青い花

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東欧怪談集

2017-11-17 07:11:16 | 日記
沼野充義編『東欧怪談集』は、東欧諸国の怪談を26編集めたアンソロジー。
このうち19編までが、本書のために初めて邦訳されたものであり、収録された作家の大半は、邦訳されること自体、今回が初めてである。
しかも、本書に収められた作品は、すべて元の言語から直訳されている。マイナーな言語はだいたい英語などメジャーな言語からの重訳になってしまう日本の現状で、本書の功績は大きい。ポーランド語やチェコ語、ハンガリー語など、東欧諸国の中では比較的メジャーな言語だけでなく、スロヴァキア語、マケドニア語と言ったマイナー中のマイナー言語まで、専門家の協力を得ることが出来たのは、沼田氏の労力の賜物であろう。
ただでさえ紹介の手薄い東欧文学の中でも、怪談という趣味的なジャンル、つまりは文学としての地位の低いジャンルの作品の紹介のために、ここまで手間暇をかけて編纂してくれたことには、一読者として感謝の念を禁じ得ない。

東欧とは一体どこからどこまでを指すのか。それは何を物差しにするかでかなり変わってくる。
沼田氏にとっての東欧とは、たんなる地理的な概念でもなければ、政治的な色分けでもない、文学的想像力のあり方に関わることなのだそうだ。
西欧的な洗練された様式と、東方(ロシア)的な混沌のあわいに亡霊のように変幻自在な姿を見せるのが東欧だ。
東欧とは、ヨーロッパ文化が東の非ヨーロッパ世界とぶつかりながら、自らのアイデンティティを保持するための最後の砦だ。こういった辺境では、他文化から自らの文化を死守するために、ヨーロッパの中心である西欧がすでに忘れかけている“ヨーロッパ的なるもの”が、かえって鮮明に意識される。
本書の扱う東欧の範囲については、西欧の東に広がるロシアまでを含む地域と言う、かなりおおらかな立場をとっているが、前出のようなことを一応は念頭に置いて読むべきなのであろう。

本書に収録されているのは9か国の作品だ。
クロアチア、スロヴェニア、ブルガリア、アルバニアの文学からは、適当な作品を見つけることが出来なかったとのこと。また、エストニア、ラトヴィア、リトアニアのいわゆるバルト三国は紙面の制約もあって別の機会に譲ることになったそうだ。その一方で、固有の国家をもたないために国別の分類法では無視されてしまう東欧ユダヤ人のイディッシュ語文学については、一章当ててある。これもまた、多様な東欧の忘れてはならない顔の一つだからだ。

ポーランド
「サラゴサ手稿」ヤン・ポトツキ著 工藤幸雄訳 「不思議通り」フランチシェク・ミランドラ著 長谷見一雄訳 「シャモタ氏の恋人」ステファン・グラビンスキ著 沼野充義訳 「笑うでぶ」スワヴォーミル・ムロージェック著 沼野充義訳 「こぶ」レシェク・コワコフスキ著 沼野充義訳 芝田文乃訳 「蠅」ヨネカワ・カズミ著 坂倉千鶴訳

チェコ
「吸血鬼」ヤン・ネルダ著 石川達夫訳 「ファウストの館」アロイス・イラーセク著 石川達夫訳 「足あと」カレル・チャベック著 栗栖継訳 「不吉なマドンナ」イジー・カラーセク・ゼ・ルヴォヴィツ著 石川達夫訳 「生まれそこなった命」エダ・クリセオヴァー著 石川達夫訳 

スロヴァキア
「出会い」フランチシェク・シヴァントネル著 長与進訳 「静寂」ヤーン・レンチョ著 長与進訳 「この世の終わり」ヨゼフ・プシカーシ著 木村英明訳

ハンガリー
「ドーディ」カリンティ・フリジェシュ著 岩崎悦子訳 「蛙」チャート・ゲーザ著 岩崎悦子訳 「骨と骨髄」タマーシ・アーロン著 岩崎悦子訳 

ユダヤ
「ゴーレム伝説」イツホク・レイブシュ・ベレツ著 西成彦訳 「バビロンの男」イツホク・バシヴィス著 西成彦訳 

セルビア
「象牙の女」イヴォ・アンドリッチ著 栗原成郎訳 「ハザール事典」ミロラド・パヴィチ著 工藤幸雄訳 「見知らぬ人の鏡」ダニロ・キシュ著 栗原成郎訳 

マケドニア
「吸血鬼」ベトレ・M・アンドレエフスキ著 中島由美訳

ルーマニア 
「一万二千頭の牛」ミルチャア・エリアーデ著 直野敦訳 「夢」ジプ・I・ミハエスク著 住谷春也訳 

ロシア
「東スラヴ人の歌」リュドミラ・ペトルシェフスカヤ著 沼野恭子訳

全体的に意外と(と言ったら失礼だろうか)洗練された作品が多かった。これは、常に東からの脅威にさらされて来たために、西欧以上に“ヨーロッパ的なるもの”にしがみついてきた東欧人の意識の表れであろうか。
どうあったってヨーロッパでしかない西欧諸国がエキゾチシズムに遊ぶ余裕があるのに対して、いつ東に飲み込まれてもおかしくないというか、実際に多くが旧ソ共産圏に取り込まれていた東欧諸国は、ヨーロッパへの帰属意識が極めて強い。それ故に、文学でも彼らが考える“ヨーロッパ的なるもの”を意識的に表現しているのだろう。英文学や仏文学以上に、知的で、洗練されていて、遊び心すらある。
甚だ馬鹿っぽい感想であるが、東欧と言えば、ヴラド・ツェペシュやエリザベート・バートリといったリアル・ドラキュラな人たちを度々輩出している地域という先入観から、もっと血と暴力に満ちたおどろおどろしい作品が多いのかと思っていたので、目の覚めるような驚きを感じた。
フランチシェク・ミランドラ「不思議通り」の人生における取り返しのつかない過ち、カレル・チャベック「足あと」のリプカ氏と警部のシニカルなやり取り、ヤーン・レンチョ「静寂」の世界の終わりの無音の風景、イツホク・レイブシュ・ベレツ「ゴーレム伝説」のタイトルの印象からは想像もつかない乾いたペシミズム、ミロラド・パヴィチ「ハザール事典」のバロック的奇想、何れも泥臭さがなくスタイリッシュで、それでいて胸に迫るものがあった。
もう一つ馬鹿を晒すようなことを言えば、私には東欧の知識が義務教育レベルしかないので、この常に動乱状態の地域の歴史的・政治的な状況を殆ど把握できていない。そのため、読みながらわからない部分、例えばミハエスク「夢」に出てくる戦争とはどの戦争のことなのか、とかをいちいち調べながら読まねばならなかったので、読了するのにかなりの時間を要した。そんな手間暇も含めて、読む価値のあるアンソロジーである。
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