この日は収穫のお手伝いからスタート。
でもその前に直売所内の作業をスムーズにするための準備が必要なので、その作業に取り掛からねば…という訳で、自主的に5時半出勤。
収穫後の作業効率と動線を考えた配置をしなければなりません。
狭いスペースで目一杯作業するので、作業効率と手順、いわゆるクリティカルパスを十分に考慮しないと、スタッフが混乱するだけです。
とくに母はこれが凄く苦手。
以前からのこととは言え、近年ますます次の作業に向けての行動が読めないみたいです。
収穫作業では兄から「ちょっとまだ青い」と小言を言われる立場の私。
ド素人が今年2回目の経験なんだから、そうそう上手くはいかないものの、これが農園の収入に直結するかと思うと、どうやればいいか模索中です。
兄にとって、ホントに私は役立っているのだろうか?と自問自答の日々です。
というのも、今年はメイン農産物が不作です。
暑すぎる夏はもちろん、暖かすぎる冬等など、理由はいろいろあります。
とくに中生種、晩生種は、暑い気候に負けてきていて、恐らくこの冬は枯死する果樹も出てきそうです。
それは早生種でも一部に発生していて、若手の果樹(5〜10年生くらい)でも枯死しそうな果樹を何本か見かけています。
このくらいの若手が枯死すると、その分は収入には今後5年間の減収が見込まれます。
あと5年後、私の実家は果樹園を維持できているのだろうか?という不安になります。
まず、兄は生きているか?問題。
もちろんパーキンソン病とレビー小体型認知症の疑いがある父も分かりません。
祖母は農業の戦力外とはいえ、100歳超えになってきます。
母は持病があるので今よりももっと働けないでしょう。
義姉は農業やる気なしなので、農業の担い手にはほぼ期待はムリ。
後継者は未定。
私はアルバイトですからね、たぶん5年後は実家の手伝いなんてしていないでしょうね。
八方塞がりな気分を奮い立たせてお手伝いをしています。
だがしかし、冷静に見ると私だけが空回りなんだよねぇ、と。
そして先日、父のお見舞いに行った様子をF叔母から聞きました。
その様子から、父は病院ではなく、同建物内の医療介護院で過ごしているそうです。
そして、父本人はとても不安そうにしていたと聞きました。
ちゃんと車椅子に座っているのに、何度も滑り落ちそうだ、と母に訴えていたみたいです。
もう母も兄も私には父の様子を教えてくれることはないので、漏れ聞こえてくる父の話を聞けるだけでもありがたいです。
自業自得だけれど、父が生きているか死んでいるかだけ知らせてくれればいいと、言い切った私ですから、母と兄は今後父の様子を教えてくれることはないでしょう。
父が私を忘れる日が来ても、それはそれ。
父が私に会いたいと言わない限り、私が会わせてもらえないでしょう。
もう2度と父が実家で生活することは無いだろうし。
次に父に面会できるのは、お棺に入った状態なんだろうな、とボンヤリと考えています。
それが年内なのか何年後なのかは、私には分かりません。
父にとって大事なのは果樹園。
その果樹園の維持のためにお手伝いをしています。
次回も楽しくお手伝いしたいです。