青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

山尾悠子『迷宮遊覧飛行』

2023-07-14 08:51:20 | 日記
山尾悠子二十代から六十代の現在に至るまでを網羅した初のエッセイ集。
三部構成で、一部と二部は自作解説、読書遍歴、身辺雑記など。
澁澤龍彦・倉橋由美子・金井美恵子・塚本邦雄・高橋睦郎といった、山尾が神レベルで崇拝する作家については特に文字数が多い。
山尾の神作家・澁澤龍彦が編纂し、山尾が解説を担当した『泉鏡花セレクション』の補足にもかなりの枚数が割かれている。
鏡花!澁澤!山尾!最強の布陣では?字面から強過ぎる。

あまり気にしていないが、山尾作品が好きなのに、山尾の神々と私の神々がそれほど被っていないのはちょっとした発見だった。
好きな作家とは、これくらいの距離間で生きていたい。

とはいえ、ブッツアーティに触れられていたのは嬉しかった。
『タタール人の砂漠』は、共感力の鈍い私が、珍しくのめり込むように読んだ小説だ。
同じテーマで自然主義文学だったら手に取らなかっただろうけど、国境の架空の砦で伝説のタタール人の襲来を待ち続けることに人生を空費する男たちの物語には、人生の苦み、寂寥感はあれど、惨めさは無かったのだ。
そもそも長編より短編が好きなので、ブッツアーティも短篇集から入ったから、本書に「コロンブレ」「七階」などのタイトルを見つけてにんまりした。

純文学はあまり読まないという山尾だが、太宰治は中学生の頃にユーモア小説なのだと思い込み、結構熱心に読んでいたそうだ。
ユーモア小説で間違いないのではないか。
太宰の小説を読むと、この人がモテ男だったのがよく分かる。山尾のマイベストは「魚服記」。

それと、稲垣足穂。というか、足穂の読み方について。
山尾の足穂の読み方は偏っていて、エッセイ風・論述風のものはいっさい厭、『一千一秒物語』に代表されるような独立・完結した小説宇宙でなければ愛玩する気にならないそう。
そこは私の足穂の読み方と一致している。もっとも私の場合、足穂に限らず、自作解説以外のエッセイはあまり読まない。
その作家の作品のすべてを愛せなければ愛読者と言えないわけではないはず。
たとえば、山尾の神の一人、塚本邦雄について。私は彼の小説の貴族的な残酷趣味には酩酊するが、彼の短歌は分からない。短歌全般に関心が薄く、定型詩ならより文字数の少ない俳句の方が好みなので。そんなわけで、山尾の短歌にも触れていない。
そういう読み方は批判されがちなので、山尾が足穂の読み方を語ってくれたのには勝手に助けられた。
それにつけても、足穂の初期作品の夢のような美しさといったら。
彗星、ガス燈、金平糖――。すべてがキラキラしていて、床に落ちれば粉々に砕け散る、硬く、冷たく、可愛らしい言葉たちの小宇宙。繊細なのに暴力的でもある。
可愛らしいは当てはまらないけど、山尾の初期作品の硬質な煌めきと崩壊の様には足穂に通じるものがある気がする。

あとは、中井英夫の羽根木の自宅に招かれた話。
あの極度にスタイリッシュな文章を書く中井の家、日常に口を開けた異界のような雰囲気だったのだろうか。
山尾は中井の作品を、田舎者には恐れ多く、近寄りがたい上級都会人の創作、というイメージと評する。中井英夫は生活全般がそうであったのではないか。
中井と言えば、薔薇の花だ。中井は大の薔薇好きで、当時、中井邸で薔薇の鑑賞会的な集まりが催されていたと、どこかで読んだ記憶がある。
山尾が表情筋を引き攣らせるほど緊張しながら中井に渡した薔薇の花束は、どんな花瓶に生けられたのか。

二部にはエッセイというよりは掌編小説に近い作品が集められていて、これがめっぽう面白かった。
好きな作家のエッセイ集だから本書を手に取ったけど、やはり私はエッセイより小説の方が好きだ。若い頃の山尾に、エッセイの依頼に小説風の文を渡していた時期があって良かった。

「虎のイメージ」
虎と言えば、ボルヘスが最も愛した獣。
聖・毛皮店《キルケー》の噂と失踪する女について。
この掌編では、《毛皮》の喚起するイメージは《虎》によって代表される。
女が半人半獣に変身するには、小動物の皮を数頭分貼り継いだ毛皮では緊迫感に欠ける。女の獣性を最も多く備えた獣が《虎》なのだ。

「夢と卵」
夢に出てくる卵ではなくて、〈夢見る卵〉。
すべての卵たちは、ただ眠っているだけではなく実は夢を見ている。
人間の胎児でさえ夢を見るのだから、鶏や爬虫類の卵が夢を見ないはずはないのだ。
それは、絶滅鳥の卵の化石でも、透明ケースにパックされた無精卵でも同じこと。彼らには孵化の時など訪れようはずも無いのだけど、にもかかわらず孵化の夢を追い続けるのだ。

「懐かしい送電塔の記憶が凶々しい悪夢として蘇る」
ひとにはそのひとの、懐かしい悪夢がある。
郊外の発電所から出現して、陰気なパースペクティブを描きながら高圧線を運んでいく、あの両足を開いて立つ鉄塔群。〈飛ぶ夢〉には、なぜかいつもそれが出てくる。
風に吹き飛ばされ、空高く舞い上がる私の視界に現れる鉄塔。上下左右を埋め尽くす電線の軌跡。飛び続ける私の腕に頬に、ビシビシと高圧線が降れる。激突と電気ショックの予感に心臓が軋む。

郊外へ向かう電車に乗って、河口の赤錆びた鉄橋を渡り、草もまばらな土盛りを見渡す。
斜めに傾いていく窓の外に、遠く野面に傾く送電塔の列を眺める。
そこに長い悲鳴を上げながら吹き飛ばされて行く自分の姿が見えたなら、懐かしさを感じるかもしれない。
コメント