今日はホセと2人で、伊藤香紀(かな)さんのピアノコンサートへ行って参りました
地元名古屋市のご出身、東京芸大卒業後パリやケルンで学んだ若手ピアニストです
美しい音色のピアノの演奏に、悲しみに沈む心は優しく癒されていました・・・
引き続き旅ランの写真をご覧下さい
maria の旅ラン🏃♀️「七里の渡し」へ・2
(市民には、「宮の渡し」として親しまれています)
📷 10月31日 📷
内田橋あたりまで走りますと、その昔「熱田湊」と言われていたその雰囲気に変わって来ます
橋の上から「七里の渡し」の方を望んだ風景
鐘楼が見え隠れしています
「熱田湊」
熱田は東海道の渡津として尾張における最大の湊となった
商品流通の拡大とともに、江戸、大坂通いの回船の泊地として一段と繁栄を極めた
「東浜御殿」
初代尾張藩主・徳川義直の命で神戸(ごうど)の浜を埋め立て出島を作り、そこに造営された
寛永11年(1634)には、三代将軍・徳川家光が上洛の際に止宿した
御殿は名古屋城本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている
家に帰ってPCに取り込んだ写真を観て、オオバンだったと判りました
オオバンは今年初見でした
右は常夜灯、左は鐘楼
「熱田湊」は、東海道の宿場町「宮宿」と「桑名宿」を結ぶ
東海道唯一の海上航路「七里の渡し」の船着場があった
鐘楼
時の鐘
(読みにくい為だいたいを書いてみます)
延宝4年(1676)尾張藩主光友の命により、熱田蔵福寺に時の鐘が創建?された
王研?な時刻を知らせるこの鐘を熱田に住む人々や東海道を旅する人々にとって重要な役割を果たしていた
昭和20年の戦災で鐘楼は焼失したが、鐘は損傷も受けずに今も蔵福寺に残っている
熱田の古い文化を尊ぶ市民の声が高まり往時の宮の宿を想い起こすよすがとして
この公園に建設したものである
昭和58年3月 名古屋市
これは何の実でしょうか?
コガモ
冬鳥が来ているかと期待していましたが
この頃(10月末)はまだ他にヒドリガモが観られたくらいでほんの少しだけでした
桟橋から堀川北方面を望む
見えているのは千年橋、その次の白鳥橋をくぐると左に「白鳥庭園」が見えて来ます
木漏れ日で読みにくいです
↓
黄色いランタナ
東海道と言えば
ブロ友さんのご本「街道歩き4000 km」(桐原肇・著)
を楽しく拝読させていただいた事を想い出します
35頁・14日目に「桑名宿から宮宿へ陸路を歩く」に書かれています
今回の旅ランは途中でしばしの間途切れてしまい申し訳ありませんでした
以上で今回の旅ランの写真は終了となります
最後までご覧いただき有難うございます
お立ち寄り頂きコメントもありがとうございます。
この写真で見る限りオオバンは雛を連れている様ですよね。
今日は朝から出かけていましたのでお礼が遅くなりすみません。