makoto's daily handmades

お手伝い 9月8回目 直売所

この日もメイン農産物は中生種、ブドウは今年ラストの販売日でした。

お客様の人数は日に日に少なくなっています。

直売所とはそういうモノで、農産物が充実してくればお客様は減り、商品がダブついてきます。

収穫初期はそもそも収穫量が少ないのですから、なにも行列に並ぶ必要がありません。

中盤以後なら選択肢も増えるし、収穫量も増えます。

それはどんな果樹でも同じです。

行列に並んでまで購入しようとしても、大抵は並び損。

お米も同じですよー、と声を大にして言いたいです。

どーせあと1か月もすれば古米になった前年米が投げ売り状態ですって。

 

さて実家で収穫できる農産物は数々あるので、また来年までのお別れ…と思うものの、農園自体が来年も継続できるのか、途中でダメになるかもしれない、という思いもあります。

もう二度とブドウは食べられないのかもなぁ、と。

母はそのことを分っているようで、しきりにブドウを私に持ち帰らせようとします。

私は実家で収穫したものとはいえ、基本的に商品に手をつけるようなことは子どもの頃からやったことがありません。

廃棄処分になるダメなモノ以外は無料で持ち帰るつもりは毛頭なく、丁重にお断り。

 

一方で義姉はちょっとハイです。

農地を売ってしまいたい、農業を止められると内心ほっとしているのでしょうねぇ。

ま、私は関係ない話なので。

いかに頑張って営農をしようとも、収入面はもちろん、その思いが次世代に繋げられなければ一次産業は誰も好き好んで継ぎませんから。

実家の農地だけでなく、家そのもの、お墓も無くなってしまうとしても、私は全然構いません。

私には、ヨメに行ったモノ共が実家をとやかく言う権利はない、という考えがあります。

さてさて、私の実家のお墓はどうなるのでしょうねぇ。

たぶん放置墓になるか、合同墓に入るか、でしょうね。

叔母達は「拝む場所があればいい」と言ってくれていますが、さて義姉はその場所を残してくれるかどうか。

何事も諦念が肝心と心得ている私には、今更なんでもいいです。

 

そして母が父の遺骨をペンダントにしたいと言い始めています。

私は軽く反対(本心は大反対)、兄は母の好きにしていいと言う始末。

母と兄のたっての希望で父の延命治療しているのに父の遺骨の話ですか、と私一人呆れています。

そして母より兄が先に亡くなりそうな兄の病状を鑑みて、母の老後は私がみることになりそうです。

その母が今よりさらに高齢になり、父の遺骨ペンダントが無いと騒ぎ立てる日々の面倒を私が見るのか…。

もう、すでに頭が痛い思いがします。

お墓さえ無くなりそうな状況を想定できない母や兄の危機管理能力の無さにビックリしている次第です。

何事も最悪の事態を想定しておくべきだ、となぜ思わないのか、不思議でなりません。

もうすぐ果樹園の収穫が終わるのですが、これが見納めになるのかなぁ、と思うものの何もできない自分に不甲斐なさを感じつつ、諦念が肝心と自分に言い聞かせています。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

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