青い花

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悟浄出立

2017-04-03 09:24:22 | 日記
『悟浄出立』

収録作は、「悟浄出立」、「趙雲西航」、「虞姫寂静」、「法家孤憤」、「父司馬遷」の五篇。
「西遊記」の沙悟浄、「三国志」の趙雲、項羽の愛妾・虞姫、始皇帝暗殺に失敗した荊軻と同音異字の京科という名の小役人、司馬遷の娘・榮…中国の古典に登場する脇役たちに着目し、彼らが脇役から主役へと鮮やかに変身する“過程”を描いている。

「悟浄出立」以外の四作は哀愁色が強い。
それでも読後感が悪くないのは、万城目氏が彼らの生き方を肯定的に捉えているからだろう。故郷に帰れなかった趙雲が船上で打つ太鼓も、死を決意した虞美人の舞も、切々と胸に迫るものがあるが暗くはない。
作中では、度々“過程”という言葉が繰り返されている。齢五十に差し掛かろうが、今まさに自刃する瞬間であろうが、何かを望み続ける限りは“過程”の人なのだ。効率や結果ばかりが重視される昨今にあって、“過程”を重視する万城目氏の世界観は健やかだ。

もっとも味わい深かったのは、「法家孤憤」だ。
主人公の京科は、四作の主人公たちの中でも最も印象の薄い、地味中の地味キャラだ。平々凡々なこの男が、秦王暗殺を企て処刑された男・荊軻と同音の名だったために、ちょっとした注目を浴びることになる。

京科は咸陽宮に勤める下級官吏だ。
日に日に大きくなる国に、新たに併呑されることになった地方への命令書を、そこで施行される新たな法を、ひたすら竹簡に記し続けることが彼の仕事である。秦王が刺客に襲われたその日も京科は宮殿で竹簡に法文を記していた。

事件は陛下が燕から来た使節との対面の場で起きた。
殿中では、近臣でさえ寸鉄をも帯びることが許されない。護衛の兵はいるが、彼らは常に建物の外に控え、陛下の命令が無い限り昇殿は赦されないのだ。殿中で武器を許されているのは、陛下唯一人。これは、秦の法が定めるところによる。
謁見する使節の面々は、髪の中から股の内側まで確かめられ、金属を隠し持つことなど不可能のはずだった。しかし、賊は使節団の中にいたのだ。

誰も陛下を助けることが出来なかった。
何しろ殿中の者は、一人として武器を持っていなかったからである。衛兵を招き入れることもできなかった。何故ならそれが許されるのは、陛下の命令があるときだけだからだ。だが、刺客に襲われている陛下はそれどころでない。陛下の命を救ったのは、武漢でも何でもない唯の医者だった。彼が必死で投げた薬袋が賊の顔を強打し、陛下自らの刃によって賊を殺害することが出来たのだ。
つまり、法によって陛下は死ぬところだったのである。滑稽だが、それが法治というものだ。

“ケイカ”
官吏たちの集う広場で、廷尉(司法長官)の李斯様は、いきなり京科の名を呼んだ。勿論、京科が賊であるはずがない。偶然、賊の名が京科と同じ読み方だったのである。

“荊軻”
京科の脳裏には、二年前、邯鄲の役場での風景が蘇った。役場の書記官のたった一人の補充試験の場で、京科は荊軻に出会っていたのだ。
奇縁だった。誰も法家のことなど知らぬ時から、荊軻は誠実な法家だった。不健康そうな青白い肌をしていた。何年も刀筆の吏(文書を司る官吏)になるために勉強を重ねてきたと言っていた。法が世を統べる。そんな主客の関係が存在することを京科に教えてくれたのは、あの荊軻だったのだ。

京科自身は官吏になるつもりなど毛頭なく、父親に言われるまま試験を受けに来ただけだった。父親の行商の手伝いをしていたおかげで、幼いころから読み書きと勘定はできた。とはいえ、その程度の知識では試験の内容は理解できない。試験は試験官の前で文書を読み上げ質問に答えるというものだったが、京科は頓珍漢な受け答えに終始して試験官たちに笑われながら退席することになった。
当然、試験には落ちたと思った。しかし、合格発表の場で名を呼ばれたのは、“ケイカ”だった。

