
目黒邸では屋根等の修繕工事を. 期間. 6月20日~10月31日(予定)

須原公園の階段を上って行くと資料館に出ます

目黒邸資料館

ここからは民俗文化館で
「目黒邸」は、寛政9年(1797年)に建築された割元庄屋の役宅を兼ねた豪農の館です。茅葺屋根、寄桁行16間、
梁間6間、さらに野面石で塀が築かれ、また冠木門が設けられるなど、中世武士の屋敷構えとなっています。
中世武士の系譜をひく目黒家は戦国時代は大名、会津蘆名氏に仕えていましたが蘆名氏が伊達政宗との戦いに
敗れて滅亡。天正18年目黒家はこの地に帰農したそうです。
目黒邸のある一帯が新潟県立の『奥只見レクリェーション都市公園 須原公園』として整備されているので、建物
の裏から階段の続く公園を抜けると其処には資料感がありました。資料が展示されていてまずはビデをを見てから
詳しい解説を受けました。
その後今度は資料館の前の車道の坂道を下りました。降り切ったところから今度は昇って行くと佐藤家があります。
佐藤家住宅は、元文3年(1738年)に建てられた農家です。新潟県中越地方の豪雪地に分布する中門造りの形式を持つ
民家の初期の遺例であり、その時代の特性を示す価値が認められた事から国の重要文化財の指定を受けています。
建物は冬期間3~4メートルの豪雪にも耐えうるように、柱は太く、大きな差し物を入れ、貫ぬきを多く用い、周囲には
基壇を築き消雪池を配する等の工夫をこらしています。明治初期にかけて寺子屋風の教育の場となった時期があり、「でい」
を教室、「ちゃのま」を運動場、「へやの二階」を教務室として使用されたといわれています。
残念ながら私たちは帰りのバスの時間が心配で寄れませんでしたので守門民族文化財館だけのぞいて帰りました。
巨木探索を趣味としているメンバーの一人から先日、魚沼への旅日記(2泊3日)が送られてきました。
ここ目黒邸は新潟のツアー旅行には必ず入っているので訪ねたい場所でしたがバス旅行でないと無理では?
ところが旅日記を読むと上越線の浦佐から小出へそして日に何本もない只見線に乗りかえて越後須原下車して歩いて5分の
所に目黒邸はあったと記されていました。この線を使うと帰りの便が遅くなり日帰りはやはり無理みたいでした。
旅日記によると只見線沿線にある温泉に2泊宿泊したようです。何とか日帰りで行けないものかと調べたところ小出駅からの
バス便が11:30発で須原駅着が11:56がありました。滞在時間は短いのですが帰りは須原駅発13:45に乗ると
小出14:12着を見つけ大宮から新幹線で行けば日帰りが可能と解りました。
帰りのバス便の利用者は3人のみでこれでは赤字路線ですね。いつ廃止になるかと心配です。
小出14:25発の上越線に乗り浦佐14:34着、浦佐15:01のとき324号に乗り大宮16:03着と楽々行って
これました。
ちなみに朝は大宮出発が9:17で、浦佐から小出の乗り継ぎもスムーズでした。
目黒邸夏雲まとひ遥かなる
子燕を見上ぐる駅は3ヶ所目