marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(735回) (その5)昔の日記から今を考える(完)

2020-09-13 20:49:34 | 日記

 儲け最優先で、何を捨てるかと考えた場合(ここで実用主義の採用です)、社員が言うことも聞かず要求のみで作業レベルも低いとなれば、企業を継続させるために何をするでしょうか。会社上層部は何を考えるでしょう。手が器用で、まじめで人件費も安いアジアに出ようということになります。品質も厳しくすればよいであろう。良ければ、もの作りのノウハウを習得しシステム化しよう、そして「猿でもできる仕組みをマニュアル化しよう」。うまくいけば、監査システムも導入し、それを行わせることに維持させれば、最も人件費の安い、原料の安い、工場立地条件のなど最適な条件の世界中いたるところにもあてはめられる尺度を展開させよう、ということになります。産業の空洞化がおこるが、自国どうのこうのは政治家の仕事、なにより収益最優先である。我々の市場は全世界である。しかし、いきなりは、困難であるから手始めに日本の自動車メーカーとのタイアップである。ノウハウもあり、品質もよい。ゼロ戦で名をあげた大財閥、三菱と提携しようとなった訳です。うまくいけば、ここでもの作りノウハウを作成しよう。実践しながら、その仕組みも作ってモノにしよう。将来は、そのシステムをも売りこんでいこう。原発で言えば、まずは不安なものは日本に提供し試験させよう となります。アジアをものつくりの工場にしようとして、日本はマジだからそこで試供品を作成しシステムを試し、うまくいけば部品、工賃の安いアジアに広まっていった訳です。***目的を達成するためには、何を捨て、なにを優先するか。産業経済の調和などみじんも考えられない儲け主義の進展は、肝心なそこにいる人がどこかに行ってしまている訳です。***わたしたちはみんな心に傷を負っている。キリストの十字架から離れるならば、むしろ傷をおってキリストから離れないでいる方がどれほどか良いことでしょう。(2012/1/23)

 


世界のベストセラーを読む(734回) (その4)持てる者は益々与えられ?

2020-09-13 20:38:27 | 日記

信仰とは対象物が、この3次元の世界にはなく、対象としてのイメージが持ちにくい訳ですから、文化としての形、あるは礼拝の形ということで意識付けをしていくことも重要かもしれません。しかし、世俗化がこれほどまでに進んでしまっている現代は、目で見える対象、耳で聞く事柄からなどは、非常に困難な道のりと言わざるを得ません。形骸化する信仰。自由を獲得したと勘違いした人間が考え方を間違うと次のようになります。**** 自分の国が個人の自由を保障し、社会に迷惑がかからなければいかようなことも許され、なおうまくその地位についたら一攫千金も保障されているとします。華やかなりしアメリカンドリームの自動車産業界のトップについたとします。当然高給です。小生と同じ年齢のカルロス・ゴーン氏は給与が数億とか。会社の作業員は毎日、同じ作業を正しくお来なうことが決められています。わたしたち作業員側の待遇も当然良くしようではないかと労働組合が力を持って会社に要求を迫ってきます。上層部の考える将来における企業展開では、世界に販路を拡大するために策を考えます。しかし、作業員は、労組が強くなり要求を飲まないと体たらくに仕事をやります。当然、品質は下がります。知人に三菱自動車の営業マンがいたが、クライスラーと提携していた頃、向こうの自動車の品質はひどいものだったとと、ドアの間から食いかけのサンドイッチが出てきたとか、ボンネットの裏の溶接が粗雑で指を切ったとかなど、嘘のような話があったとのことでした。そうして、労組は抵抗して上層部に要求を飲ませる行動をする。労働組合の抵抗のアメリカの映画もありましたが、当時、内情が分からなかったので、どういう意味でこの映画が作られたのかな と思ったものでした。実話でした。どこの国も自国の悪いところは外には出さないものです。とくに楽しくないものは、まして政治にかかわるようなことは他国の思慮する事柄ではないとなる。アメリカン・ドリームの華やかなもとで、現実はいずこも同じ欲求の見難い戦いです。当時から内情はそういう状況を抱え病んでいたのです。・・・続く


世界のベストセラーを読む(733回) (その3)自由とは欲望を満たすことだったのか

2020-09-13 20:24:42 | 日記

◆開拓者たちは、確かに「大草原の小さな家」という人ばかりではありませんでした。一攫千金を狙う荒くれ者も沢山いたわけです。新大陸は、聖書の神の与えたもう乳と蜜の流れる土地であり、同時にアブラハムに神が示された行く先を知らずしてのその土地であった訳です。良い面の考えでは。しかし、メソジストのウェスレーは、アメリカ大陸での伝道に落胆してイギリスへの帰路についた程に、粗野な人間がほとんどだったと思います。というか、人間のすべての束縛から解放された、何しろ行く手にあるものは、所有できるという欲求を満たすであろう対象が広がっていたわけですから。金や石油が産出されれば、いっそう我先にということになる。話は一足飛びに現代になりますと、一攫千金のアメリカンドリーム、個人主義、人権などの確立などの中で、やはり銀貨30枚でキリストを売ったユダがいつも背後について来るということに心しないといけないということになるのでしょう。自由の獲得の手段はお金が一番てっとりばやい。同時にお金の流れはわたしたちの生活を豊かにすると同時に、その手段が目的になればもう周りはどうでもよくなるという具合です。日本の側の「硫黄島からの手紙」という映画に対して、対のように同時に作られた「父親たちの星条旗」はなぜそんなに見られなかったか。戦争を糧にもうけをもくろむやからが沢山いたことは昔もいまも変わりはなくアメリカは当時からそうだったのが露骨に描かれているからです。問題は、それが個人の自由の保障として守られ、政府が道徳などとして規制は、個人の欲求に介入することは伝統的にありうべからざることとなっていたからです。消費は善である。起業することは奨励される。それは、わたしの喜びはあなたの喜びである。それが変質してわたしの欲望はみんなの欲望でもある。と起業するものが考えても推奨されることとなっています。いまは行き過ぎて、自分の欲望のためには他は排除する、あるいは利用する、あるいはそのように気がつかないうちに人々は欲望の被害者になっているという具合です。未来に向かわしめる欲求は、いかなるイメージがあるかと考えてみた場合、信仰による希望と呼ばれるものは実に困難な道であると言わねばなりません。結局、暖簾に腕押しかのように、手段と目的が逆転すると思えてくるものです。パウロは、わたしは空を打つようなボクシングはしないというようなことを述べています。目標ははっきりしていたにも関わらず、わたしたちはその光の享楽に闇の中の十字架を忘れやすくなっているといえます。あるいはまったくの勘違いが起こってしまっています。・・・続く


