青い花

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バッタを倒しにアフリカへ

2017-09-05 08:14:49 | 日記
前野ウルド浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』

ファーブルに憧れて昆虫学者となった著者(通称・バッタ博士)は、バッタの被害を食い止めるため、そして、バッタに食べられるために、単身、モーリタニアへと旅立った――。
本書は、サハラに青春を賭ける若き昆虫学者が、アフリカの食糧問題を解決するため、そして、自身の夢を叶えるために、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた苦闘の日々をユーモラスに綴った一冊である。
「前野ウルド浩太郎」と、外国の血が入っているかのような名を名乗っているが、前野氏は純然たる秋田人である。「ウルド」と名乗ることになったいきさつについても、本書で語られている。


“ 子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

 小学生の頃に読んだ科学雑誌の記事で、外国で大発生したバッタを見学していた女性観光客がバッタの大群に巻き込まれ、緑色の服を喰われてしまったことを知った。バッタに恐怖を覚えると同時に、その女性を羨ましく思った。その頃、『ファーブル昆虫記』に感銘を受け、将来は昆虫学者になろうと心に誓っていたため、虫にたかられるのが羨ましくてしかたなかったのだ。
 虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。“

ここだけを読むと、前野氏って奇人変人なんだなと思うけど、本書は常識人でなければ書けない解り易さだ。それは、前野氏のバッタの研究に臨む姿勢にも表れている。自然相手のフィールドワーク、思い通りにならない事ばかりだが、問題が発生するたびに、誰もが納得できる理論的な打開策を編み出すので、必ず協力が得られるのだ。

モーリタニア首都のヌアクショット空港に降り立った瞬間から、前野氏の苦闘は始まった。
持ち込めるはずの荷物が不審に思われ、事情聴取を受けることになったのだ。イスラム教徒は酒を禁じられているが、他宗教の人間は飲んでもかまわないはずである。それなのに、すべての酒を没収されてしまった。のちに、賄賂を貰えなかったことによる係員の嫌がらせだったことが分かる。
この後も、秋田の実家から送られてきた荷物を受け取りに郵便局に行ったら、余分な追加料金を取られたり(外国人には正規の手数料では荷物を渡してくれない)、現地で雇ったスタッフには給料を吊り上げられたりと、お金に関しては、日本では考えられない苦労を重ねる羽目になる。

出鼻をくじかれた形になったが、研究所での待遇は良かった。
研究所にはセキュリティと呼ばれる門番がいて、彼が買い物もしてくれる。お抱えコックの作る料理には、食欲をそそられる(食料が豊富なのは研究所内だけではない。前野氏が街に買い物に出た時の記述にもあるが、モーリタニアの食糧事情はかなり良い。アフリカ=飢餓と貧困、と思いこんでいた私は、モーリタニアの食材の豊富さと美味しそうな料理の数々に驚いた。ごはんが美味しくなかったら、それだけで長期滞在はきつくなる。前野氏はモーリタニアでの苦闘の日々を、料理によってだいぶ救われたのではないだろうか)。
ゲストハウスは家具完備で、トイレ・シャワーは個室ごとについている。冷蔵庫にはフルーツとジュースが並び、机の上には新品の箱ティッシュ。そして、エアコンは爽やかな風を吹き出している。インターネットもちゃんと繋がる。まるで、ホテルみたいだ。

何よりの宝は、ババ所長の存在だ。
義理人情に篤いババ所長は、抱え込んだポスドクをお荷物扱いしない。研究に行き詰まるたびに親身になってアドバイスし、無収入の不安に弱音を吐けば叱咤激励してくれる。そして、研究に関することに限らず、人生の道標となる言葉を度々送ってくれたのだ。ババ所長は、前野氏にとって、親兄弟にも相談できないことが言える唯一無二の存在となった。
前野氏の研究に賭ける意気込みを讃え、「コータロー・ウルド・マエノ」と言う名を授けたのもババ所長だ。「ウルド(Ould)」とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「〇〇の子孫」と言う意味だ。ちなみにババ所長の本名は、モハメッド・アブダライ・ウルド・ババである。

ドライバーのティジャニの存在も大きい。
少々お金に汚いところがあるが、気働きが利き、長時間の運転にも不平を言わない。この国の人間にしては異例の時間厳守行動。何よりも、誰とでもすぐ打ち解けることが出来る愛嬌たっぷりの性格で、前野氏のフィールドワークには欠かせない相棒となった。


