makoto's daily handmades

知らなかった言葉、知らなかったこと

今日、仕事中に知った言葉「准后」。
この言葉を私は「じゅんごう」と借り読みして、データ入力の際に変換をしても、出てこなかったです。
とりあえず「じゅん」と入力して「准」と変換し、「きさき」と入力して「后」と変換しました。

ここで「天皇のお妃さまのうち、正妻になれなかった方の称号かな?」と想像する私。

「准后」の仮名も入力するので、ネット検索してビックリしました。
「じゅごう」と読むそうです。

そして准后の意味を調べたり、これまでに准后の称号を与えられた人物名をみてまたビックリ。
どう見ても男性の名前ばかり…。
正確には女性もいるのですが、圧倒的に男性、しかも僧侶まで存在します。

冒頭に書いた通り、仕事中に出会った言葉。
元々は「続群書類従(ぞくぐんしょるいじゅう)」というシリーズものの歴史資料の副題に「満済准后日記」とあったことから調べたのがきっかけです。
准后を女性と勘違いし、日記は女性が書くことが多いという思い込みがありました。

よくよく考えれば、「満済」は僧侶っぽい人物名です。
しかも天皇のお后さまのような身分が高い女性が自ら日記なんてほぼ書きませんしね。
なによりもその本を開いたら、イカツイ漢文でした。
これは女性が書く文体ではないです。

それにしても准后はややこしい称号です。
身分は、太上皇后、皇太后、皇后の三后に准じるそうで、江戸時代まで続いたとか。
いやはや、全然知らなかったです。

それと昼休み中に、ふと思い出したのですが、安徳天皇は入水して亡くなったはずです。
御陵印集めのブログ記事でも書きましたが、宮内庁は天皇家の陵墓の発掘調査を認めていません。
ゆえに安徳天皇は陵墓がないよねぇ、と思うのです。
調べてみると安徳天皇の場合は「安徳天皇陵墓参考地」と呼ばれる場所が全国に5か所ありました。
陵墓参考地は、とりあえず確証はないけれど、そう伝わっているので、宮内庁管轄下に置きます、という場所です。
安徳天皇は幼く(満6歳4か月)して亡くなったので、平家の落人伝説のように各地に伝説が残ったのでしょう。

気になったことを気軽に調べられるのはインターネットのいいところ。
それにしても、過ぎ去った時代のことは、本当に再発見があって面白く、興味深いです。
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