marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(197回目)脱線Ⅰ キリスト教神学生の方へ

2016-12-09 21:24:22 | 日記
◆ちょっと偉そうに・・・脱線します 運営スタッフさんごめんなさい。◆
183回目の「K・バルトさんに文句を付ける」あたりに、軟弱な”その道の方”からコンプレインが入ったようです。居所も明示せず、批判をするようなのはよくない・・・と。で、そのときあたりから、ランキング圏外に追いやられる配慮を建前上されるようになり、検索しても簡単にスマホで出てこなくなったのはそのせいかねと知人の話。内容は、バルトさんのことではなく自分の弱点を言われるのが嫌なだけなのさ。だから日本の神学どころか大の大人になっても豊洲市場問題のようなことが起きるのだよ。考えとしてだよあくまで。心情的にすぐ捕らえるから組織体のシステム自体を作れないのよ。考えとして。こういう問題は、心のことから派生して、社会に生きる人間一人一人の考えをきちんともてないのはなんか全然違う話ではないのか・・・ではなくて、大いにありだよ。軟弱ではいかん。20世紀最大と言われたバルトさんはむしろ大いに喜んでいるさ。天国でね。だから、イエスを伝えると勉強されている方々、パウロさんのように戦ってください。議論を戦わせることは、人を批判することではない。傷つかない言葉だけをいつも聞いて求めているだけの人は、対等に相手を見ているとは思われません。ディベートの基本もないと言わざるを得ません。無論これは、その道の人たちの間での話ですよ。(未信者さんの前では注意)。だから、そういう方は、耳触りのいいような話だけをかき集めてきてだね、なんら深い聖書の解き明かしができないのさ。
◆神学は武器になると仰せられた作家の佐藤 優さん。「今後日本でクリスチャンが増えることがありますか。」の質問に対して、「考えられません。基本は斜陽産業です。」と答えています。(p112 「現代に生きる信仰告白」キリスト新聞社」)実際そうであろう。だからこそこれからは戦わないといけないのですよ。
◆ちょうどパウロさんの筆頭の手紙 ローマ人への手紙を読んでますが 脱線して 写真の本から短く抜粋。
「ドイツの神学者の喜びは人々の論争に参加することであり、われわれの共通の義務は互いに話し合うことである。というのは、学問においても実生活においても、真理は常に新しくそれを聞くことによる以外、誰ももつことができないからであり、また真理を求めて真理とともに旅に出ている人々に耳を傾けることをしないで、真理を聞き取る人は誰もいないからである。共同体とは必ずしも一致を意味しない。他方それは、われわれが互いに話し合うことを前提にしている。」(E・ゲーゼマン「パウロ神学の核心」(ヨルダン社:佐竹明、梅本直人訳1980年11月25日初版)(p98 3 ローマ人への手紙における義認と救済史)古い本だが今も同じ。 
◆神がご自身の似姿に造られし自分を含めた人間という者を知ろうと努めること。嫌なことが降りかかってくれば、むしろ自分のこともすくめた人間のことを知ることが(心理的分析など)でき、喜ぶべきではないかと僕は思うのだけれどね。それだけイエスの苦しみが分かるように思うからさ。・・・