marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(200回目)ローマ人への手紙(第5章12節~21節)

2016-12-12 21:28:17 | 日記
◆来年はM・ルターさんの宗教改革から500年◆
200回となったこの日記では、ルターさんが福音書はヨハネ伝、そして次はパウロのローマ人への手紙・・・をと言われたごとく、読んできています。どうしてもパウロさんの手紙は理屈っぽくなってしまいますが・・・。
◇今、読んでいるのは新約聖書の口語訳です。僕が時折、今のその道のあり方に批判的なのは、そのようなのでいいのかいなと思うからなのです。実際、人というのは不思議なもので、アメリカ大統領の発言を見るまでもなく、大いに波風を立てないとおそらく安穏としてそれが求めるところだと安住してしまうのではないかと思っているのです。人々は変化を求めている。組織体の一部をなし、その維持のみが大切となれば、誰もイエスが十字架にかかったなどという悲惨な真実が見えないだろうし、自分の言葉で会話する、否、自分の悲惨さなどはとうてい自分で見つめることなどできまいと考えているからなのです。一般時の通常の心情的な納得する落としどころのみの話でいいのかいなと思っている訳なのですね。
◇さて、先の回に書いたように、ローマ人への手紙はコリントという町で書かれたことは述べました。コリントゲームというのが今のパチンコ(ピンボール)の走りであることも書きました(辞書にあります、コリントゲームで検索を)。遊興の町だった訳です。当時は、イエスが昇天して、それまでの聖書の学びから離散したユダヤ人の中には改心してキリスト者に成った者、信者となった異邦人もいました。また、ユダヤ教ばりばりのかつてのパウロ自身のように、パウロを亡き者にしようとしていたユダヤ人、異邦人もいたわけです。商業的にも頻繁にローマとの往来はあったと思われます。至るとこの大きなまちまちには離散したユダヤ人たちが少なからずいたでしょう。そのいきさつは使徒言行禄という中に書かれていますね。
◆パウロは、ユダヤ人全体に特に改心してイエスをキリストと信じたユダヤ人、そして、ギリシャ人(異邦人)に切々と、先祖伝来から聖書を研究するユダヤ人たちに、そのことに熱心であったからこそ、挑戦的に旧約聖書の話を導入していき論戦を進めます。
さて、第5章12節からは、それまでの信仰の父と言われたアブラハムの話から、さらに天地創造における人の創造、アダムまでさかのぼり、人間の死(これは罪によって発生した)について、語ります。ここにも、既に創造された全人類が、永遠のパラダイスに一人の人、イエスをとおして帰還しなければならないのだという背後の動かし得ない考えがあるのです。このような理屈めいた書き方は、前回のユダヤ教の研究者の聖書釈義のありかたに対抗しての書き方なのです。
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◆そして、このような展開をして、イエスを信ずることは永遠の命を得させるものであることを結論づけていくのです。
(5:12)「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである。」
(5:18)「このようなわけで、ひとりの罪過にによってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。」
(5:21)「それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。」

・・・Ω