うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

これぞ、絶望

2024年09月06日 | カズコさんの事

さて、

どう言うべきか・・・。

 

おはようございます。

最近のかずこは仏だ。

仏のカズコ。

起きぬけに、

「ぶち殺したらぁ」と言ってたかずこは、鳴りを潜めている。

認知症が、中程度に進行した頃から、

仏期と悪魔期が、交代制で繰り返されている。

今は、仏期だ。

いずれ、悪魔期もやって来るが、

悪魔期のかずこも、それはそれで面白いと思えるようになってきた。

かずこが訳もなく怒り狂う姿に、

「困った、困った」と言いながら、

実は、何が困った事があるんだっけ?ということに気が付いたのだ。

この感覚は、きくと暮らした15年と重なる。

 

きくが死んだ日、苦しかった15年、

実はどこも苦しくなかったということに気付いた。

私は、あの子に多大な被害を受けたことなんてない。

何を困っていたかと言えば、私の思い通りにならなかっただけのことだった。

可愛く甘えて来なかっただけで、何が困る事があろうか。

怒ってばかりのきくを見て、

それをどうにかしてやりたくて、見ていられないから、

余計な事を勝手にしては、思うようにいかなくて、

それを「困った、困った」と言っていただけだった。

 

最近、父さんは、かなり煮詰まってきている。

暴君だったから、特にきついのだろう。

思い通りにならないことに、強いストレスを感じている。

けれど「困った」の本質が見えれば、何も絶望することなんてないんだ。

そして、煮詰まっている原因は、

かずこではなく、きっと秋のせいだ。

秋の気候は、自律神経を乱れさせる。

そう決めつければ、遥かに気持ちは楽になるだろうに。

こんな時は、何を言ってやればいいのだろう?

分かった風に言っても、諭す風に言っても、

こういう時は逆効果だ。

だから私は、バカな話で笑わせて、

父さんの愚痴を、グルグルっと誤魔化してやり過す。

その場限りの気休め程度だ。

ああ、私は無力だ。

 

でも、私は困っちゃいない。

うん、どこも困ってない。

そう、私が「困った」ら、いかんのだ。

闘病も介護も、切り離せっというのが私の鉄則だ。

苦しみ困っているのは、当事者だ。

私まで苦しみ困っていたら、当事者はもっと困ってしまうのだから。

 

でも、この子は、

本当に困っています!

のん太「なに、するら?!」

突然、おじさんに抱き上げられた、のん太。

 

のん太「なに、するら!」

白目剥いてる、のん太。

 

かかぁに抱っこをせがむ、のん太は、

こんな顔をするのに

 

おじさんに抱っこされる、のん太は

こんな顔!