岩波文庫のフセーヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシン作/神西清訳『紅い花 他四篇』には、『紅い花』『四日間』『夢がたり』『アッタレーア・プリンケプス』の五篇の短編が収録されている。
中野美代子の『カニバリズム論』の中で、魯迅が『狂人日記』を書くにあたって影響を受けたと推測される作品の一つとして、ガルシンの『紅い花』が挙げられていた。
『カニバリズム論』は、カニバリズムについてよりも中国文化や中国文学について多くのページが割かれていて、中国文学は古典をいくつか読んだことがあるだけで、近代以降の作品には殆ど関心の無い私には、比較対象として挙げられていた欧米文学や日本文学の方が魅力的に思えた。そうして、いつか読もうと思ってメモしておいた作品の一つが、『紅い花』なのだ。
『紅い花』は、一人の若い狂人が、精神病院に護送されてくる場面から始まる。
二昼夜というもの、この狂人と汽車に揺られてきた二人の護送人は疲労困憊である。しかし、狂人自身の状態はもっと悪かった。
“見るも恐ろしい姿だった。発作の時ずたずたに裂いてしまった鼠色の服のうえから、刳り込みの大きいごわごわのズックの狭窄衣が、びっちりと胴体を締めつけている。長い袖が、両腕をぎゅっと胸の上に十文字に組ませ、背中でくくり上げてある。真っ赤に充血した両眼は大きく見ひらかれ(これで十日のあいだ一睡もしていないのだ)、じっと動かぬ燠火のように燃えている。神経性の痙攣がした唇の端をぴくぴくと引っ攣らせ、くしゃくしゃになった縮れ毛が、まるで鬣のように額に垂れかかっている。そうして事務室の隅から隅へずしずしと足早に歩き廻って、探るような目つきで書類のはいった古戸棚や油布張りの椅子をじろじろ眺めたり、時には護送人の方をちらりと見たりする。”
去年もここに来たことがあるという狂人は、ちょっとした軽口を叩きながら物慣れた様子で病棟に入っていく。しかし、治療のために陰気な浴室に連れて行かれると途端に大暴れし、常人には理解出来ないことを喚きたてるのだ。
“「聖なる大殉教者ゲオルギイ。この肉体はあなたの御手にお任せします。だが魂は――いいや、厭です、厭です。」”
やがて、温浴と頭に当てた氷嚢が効き目をあらわして、狂人は鎮まっていった。ところが、発泡膏を湿布する段になって、体力と狂った想念が復活し、再び大暴れする。そのため、看護卒から力いっぱい摩擦を受け、失神してしまう。
病室に入れられた狂人は、その後何日も忙しなく動き回り、医師に理解できない言葉を投げかけ続け、見る見るうちに痩せ細っていく。狂人は庭へ出る玻璃扉越しに花壇を眺めているうちに、芥子の一種の、異様に鮮やかな真紅の花に注意を惹きつけられる。
ある日、他の患者とともに病院の庭で外気浴をしていた狂人は、花壇を飛び越え、例の紅い花を鷲掴みにすると、胸の肌着の下に隠した。
その晩、狂人は一晩中眠らなかった。
狂人は、あの紅い花には世界のありとあらゆる悪が集まっていると考えた。その花は、罪無くして流された人類の血を余さず吸い取ったために、あんなに真紅なのだ。それは、神秘な恐るべき存在であり、神の反対者であり、暗黒神であった。狂人は、それを徹底的に毟り取って滅ぼさねばならないと考えた。その悪は彼の胸に、魂に乗り移って、彼に征服されるか彼を征服するかのどちらかだ。それに征服されれば、彼は死ぬ。しかし、それは、世界のあらゆる悪を相手に闘った人類最初の戦士としての名誉の死なのだ。
医師は、体重が日増しに減っていくのに、彼が相変わらず一睡もせずに歩き廻っているのを見て、モルヒネを注射して強制的に眠りにつかせた。しかし、三日もすると、狂人は監視人の目の前で紅い花を摘み取った。幻想の闘いがまた始まったのだ。容態は目に見えて悪化した。狂人は再び狭窄衣を着せられた。
深夜、監視人が鼾をかき始めると、狂人は狭窄衣を寝台の鉄枠に擦り付けて解いた。彼は最後の闘いに赴いた。
