まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

2月2日

2024-02-03 08:58:34 | くらし

久しぶりに見た気がする朝の月。
そうね、ここのところ朝は曇り空の日が多かったからね。
前の家2軒分東の空に見える、下弦の月。

今日3日はチュッパの誕生日、10歳になった。正月に会ったきりで近ごろはご無沙汰よ。
10歳は、チュッパなんて呼べないな、なんて。
ということは、母が亡くなって10年が経つということだ。早いものだ。
母が亡くなったのは2014年2月2日、実家の町では亡くなって24時間経つとすぐに火葬する。
で、お通夜は3日夜。
その通夜振る舞いの最中に婿さんから「娘が誕生した」とのメールが入った。
もう、なんて言ったらいいのかの感情が込みあげてきて。皆さんにもすぐに報告した。
そりゃあ、どよめいた。いちばんの反応が口々にの「母さんの生まれ変わりだね」の言葉。
こんなことってあるのね。

父とは晩年の5年間を一緒に過ごすことができたが、母とは叶わなかった。
何しろ倒れて7年間、回復することなくただひたすら寝ていただけだった。
それでも、ああいよいよだな、との兆候はしっかり私に知らせた。
1週間くらい前から、繋いでいた管が全部外されて身体が楽になっていた。
手が少しむくんで紫がかってきた。
母の妹が見舞いに来たときは、それまで開けることのなかった目をぱっちり開けて、
誰かを探すように天井をしっかりと眺めまわしていた。それはそれは不思議だった。

2月に入り、ああ、今日あたり逝くな、との気配がなんとなく伝わってきて。
(看護師さんは、お世話をしていた人が私らより一番分かるって言ってたけどほんとだ)
私は寝具を借りて母のベッドの横に敷いた。
夜になったら母のいびきがすごくなって。それはまだ生きているよとの証のようでもありで。
横の布団で一緒に夜を過ごしていた私は、旅館でお泊りしているような気分になったものだ。
翌朝2日、3時過ぎに母は逝った。
不詳の娘だったけれど、最期には母の想いに沿うことができてよかったと思っている。
きれい好きだった母は、今日も雑巾を手にあちらでお掃除していることだろう。

コメント
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