曇、12度、84%
秋になると芋掘りがあり、「さつまいも」が美味しくなります。焼いたり、蒸したりそのままの甘さが好きです。「さつまいも」にはたくさんの思い出があります。
中学の頃、私はお小遣いをもらえませんでした。秋も深まると校門の外にリヤカーの焼芋売りがやって来ます。一緒に下校している友人たちは焼き芋売りのリヤカーで「これ。」と指差し、量り売りで焼きもを買っていました。私はその後ろで友人を待ちました。そんなある日、焼き芋売りのおばさんが大きな焼き芋を一つ新聞に包んで私の手に握らせてくれたことがありました。「いいから、食べなさい。」北風が吹く福岡の冬は寒く、その焼き芋の温かさとおばさんの顔を今でも覚えています。
30数年前に香港に渡りました。市場に売られている「さつまいも」は見た目は日本の「さつまいも」と同じでした。ところが筋ばっかり、水っぽく、ちっとも甘くありませんでした。冬になると焼き芋売りがやって来ます。その芋は市場では見慣れない「さつまいも」でした。白い皮に中の身はオレンジ色、ほっくりとはしていませんでしたが甘さは十分でした。美味しい「さつまいも」に出会えないので、主人は出張で日本に帰る度に「さつまいも」を私への土産にしてくれました。その主人の様子を見て、会社の方達が出張で香港にみえる時には私へ「さつまいも」を持って来てくださいました。重い重いお土産でした。「さつまいも」の重さが嬉しさにつながりました。
一番の思い出は、一山100円の「紅小町」という「さつまいも」が買えなかったことです。お腹には息子がいました。当時は本当にお金がなくて、最小限のものしか買えませんでした。八百屋に並ぶ一山100円の「紅小町」と書かれた「さつまいも」は通りすがりに見るだけでした。「紅小町」は色鮮やかな細めのさつまいもです。今でもざるに盛られた「紅小町」を思い出します。
おそらくこの「紅小町」の思い出のせいか私が手にとって買う「さつまいも」は細身で小さなものばかりです。関東近辺で「紅小町」は今でも栽培されていると聞きます。当時に比べると姿が大きくなっているそうです。
食べ物に思い出は付き物です。嬉しかった思い出、辛かった思い出も、手のひらに感じる「さつまいも」の温かさが呼び起こしてくれます。