世界のベストセラーを読む(732回) (その2)昔の日記から今を考える 清教徒革命

2020-09-13 20:19:23 | 日記

 このころデューイ哲学の労働学校(だったか?)も知りました。このころ(時代)まではアメリカはよかったのか・・・。この哲学を延長して彼(当の本人イエス・キリスト)から離れるとどういう弊害が起こるのかは、今のアメリカの苦悩です。経済最優先で、それに踊らされた人々は、真の生きる目的とやらがその手段、享楽的刺激を提供することのみの物質的手段の取得にやっきになっているという具合です。資本主義は儲け優先ですから人の生きることの生活を豊かにするための手段と真の目的が逆転してしまっている有様となるわけです。

(話が飛びすぎました。風が吹けば桶屋が儲かるような話ですが・・・以下、何を目標にするかの逆転は、その考えは一瞥、スマートで良さそうなものの真の目標の方向へ的外れが起こると。わたしたちはイエスがわたしは旧約聖書に語られてきたことの成就に来たと話されたことを今更ながら心しなくてはならないと考えます。)

時代としてはこの頃でしたね、ルターによる宗教改革が起こり、カルバンの教会政治組織性が語られ、それから長い宗教戦争が起こり、当時解放的なオランダからイギリスに飛び火し、清教徒革命がおこりアメリカへと、そういう関心が起こってきてミスター、ピューリタンと呼ばれた神学者大木英夫のかなりリベラルな本にであったのは・・・。当時、学生運動のさなかこの方は東京神学大学の学長をやられてました。ご高齢ではありますが未だ(2020)ご健在です。大陸に渡った清教徒の墓はすべて前進する西(西部開拓史であったから)を向けられて建てられていた。そして太平洋を渡り、日本に来たのである、と蕩々と語るでした。時代という背景も無論あるが昔、植民地化を目指してきたカトリックの西回りに対して、太陽の昇る方角、東から日本に来た宣教師達は、日本に多大なる貢献をなし影響を与えたのでした。青山墓地に眠る外人墓地は殆ど宣教師の墓であるが、前東京都知事石原慎太郎の賛辞の碑が建っています。・・・続く 


世界のベストセラーを読む(731回) (その1)昔の日記から今を考える W・ジェームズのこと

2020-09-13 18:03:27 | 日記

 これは2012年正月の学生時代のことを思いだして書いた日記で手紙形式で書いていた。わざわざ書き写しているのではなくpcコピ内に残っていたものからのコピペである。ウイリアム・ジェームズのことを書いていたので引き出した。今でも多くのことを教えてくれる。

◆W.ジェームスのこと(米国のハーバード大学では一般教養でW・ジェームズが読ませられるようだ。)
 実家に行きまして、「宗教的経験の諸相」 を持ってまいりました。岩波文庫上下2巻、1969年10月16日第1刷発行、1978年6月10日第7刷発行、桝田啓三郎 訳となっています。(当時400円/冊)。学生時代かなり感激して読んだ記憶があり、デニム生地のカバーまで掛けています。ところどころ線、書き込み。古今の宗教家や作家などの文章を回収されて解説がなされています。日本にはどうしてこういう本が書けないのだろう、これだと戦争には負けるわな・・・と当時、そんな感慨を持った記憶があります。今、読んでも人の宗教心理は変わらないものだといろいろなことを教えられます。一度、読まれて見てください。W.ジェームズは「プラグマティズム」という書物も書いてますが、これもまた面白い本でした。結果出すことを最優先課題とする実用主義ともいわれるこの考えは、キリスト教から実際の行動への移行の行動哲学とも呼ばれるようなものです。僕なりに解釈すれば、ひとこと「目標を達成するためには何を捨てるか、何をしなくてもよいかという考え方」となるのではなかったかと自分なりに考えております。このイメージは、パウロが信仰を徒競争に例えた手紙の部分に対応していると考えてしまいます。(むろんパウロの場合はキリストを目標にして走ることを目指していますから、アメリカンドリームで一旗揚げるという行動哲学とは相いれないものですが)日常のあれも、これもやらねばと考えてしまうわたしたちに対して、逆の発想をして、何を捨てるか、身軽になり行動、実践を行うことが開拓精神をもつ者にてとっては必要なことであったというような僕なりの感想でした。そのことにより目標への手段が逆によりはっきりして来るであろうと・・・。続く