“そのあとでは――死んでもいい。”
翌朝、人々は死んでいる狂人を発見した。爪は剥がれ、全身擦り傷だらけで血を流していたが、安らかな明るい顔をしていた。
“その衰え果てた相貌は、何かしら誇りかな幸福の色を浮かべていた。彼を担架に移したとき、人々は手を開かせて、紅い花を抜きとろうとした。がその手ももう硬直しだしていて、彼は自分の戦利品を墓へと持ち去ったのである。”
主人公の狂人は紅い花との闘いの末の死を名誉の死と考えていたが、端から見ると狂人ならではの支離滅裂で無意味な死でしかない。
医師も看護人も入院患者も、誰もこの狂人の言動を理解していない。狂人自身も自分が狂っていることを自覚していて、他者からの理解を期待してはいない。
紅い花を毟り取る。それは狂人にとって、世界中のありとあらゆる悪との死闘であった。狂人は、その花から蛇に似た何本もの悪がのたくり出るのを感じた。それは彼に巻き付き四肢を締めあげ、全身に恐ろしい分泌物を沁み込ませるのだった。それでも、狂人は、人類を救うために花を毟り続ける。
げっそりとこけた頬、眼窩に落ちくぼんでぎらぎらした瞳、恐ろしいほど真っ青になった顔で、ふらふらと病院中を歩き回り、ひっきりなしに喋り立てる。この辺りの彼の内面の描写は、殆ど殉教者のそれであるが、彼の行為が純化されればされるほど、他者には狂気が一層拗れたように見えてしまう。誰の共感も助力も得られない滑稽で崇高な戦いだ。
ガルシンの生涯については、巻末の解説に詳しく記されている。
ガルシンは、1855年2月、南露エカテリノスラーフ県で生まれた。父方の家系はキプチャク汗国時代に発祥すると伝えられる小地主貴族である。
1863年、ガルシンはペテルブルグに移り、当地の中学校に入学する。しかし、卒業の直前17歳の時に最初の狂疾の発作に襲われて、精神病院に入院しなければならなかった。この精神疾患は母方の遺伝に根差すものと言われる。1888年3月、コーカサスへの転地療養に出発する日の朝、飛び降り自殺を図り、5日後に息絶えるまで、ガルシンは生涯に渡って度々、救われがたい憂鬱症、無気力と不眠、激しい狂疾の発作に見舞われた。
紅い芥子の花を悪の権化とみなし、苦闘の果てに滅びる若い狂人の姿を描いた『紅い花』は、遺伝的な精神疾患と研ぎ澄まされた道徳的敏感さに貫かれた短くも重たいガルシン自身の人生を芸術の域に昇華した傑作である。
ガルシンは、臨終の床を見舞った友人の「(飛び降りたときに骨折した脚が)痛むか」という問いに、心臓を指しながら、「ここの苦しみに比べれば、こんな痛みは何でもない」と答えたと伝えられている。
誰もいない真夜中の庭で、手から膝から血を流し、力尽きるまで紅い花を毟り続けた主人公の痛みは、生涯ガルシンを苛み続けた心の痛みと同じなのだ。
『紅い花』と同様、紅い色を罪なき人の流した血の色として表現した作品が『信号』である。
こちらの主人公セミョーン・イヴァーノフは狂人でも何でもない平凡な線路番で、それ故に彼の自己犠牲は、『紅い花』の主人公の自己犠牲よりはるかに解り易い。
セミョーンは9年前まである将校の従卒をしていた。
戦地でリューマチを患い帰国したが、家に帰ってみると父親と一人息子が病死していた。以来、女房と二人、住み込みで鉄道の線路番をしている。
そんなセミョーンが、隣の線路の年若い線路番と親しくなる。
ヴァシーリイ・ステパーヌチと言う名のその男は、セミョーンより高い給料を貰っているが、貧しい者に過酷なふるまいをする役人に鬱憤をため込んでいた。そして、線路監督に暴力を振るわれたことをきっかけに、自棄になってレールの犬釘を外してしまうのである。
その場を目撃したセミョーンは必死に走った。
今度の列車は客車なのだ。停車させようにも手立てがなかった。旗が無いのだ。レールを元に戻そうにも素手では犬釘は打てない。汽笛の音が聞こえる。客をすし詰めにした三等車がそばまで迫っている。小屋に道具を取りに行ってから現場に戻ったのでは間に合わない。