“京科と荊軻”
同音の名のものが二人いたため、試験官が合格者の名を書き間違えたのだ。しかも、どういう訳か、“ケイカ”と読むが京科でも荊軻でもない別の名が記されていた。混乱した試験官たちは、いい加減な占卜に従って京科を採用することに決めてしまった。
京科にはわかっていた。お偉方が書き間違えただけで、その意中にあったのは荊軻の方だったことを。
きまりの悪さを押し隠しつつ家路につこうとしたとき、「アア、マッタク、残念ナコッチャ」という酷い衛訛りの声が聞こえてきた。荊軻だった。それがきっかけで、京科は荊軻と言葉を交わした。
荊軻は結果の不満は一切漏らさず、「私にはもう必要なくなった。きっと、これから君の仕事に役立つ」と言って竹簡の入った袋を押し付けてきた。それきり、二人が再会することはなかった。

竹簡には、文字に逐一指を添え、何度も読み返した跡があった。内容は、法家の師弟のやり取りだった。
京科が役場に勤め始めたころ、まだ、誰一人法家なんて知りはしなかった。そして、京科にも竹簡の字は読めても意味までは分からなかった。
そんなことくらい、荊軻にはわかっていただろう。荊軻が京科に竹簡を渡したのは、これから官吏となる京科に自分の知識を伝え、自分の代わりに活かして欲しいという純粋な気持ちからだったのだろう。仕事の経験を積み、知識が増えていくにつれて、京科にもきっと竹簡の意味が分かるようになる。そうやって、一人一人の精神に少しずつ法が染みつき、やがて大きな雲となって国全体を覆うだろう。そう信じていたのではないだろうか。

そんな男が、なぜ法を犯す凶賊に成り下がったのか。
この物語の主人公は、荊軻ではなく京科なので、そこのところははっきりしない。あくまでも京科という一凡人の知りえた事実と想像できる範囲から物語がはみ出ることはない。この辺の匙加減は巧みだと思う。主人公を愛し過ぎて、彼/彼女を超人化してしまう作家が時々いるが、万城目氏はそのような愚は犯してない。

企てが失敗に終わったにも関わらず、民衆は荊軻に熱狂した。
京科の同僚でさえ、荊軻の勇敢さを無意識のうちに認める発言をした。巷では「燕人刺秦」などという言葉で、その義挙が讃えられた。占卜の結果さえ違っていたなら、平凡な小吏として生涯を終えたであろう男は、匕首ひとつで大国と対峙する義士にまでなったのだ。

民衆の荊軻への熱狂ぶりは、続く「父司馬遷」の、市の広場で『荊軻刺秦』が演じられる場面にも描かれている。
人々は、荊軻が秦王に刃を向ける場面では興奮して声援を送り、荊軻の末期の言葉を聞くあたりではすすり泣く。そして、娘ということで父・司馬遷から学問を授けられなかった榮が、再会した父に初めて授けられた文が、「荊軻とは衛の人なり――」なのだ。

一体人々は、何を見ているのか?あの「アア、マッタク、残念ナコッチャ」と悲しげに呟いていた朴訥な法家の男はどこに行ってしまったのか?
卑小を純粋と讃え、蛮を義に取り違え、人々は新たな荊軻の物語を競って紡ぐ。法家がこれから生み出そうとする新たな世界を、彼らは全く見ようとしない。それは、彼らの荊軻がかつて目指した世界だというのに。

“お前の荊軻”
上役は過剰な諧謔の響きを載せて口にしたが、たしかに荊軻は京科の荊軻であった。京科にとって、荊軻は彼を別人に産み直した男だ。
荊軻から貰った竹簡を燃やしても、もう二度と荊軻の名を口にすることは無くても、荊軻の志を荊軻自身が踏み躙っても、荊軻が京科の出発点であることに変わりはないのだから。
今はまだ、あの男に産み落とされた一片の影に過ぎなくても。ケイカ、ケイカと叫ぶ自分の声が、自分を呼んでいるのか、あの男を呼んでいるのか分からなくても。京科の道は荊軻より先へ続く。

“お前はあの日、何も知らぬ俺に道を授けた。そして、お前はこの道を捨てた。”

“あと少しで、この世界は一つになる。せいぜいあの世で反省しろ。本当はお前が進むべきだった道の行方をしかと見届けろ。ときに苛烈に振る舞うことがあっても、法こそがこの世界を束ね、人々を公平に導く唯一の存在だと俺は信じている。この竹簡はお前に返す。もう、お前から続く道ではない。これからは、俺一人が進む道なのだ。”

世界を変えるのは火花の様に過激な義士ではない。彼らに出来るのは破壊活動だけだ。
新しい世界を創造し維持していくのは、歴史に名を刻むことの無い凡人たちの手だ。万城目氏の筆は、伝説となった義士ではなく、黙々と法文を記し続ける小役人の生き方を肯定している。「法家孤憤」とは、誠実に生きる凡人への賛歌なのだ。
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