばに一円玉とか10円玉が置いてあることもあります。
私が住んでいる所にもお地蔵さんがあります。
30世帯位がそのお地蔵さんを守っています。
隣の組はまた隣の組のやり方でその地区のお地蔵さんのお守をしています。
私の住む組では以前信心深い人達が自然に花を飾り掃除をしてお供えをしていましたが、
今では当番制で、今月は私が当番です。
毎朝、から拭きして、新しい水をお供えします。
上の写真はお地蔵さん用の11枚のよだれかけ、
一枚は現在使用中。(亡くなるまでずっと一人だった、近所の女性が作ったものです。)
12月用のクリスマス模様のもあります。
町の中のそこらじゅうにあるお地蔵さんには、
井戸を掘る時に出て来た、とか
家を立てるために地面を掘っていたら出て来た、などのいわれがあります。
京都の町は幾度も幾度も戦乱と飢饉に晒され、
その度に真っ先に犠牲になったのはいつも子どもたちだったとおもいます。
そんな子どもたちへの鎮魂の思いが込められているかもしれないと思うと、
信仰の無い私ですが、お地蔵さんには、むげにできない気持ちと同時に親しみも感じています。
庶民の暮らしや人の命を何とも思わずに、
私利私欲のために戦争をする。
権力者のやることは何百年経っても何も変わらないようです。
庶民の方は変わったのでしょうか?
上の写真はいつも行くスーパーの壁に組み込まれているお地蔵さんです。
3体納められています。
花がお供えしてあって、そばに一円玉とか10円玉が置いてあることもあります。
私が住んでいる所にもお地蔵さんがあります。
30世帯位がそのお地蔵さんを守っています。
隣の組はまた隣の組のやり方でその地区のお地蔵さんのお守をしています。
私の住む組では以前信心深い人達が自然に花を飾り掃除をしてお供えをしていましたが、
今では当番制で、今月は私が当番です。
毎朝、から拭きして、新しい水をお供えします。
上の写真はお地蔵さん用の11枚のよだれかけ、
一枚は現在使用中。(亡くなるまでずっと一人だった、近所の女性が作ったものです。)
12月用のクリスマス模様のもあります。
町の中のそこらじゅうにあるお地蔵さんには、
井戸を掘る時に出て来た、とか
家を立てるために地面を掘っていたら出て来た、などのいわれがあります。
京都の町は幾度も幾度も戦乱と飢饉に晒され、
その度に真っ先に犠牲になったのはいつも子どもたちだったとおもいます。
そんな子どもたちへの鎮魂の思いが込められているかもしれないと思うと、
信仰の無い私ですが、お地蔵さんには、むげにできない気持ちと同時に親しみも感じています。
庶民の暮らしや人の命を何とも思わずに、
私利私欲のために戦争をする。
権力者のやることは何百年経っても何も変わらないようです。
庶民の方は変わったのでしょうか?
上の写真はいつも行くスーパーの壁に組み込まれているお地蔵さんです。
3体納められています。
1,300年前と言えば奈良時代。
私は、元号論者ではありませんが、神護景雲が宝亀(ほうき)に変わったのは、芦北の人が朝廷に白い亀を献上したからだと、「續日本紀(しょくにほんぎ)‐『日本書紀』の続編」に書かれています。
(ここから本題です)
平安京遷都は、平城京の奈良の大仏にあったという説があります。
大仏の金メッキに大量の水銀が使われました。
金を水銀で溶かすとアマルガムになります。それを炎で焙ると金が残ります。
金の採掘と同じ方法です。
奈良盆地には気体としての水銀が滞留し、住めなくなってしまって京都に都が移ったという話は興味深いものがあります。
京都では秀吉が巨大な大仏を作りました。
木造で金箔を貼る方法で作ったのは奈良の大仏の金メッキのやり方は危険と知ってたからかもしれません。
でも地震や火事で4度も焼失し秀吉も死んでしまいました。「♫京の大仏さん、火事で焼け~」というわらべ歌があります。