その時、ふと閃いた。
セミョーンは木綿のハンカチと小刀を取り出した。
“そして十字を切った、――『主よ、恵みたまえ!』と。”
セミョーンは小刀を自分の左の二の腕に突き刺すと、噴き出た血潮にハンカチを浸した。そして、枝先に結わえ付けて、わが血に染めた赤旗を掲げた。
セミョーンは汽車に向かって赤旗を振る。血はあとからあとから噴き出てくる。眩暈がする。耳の中ではがんがんと鐘がなる。
“『もう立ってはおられぬ、俺は倒れる、ああ旗が落ちる。あの汽車は俺のところを走りぬけるんだ……お助け下さい、主よ、誰か代わりを早く……。』”
失血のためにセミョーンの意識は遠くなり、旗を取り落としそうになる。しかし、旗は地に落ちる前に何者かによって引っ掴まれ、汽車に向かって高く掲げられた。
汽車は止まった。車室から飛び出してきた人々が目撃したのは、全身を紅に染めて倒れているセミョーンと、血だらけの襤褸布の付いた棒を握って佇んでいるヴァシーリイだった。
“ヴァシーリイはぐるりと一同を見廻すと、そのまま首をおとして、
「あっしを縛ってお呉んなさい」といった、「あっしがレールを外したんだ」“
セミョーンの自己犠牲は、汽車の乗客・乗員の命と、ヴァシーリイの良心を救った。なるほど、感動的な場面である。そこに至るまでの、緊迫感溢れる描写もいい。
しかし、解り易さゆえに、『紅い花』の魂を揺さぶるインパクトには遠く及ばない、こじんまりとした凡作だとも思った。
『夢がたり』『アッタレーア・プリンケプス』は、動植物の世界に仮託した童話形式の小品。
『四日間』は、ガルシンの従軍時代(露土戦争)に同じ隊にいた一兵卒の衝撃的な体験に取材している。
敵のトルコ兵を刺殺するも、負傷し身動きの取れなくなった主人公ピョートル・イヴァーヌイチが、自分が殺したトルコ兵の死体が腐敗してくそばで、いつ訪れるか解らない救出を待った四日間の物語だ。炎天の中、凄まじい変貌を遂げていくトルコ兵の遺体の描写と、それを見つめるピョートルの追い詰められていく心理描写の交差には鬼気迫るものがあった。
中野美代子の『カニバリズム論』の中で、魯迅が『狂人日記』を書くにあたって影響を受けたと推測される作品の一つとして、ガルシンの『紅い花』が挙げられていた。
『カニバリズム論』は、カニバリズムについてよりも中国文化や中国文学について多くのページが割かれていて、中国文学は古典をいくつか読んだことがあるだけで、近代以降の作品には殆ど関心の無い私には、比較対象として挙げられていた欧米文学や日本文学の方が魅力的に思えた。そうして、いつか読もうと思ってメモしておいた作品の一つが、『紅い花』なのだ。
『紅い花』は、一人の若い狂人が、精神病院に護送されてくる場面から始まる。
二昼夜というもの、この狂人と汽車に揺られてきた二人の護送人は疲労困憊である。しかし、狂人自身の状態はもっと悪かった。
“見るも恐ろしい姿だった。発作の時ずたずたに裂いてしまった鼠色の服のうえから、刳り込みの大きいごわごわのズックの狭窄衣が、びっちりと胴体を締めつけている。長い袖が、両腕をぎゅっと胸の上に十文字に組ませ、背中でくくり上げてある。真っ赤に充血した両眼は大きく見ひらかれ(これで十日のあいだ一睡もしていないのだ)、じっと動かぬ燠火のように燃えている。神経性の痙攣がした唇の端をぴくぴくと引っ攣らせ、くしゃくしゃになった縮れ毛が、まるで鬣のように額に垂れかかっている。そうして事務室の隅から隅へずしずしと足早に歩き廻って、探るような目つきで書類のはいった古戸棚や油布張りの椅子をじろじろ眺めたり、時には護送人の方をちらりと見たりする。”
去年もここに来たことがあるという狂人は、ちょっとした軽口を叩きながら物慣れた様子で病棟に入っていく。しかし、治療のために陰気な浴室に連れて行かれると途端に大暴れし、常人には理解出来ないことを喚きたてるのだ。
