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makoto's daily handmades

神奈川県川崎市・武蔵溝ノ口辺りをウロウロする

ハローワークに行ったら、手続きに2時間半もかかり、しかもその前にトラブルもあってゲンナリしました。

ちょっと気晴らしにJR武蔵溝ノ口駅周辺をウロウロしました。
ちなみに、東急田園都市線は「溝の口駅」、住所表記は「溝口」で「みぞのくち」と言います。
周辺住民は「のくち」と呼びます。
田園都市線も「でんと」と呼びます。

さてまずは久本神社(ひさもとじんしゃ)に行きました。



手水舎の彫り物が素敵でした。
これは龍の彫り物だけを梁にはめ込んでいるように見えました。


狛犬ちゃんのすぐ下の台座だけ新しく見えました。
台座には明治29年の文字がありましたが、狛犬ちゃんのデザインは昭和後半に思えました。
当地は溝口の隣町で、溝口の石工と言えば、内藤雲慶のモノと思っていたのに、これは明らかに違うデザイン。
ちょっと首を傾げました。

この神社は4年前にハローワークを通っていた頃にも来たことがあります。
その時から変わりないように思います。

ここから末長杉山神社(すえながすぎやまじんじゃ)に向かいました。
もう20年ほど前に同僚だったSさんから杉山神社の不思議を教えてもらいました。
Sさんから「杉山神社はほぼ横浜と川崎のみにしか存在しないんだよ」と教えていただきました。
そこで私が「へー、南武三郡(なんぶさんぐん)ですか、やっぱり南武三郡は武蔵国の中では異質なんですね」と口走ったことで、Sさんから「南武三郡って何?」と逆に尋ねられたのです。

南武三郡は「武蔵国の南部にある橘樹郡(たちばなぐん)、都筑郡(つづきぐん)、久良岐郡(くらきぐん)の3つの郡」のことです。
埼玉県辺りにお住まいの方には忘れられがちな武蔵国です。
この南武三郡は、武蔵国の中心部からは外れていて常に相模国の国境争いの地です。
たぶん武蔵国の中心部からすれば、多摩川が防衛ラインで、国境地帯の南武三郡はいつでも切り離せる地域(緩衝地帯)だったと言えます。
だって映画「シン・ゴジラ」でも多摩川が防衛ラインでしたから。
結局、舌状台地ばかりの多摩丘陵は谷戸田ばかりでコメの収穫量が不安定だったから仕方がありません。

さて気軽に行くつもりが意外と高台にありました。
そうかここは舌状台地だったっけ。



参道を振り返るとかなり意外と遠くまで見えました。

写真中央のビル群は武蔵小杉方面。
意外と見えるモノだと感心しました。



ここの狛犬ちゃんは、内藤雲慶作。
そうよねぇ、この感じ。


逆光でハレーションだらけ。
ここの特色は赤い柵でぐるっと囲われていること。
これは戦後社殿が焼失していることに起因しています。
この辺りは案内板でもゴニョゴニョと明記していません。
そういえば元同僚のSさんに教えてもらったなぁ、(遠い目)。


戦没者の慰霊碑。

昭和48年の伊勢神宮参拝記念樹碑。
とても驚いたのは、昭和48年になっても伊勢神宮参拝で記念碑があること。
この地域の氏子さん達の信仰の厚さを感じました。

御神木と思われるカシノキ。
切り株からひこばえが伸びていました。

杉山神社はたぶん現存するよりももっと多かったはずです。
私の実家の近くの神社も、明治時代に村社として村内にあった3つの神社を合祀したのですが、その1つが杉山神社でした。
いまやその痕跡は、社殿の彫り物に残るだけでその記録もネット情報では出てきません。
合祀には合理的な役割がありましたが、遡れない歴史になっていくのだろうな、と思うことがあります。

さて、ここから隣にある明鏡寺(みょうきょうじ)に向かいました。



今日は障子の張り替え作業をしているようで、ちょっと恥ずかしくて遠くから眺めるだけにしました。

水子供養地蔵。

供養塔とは表記されていました。
見ていると江戸時代の元号が彫られていました。
こちらも水子供養なのかな?と思いました。

逆光でシルエットだけ(苦笑)。
これも個人の供養塔。
木造でスゴいな、という印象でした。

さて明鏡寺にもちょっと分からないことがあります。
私の実家は同じ市内にあります。
実家周辺の農家では、半分は地元のお寺さんにお墓がありますが、残りの半分はこの明鏡寺にお墓があると聞きます。
私の実家周辺からみて、明鏡寺は隣町、隣村という位置づけではなく、電車やバスで乗り継いで来るような場所です。
多摩丘陵の同じ尾根筋や谷戸筋でも無く、水系でもありません。
いくつかの舌状台地を越えて到着するような場所にどうしてお墓があるのだろうか?と思ってしまうのです。

以前、元同僚のSさんにこの話をしたことがあります。
Sさんのご実家のお墓が明鏡寺にあると聞いたからです。
でもSさんもその理由はご存じ無かったようです。

さて元同僚のSさんとはもうお会いすることもないでしょう。
でもSさんとの出会いはかけがえの無いものです。
私は日本史の近世とそれに関わる事柄しかあまり興味が持てなかったのですが、Sさんとの出会いで古代、神社の歴史、民俗学に興味を持てるようになりました。
興味の広がりによって、為政者によって歴史が改ざんされるということにも興味が向いたのです。
この点において大学の授業よりも、Sさんとの会話は楽しかったんだな、と思うのです。

さてここまで来たら、田園都市線梶が谷駅の方が近いかもしれません。
でも来た道を戻って、最後に公園に向かいました。

4年前にもこの風景を見上げました。
武蔵溝ノ口駅前の丸井です。

ここは久本薬医門公園。
この門は、岡家の門でした。
以前このすぐ近くに親戚が住んでいてこの門が目印でした。
親戚の方は「岡さんちの門前を左に入って…」等と説明していたりしました。
岡家は当地で代々お医者様の家系でいまはその後に門と蔵が残ります。


公園のロウバイ。

門はくぐれませんが、公園の敷地内から内側を望みました。





枝垂れ梅。とてもいい香りでした。
トップ写真もこの公園の梅です。

1時間くらい歩き回りましたが、ハローワークで足が冷えたのでしょう。
久しぶりに左足首が痺れて痛みが出てきました。

初めて訪れた末長杉山神社と明鏡寺はとても静かな住宅街と近くに畑もありました。
この住環境は、私が住む地域とは随分ちがうのだな、と今さらながら気がつきました。





コメント一覧

makoto
裕さんへ
ブログ記事の龍の彫り物は一対になっていて、阿吽になっていました。
でももう一方はちょっと足下が悪かったことと等から撮影しませんでした。
それと当地の村社ではあまり鶴の彫り物はみかけません。
狛犬か龍の彫り物が多く、一緒に波や雲、牡丹が彫られていることが多いです。
鶴だと松が一緒に彫られていることが多いように思いますが、松の模様も当地ではなかなか見かけません。
裕さんのコメントで、彫り物には、職人さんの得意不得意、地域性等と関係があるのかもしれないと気づかせていただきました。
ありがとうございます。
yutaka901
こんにちは、makotoさん。

狛犬にも興味を持っておられるのでご存知でしょう(が)。
紹介の龍の彫りもの阿形をしていますので、裏側の梁に吽形がありませんでしたか。
わたしは、なんとなくみてて
2015年に当地お寺の唐門で龍や鶴の彫りものにも阿吽があるのだと思ったものでしたから。
http://masuda901.web.fc2.com/page5akx09e.html
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