私は「考え方」というものがあまり好きではありません。
考え方とはつまりこの世のすべては、どういう風にも受け取れるもので
、見方はいろいろあるよという話だと思います。そして考え方には
そう考える理由が付いてきます。この「理由」とか「根拠」というもの
が、たとえ論理的であったとしても、どれも疑わしいとおもうのです。
言葉巧みにもっともらしい作文をしているだけのように思えてなりません
し、いくらでも言葉の中にウソやごまかしが漉き込める構造は変えられません。
心のことというと、自分が今気分の悪い理由探しに一生懸命になりがちです
が、結局「考え方」とか「理由」は本当かどうかよりも上手に言葉の
パズルがうまくいったかどうかという成果だけなような気もします。
理由がなければ心の気分の悪さが解消できないのなら考え方や理由は必要
ですが、身の回りの人が理由もなく気楽になっていくのを見ると、心のこと
を言葉で説明する必要は最初からないようにしか思えません。
言葉が発生する以前からきっと心の働きは同じなのではないでしょうか。
だから、心は分析しないと解決できないなんてことないと思います。いや
分析したり理由を考えたりするから解決できないのです。