“「聖なる大殉教者ゲオルギイ。この肉体はあなたの御手にお任せします。だが魂は――いいや、厭です、厭です。」”
やがて、温浴と頭に当てた氷嚢が効き目をあらわして、狂人は鎮まっていった。ところが、発泡膏を湿布する段になって、体力と狂った想念が復活し、再び大暴れする。そのため、看護卒から力いっぱい摩擦を受け、失神してしまう。
病室に入れられた狂人は、その後何日も忙しなく動き回り、医師に理解できない言葉を投げかけ続け、見る見るうちに痩せ細っていく。狂人は庭へ出る玻璃扉越しに花壇を眺めているうちに、芥子の一種の、異様に鮮やかな真紅の花に注意を惹きつけられる。
ある日、他の患者とともに病院の庭で外気浴をしていた狂人は、花壇を飛び越え、例の紅い花を鷲掴みにすると、胸の肌着の下に隠した。
その晩、狂人は一晩中眠らなかった。
狂人は、あの紅い花には世界のありとあらゆる悪が集まっていると考えた。その花は、罪無くして流された人類の血を余さず吸い取ったために、あんなに真紅なのだ。それは、神秘な恐るべき存在であり、神の反対者であり、暗黒神であった。狂人は、それを徹底的に毟り取って滅ぼさねばならないと考えた。その悪は彼の胸に、魂に乗り移って、彼に征服されるか彼を征服するかのどちらかだ。それに征服されれば、彼は死ぬ。しかし、それは、世界のあらゆる悪を相手に闘った人類最初の戦士としての名誉の死なのだ。
医師は、体重が日増しに減っていくのに、彼が相変わらず一睡もせずに歩き廻っているのを見て、モルヒネを注射して強制的に眠りにつかせた。しかし、三日もすると、狂人は監視人の目の前で紅い花を摘み取った。幻想の闘いがまた始まったのだ。容態は目に見えて悪化した。狂人は再び狭窄衣を着せられた。
深夜、監視人が鼾をかき始めると、狂人は狭窄衣を寝台の鉄枠に擦り付けて解いた。彼は最後の闘いに赴いた。
“そのあとでは――死んでもいい。”
翌朝、人々は死んでいる狂人を発見した。爪は剥がれ、全身擦り傷だらけで血を流していたが、安らかな明るい顔をしていた。
“その衰え果てた相貌は、何かしら誇りかな幸福の色を浮かべていた。彼を担架に移したとき、人々は手を開かせて、紅い花を抜きとろうとした。がその手ももう硬直しだしていて、彼は自分の戦利品を墓へと持ち去ったのである。”
主人公の狂人は紅い花との闘いの末の死を名誉の死と考えていたが、端から見ると狂人ならではの支離滅裂で無意味な死でしかない。
医師も看護人も入院患者も、誰もこの狂人の言動を理解していない。狂人自身も自分が狂っていることを自覚していて、他者からの理解を期待してはいない。
紅い花を毟り取る。それは狂人にとって、世界中のありとあらゆる悪との死闘であった。狂人は、その花から蛇に似た何本もの悪がのたくり出るのを感じた。それは彼に巻き付き四肢を締めあげ、全身に恐ろしい分泌物を沁み込ませるのだった。それでも、狂人は、人類を救うために花を毟り続ける。
げっそりとこけた頬、眼窩に落ちくぼんでぎらぎらした瞳、恐ろしいほど真っ青になった顔で、ふらふらと病院中を歩き回り、ひっきりなしに喋り立てる。この辺りの彼の内面の描写は、殆ど殉教者のそれであるが、彼の行為が純化されればされるほど、他者には狂気が一層拗れたように見えてしまう。誰の共感も助力も得られない滑稽で崇高な戦いだ。
ガルシンの生涯については、巻末の解説に詳しく記されている。
ガルシンは、1855年2月、南露エカテリノスラーフ県で生まれた。父方の家系はキプチャク汗国時代に発祥すると伝えられる小地主貴族である。
1863年、ガルシンはペテルブルグに移り、当地の中学校に入学する。しかし、卒業の直前17歳の時に最初の狂疾の発作に襲われて、精神病院に入院しなければならなかった。この精神疾患は母方の遺伝に根差すものと言われる。1888年3月、コーカサスへの転地療養に出発する日の朝、飛び降り自殺を図り、5日後に息絶えるまで、ガルシンは生涯に渡って度々、救われがたい憂鬱症、無気力と不眠、激しい狂疾の発作に見舞われた。
