marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(748回) (その6)人間を貫く考えの土台、私小説じみた話も交え

2020-09-29 10:41:05 | 日記

◆「情念」その人の言葉では表しきれない磁場のようなその存在の意味が、我々どのような人にもあるのは確かなことだ。かの哲学者カントさんが『プロレゴメナ』という著書の中で「わたしを独断のまどろみから目覚めさせたのはデビット・ヒュームである」と述べているくらいだから彼はあまり知られていないけれど哲学者列伝では重要な位置を占めているのだねぇ。ヒュームは、「人間本性論」という難解な本を20代で著しているのだが、言葉化できない「情念」という、つまり何事にも言語化する以前の内から湧き上がる自然なる生物学的欲求もある人の「場」の欲求がそのひとの理性をも実は支配しているのだと語っているのだ、と僕は理解した。◆人について、この国では生理医学的なことに関しては誰でもが自分の肉体は持っているし、外傷や内的状態の疾患については、少なくとも「痛い、気分が悪い」などの言葉化できるものだから高齢者が多くなっているTV視聴者へのサプリの宣伝は毎日のよう。実際はここでも問題なのだが、それがその人の寿命と言ってしまえばそれまでなのだろうけれど。ここで問題と書いたのは、端的に言えば自分の症状を言葉化しない、できない人がいるということ。人はそれぞれ、人体的にも人それぞれに個性があって、手っ取り早く言えば「遺伝」なのであるが、そこは人は物つくりとは違い、危険予知などはできにくい。年齢を重ねるにつれて、感知していくしかない。よって、定期的な健康診断をしてくださいね、ということなのである。◆人は経時的に劣化する。神の造り給う人と言う生き物はいかなるものかのフィジカルな面からの追及が解剖学などとなった。高齢者になると筋肉の衰え、基礎代謝の減退、記憶の後退などが起こる。必然的な事柄である。だから、こういう人生の後半期そして死を迎える時まで、自分の知り生存に対して有効なありようを追求すべく(なんと大げさな!)ボケ防止のためにブログをしたためている訳なのであった。しかし、年老いてくると同じことを何度も話すようになるとか、”思考のクセ”というものが必ず出てくるものなのだ。こういう傾向になると自家中毒防止に僕は心機的にブロックがかかるようだ。僕の中の情念はかなり、地球の場に影響をうけるようなので(例えば天候、時刻など)、今朝は太陽が出て来たからチャリンコに載って遠出しようと思う。・・・続く 


世界のベストセラーを読む(747回) (その5)『知性(理性)は情念の奴隷である』:D・ヒューム

2020-09-29 08:39:48 | 日記

◆表題からずれて来た。”思考の整理学”より以前に”頭脳の生理学”だとういうことは、僕の心中でブロックがかかったようだ。人の頭脳のありようはその生物学的にはみな同じでも(神経系の配線具合が同じでも)、その電気系統の繋がりやすさやルートはその土台となる肉体が様々な影響を受けて誰でもに対して一般化できないからだ。しかし、一応目指すべくは東大生あたりの方が、その土台がもともとしっかりされているのであろうからということで模範化されるわけだ。こういう人がいるのだから脳みその繋がらない神経系を努力してつなげてね、という具合に。何度も学習して訓練すればつながるようになるよ、と勉強する。僕ら凡人はそれ以前のその土台の不安定さとそれに載っかかる脳みそが素直にリンクしないという実情がある。その間隙に人の様々なドラマが生まれるわけなのである。しかしその間隙は、実は僕らはロボットではない生物であるので誰でもがあるものでもあるのだ。◆デビット・ヒュームと言う哲学者がいた。1711年にエディンバラに生まれ。1776年(この年はアメリカがイギリスから独立を勝ち取った記念の年だったかな、確か)に没した。僕の好きな彼の考えを要約するような言葉『”知性(理性)”は”情念”の奴隷である』がある。その”情念”という人の生きるていることの動物でもあり、機械的なことも考え道具を作り、操り、今や頭脳の役割の代替えのメカ、コンピュータを作り、ロボットを作り、再生細胞まで作れるようになった。そのひとりの生物から、その個人と集団から政治の在り方、人が思考することのさらに考えを突き詰めた哲学、理神論経由し、そして、社会学、心理学・・・・など人に関する諸々の事柄は、又、僕個人の勝手な思いかはともかくやはり「昔、神の独り子と言われたイエスという男が我らの”罪”のために十字架にかかった」という事実、その基点から、僕らはその意味を考え、非常に重い責任が我々人類にかかっているという模索の系譜を示している事柄などと思わざるを得ないのである。・・・「イエスのなさったことはこの他にまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文章を収めきれないであろうと思う。」(ヨハネ伝21:25)・・・続く