marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(202回目)ローマ人への手紙(第6章15節~23節)

2016-12-14 20:04:16 | 日記
◆(6:16)「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、誰かの僕(しもべ)になって服従するなら、あなたがたは自分の服従する者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義に至る従順の僕ともなるのである。」しかし、~
(6:18)「罪から解放され、義の僕(しもべ)となった。」(6:23)「罪の支払う報酬は死である。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」
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◆弁論術や修辞学が盛んだったギリシャ・ローマにパウロが導かれ、キリストの宣教を行うようになったのは、やはり、そういう神の設定がされていたのだろうなと今から思えば考えさせられます。そこに、行かなければキリスト教はもっと広まるに遅くなったに違いない。それにしてもパウロは、この手紙は、肯定、否定そして、途上へとの論旨の進め方をして、正、反、合のどこかで聞いたような書き方をして論旨を進めています。神の布石は、既に旧約時代から、そして先祖の離散から既に世界宗教へと敷かれていたと見なすことができます。あとから思えばの話ですが。今も、そしてこれからも・・・。
◆第6章の後半は、イエスの福音に預かりつつも、そこに至ったのであれば、さらに前進して自らの生き方を整えて生きていかねばならないとさらにイエスとともに歩むべく心して歩むことを奨めています。”かつて”、と”今や” と比較させ、”目標を示して”いかに信仰を維持し日々の生活を歩むべきかを語りはじめます。永遠のいのちか死か・・・・。ここにきて、ホーリネスの生き方が奨められていますのでこれについてはよく考えてみなくてはいけませんね。
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(6:19b)「~今や自分の肢体を義の僕としてささげ、きよくならねばならない。」(6:22)「しかし、今やあなた方は罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終局は永遠の命である。」(6:23)「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト。イエスにおける永遠の命である。」
◆ここにきて、一つの概念がでてきました。我々の生き方の一つの指針。・・・