紅い芥子の花を悪の権化とみなし、苦闘の果てに滅びる若い狂人の姿を描いた『紅い花』は、遺伝的な精神疾患と研ぎ澄まされた道徳的敏感さに貫かれた短くも重たいガルシン自身の人生を芸術の域に昇華した傑作である。
ガルシンは、臨終の床を見舞った友人の「(飛び降りたときに骨折した脚が)痛むか」という問いに、心臓を指しながら、「ここの苦しみに比べれば、こんな痛みは何でもない」と答えたと伝えられている。
誰もいない真夜中の庭で、手から膝から血を流し、力尽きるまで紅い花を毟り続けた主人公の痛みは、生涯ガルシンを苛み続けた心の痛みと同じなのだ。
『紅い花』と同様、紅い色を罪なき人の流した血の色として表現した作品が『信号』である。
こちらの主人公セミョーン・イヴァーノフは狂人でも何でもない平凡な線路番で、それ故に彼の自己犠牲は、『紅い花』の主人公の自己犠牲よりはるかに解り易い。
セミョーンは9年前まである将校の従卒をしていた。
戦地でリューマチを患い帰国したが、家に帰ってみると父親と一人息子が病死していた。以来、女房と二人、住み込みで鉄道の線路番をしている。
そんなセミョーンが、隣の線路の年若い線路番と親しくなる。
ヴァシーリイ・ステパーヌチと言う名のその男は、セミョーンより高い給料を貰っているが、貧しい者に過酷なふるまいをする役人に鬱憤をため込んでいた。そして、線路監督に暴力を振るわれたことをきっかけに、自棄になってレールの犬釘を外してしまうのである。
その場を目撃したセミョーンは必死に走った。
今度の列車は客車なのだ。停車させようにも手立てがなかった。旗が無いのだ。レールを元に戻そうにも素手では犬釘は打てない。汽笛の音が聞こえる。客をすし詰めにした三等車がそばまで迫っている。小屋に道具を取りに行ってから現場に戻ったのでは間に合わない。
その時、ふと閃いた。
セミョーンは木綿のハンカチと小刀を取り出した。
“そして十字を切った、――『主よ、恵みたまえ!』と。”
セミョーンは小刀を自分の左の二の腕に突き刺すと、噴き出た血潮にハンカチを浸した。そして、枝先に結わえ付けて、わが血に染めた赤旗を掲げた。
セミョーンは汽車に向かって赤旗を振る。血はあとからあとから噴き出てくる。眩暈がする。耳の中ではがんがんと鐘がなる。
“『もう立ってはおられぬ、俺は倒れる、ああ旗が落ちる。あの汽車は俺のところを走りぬけるんだ……お助け下さい、主よ、誰か代わりを早く……。』”
失血のためにセミョーンの意識は遠くなり、旗を取り落としそうになる。しかし、旗は地に落ちる前に何者かによって引っ掴まれ、汽車に向かって高く掲げられた。
汽車は止まった。車室から飛び出してきた人々が目撃したのは、全身を紅に染めて倒れているセミョーンと、血だらけの襤褸布の付いた棒を握って佇んでいるヴァシーリイだった。
“ヴァシーリイはぐるりと一同を見廻すと、そのまま首をおとして、
「あっしを縛ってお呉んなさい」といった、「あっしがレールを外したんだ」“
セミョーンの自己犠牲は、汽車の乗客・乗員の命と、ヴァシーリイの良心を救った。なるほど、感動的な場面である。そこに至るまでの、緊迫感溢れる描写もいい。
しかし、解り易さゆえに、『紅い花』の魂を揺さぶるインパクトには遠く及ばない、こじんまりとした凡作だとも思った。
『夢がたり』『アッタレーア・プリンケプス』は、動植物の世界に仮託した童話形式の小品。
『四日間』は、ガルシンの従軍時代(露土戦争)に同じ隊にいた一兵卒の衝撃的な体験に取材している。
敵のトルコ兵を刺殺するも、負傷し身動きの取れなくなった主人公ピョートル・イヴァーヌイチが、自分が殺したトルコ兵の死体が腐敗してくそばで、いつ訪れるか解らない救出を待った四日間の物語だ。炎天の中、凄まじい変貌を遂げていくトルコ兵の遺体の描写と、それを見つめるピョートルの追い詰められていく心理描写の交差には鬼気迫るものがあった。