前野氏は、小学生の時に『ファーブル昆虫記』と出会い、感銘を受けた。
ファーブルは、自分自身で工夫して実験を編み出し、昆虫の謎を次々と解決してく。なんて格好良いのだろう。ファーブルをヒーローと定めた前野氏の人生は、徐々に昆虫にまみれて行く。夏休みの自由研究にクワガタやカブトムシの標本を作り、鈴虫が鳴くまでを観察した作文が秋田市の作文コンクールで佳作を受賞した。いつしか昆虫学者になるのが夢となった。
弘前大学では昆虫学を専攻し、恩師の田中誠二博士の勧めで、サバクトビバッタというアフリカに生息するバッタの研究を始めた。大学院に進学し、神戸大学で学位を取得した。

苦労の末に手にした博士号は、しかし、修羅の道への片道切符だった。
夢を語るのは結構だが、生きていくためにはお金を稼がないといけない。あのファーブルですら、昆虫研究だけでは食べて行けず、教職についていたのだ。
前野氏の定義する「昆虫学者」とは、昆虫研究が出来る仕事に、任期無しで就職することだ。しかし、博士になったからと言って、誰もが定年退職まで座れるイスを獲得出来るわけでは無い。
安定した給料をもらいながら研究を続けられるのは、新米博士の中でも僅か一摘みだけだ。ポスドクと呼ばれる新米博士たちは、1、2年程度の任期付きの研究職を転々としながら、正規のポジションを獲得するため求人情報サイトに目を通し、インパクトファクターの高い学術雑誌に論文を送る。
国内学振3年目を迎えたポスドクである前野氏も、任期終了までに次の身の振り方を考えなければならなかった。
研究対象がゴキブリや蠅、蟻などであれば、殺虫剤メーカーからの需要があるかもしれない。しかし、現在の日本では殆どバッタの被害がないため、バッタの研究ではなかなか就職には結びつかない。就職のために研究対象を変えるか、このまま夢を追い続けるか。前野氏の心は揺れる。

アフリカでは、バッタの大量発生による農業被害は、今でも深刻な飢饉を引き起こしている。
その割には、バッタの生態を研究する学者は少ない。おかげでバッタ研究の歴史は40年ほど止まったままだ。それなら、新米博士でも新しい発見が出来るかもしれない。
夢を追いながら、アフリカの食糧事情も解決できる。その上、成果を上げて凱旋すれば、日本の研究機関に就職が決まるかもしれない。前野氏は、モーリタニアでのフィールドワークに人生を賭けた。

それでも、SNSなどで研究室に残ったライバルたちの就職状況を知れば、不安に駆られる。
研究室で遺伝子解析をする研究者は多いのに、フィールドワークをする研究者は少ない。これは、フィールドワーク自体の過酷さよりも、ライバルよりも早く企業受けする論文を発表しないと正規の職に就けない、ポスドクの就職事情にあるのではないかと思う。
フィールドワークは時間もコストもかかり、その上、論文に出来るような成果が得られるか不確定だ。それに比べて、研究室での実験はある程度の計算が立つ。早く確実に就職を決めたければ、研究室に籠っている方が有利だ。しかし、生物の本来の姿は、自然環境の中でこそ発見できるものではないだろうか?
だからこそ、フィールドワークに賭けた前野氏の存在は貴重だ。
京都大学・白眉プロジェクト伯楽会議での、松本紘総長の「過酷な環境で生活し、研究することは本当に困難なことだと思います。わたしは一人の人間として、あなたに感謝します」と言う言葉には、同じ研究者としての万感の意が込められているのだろう。

フィールドワークは、自然現象に大きく左右される。前野氏の活動も例外ではない。
バッタが大量発生することで定評のあるモーリタニアなのに、前野氏が乗り込んだ年は、建国以来最悪の大干ばつに見舞われ、バッタが忽然と姿を消してしまったのだ。予定を大きく変更する羽目になった前野氏は、バッタと密接な関係のあるゴミダマの研究をしたり、バッタのシーズンが来るまでフランスの農業研究機関CIRADのバッタ研究室で実験をしたりと、なけなしの貯金を切り崩して、バッタの大群が発生する日まで耐え忍ぶことになった。この辺りの記述はティジャニの離婚再婚のドタバタ劇あたりと変わらないユーモラスな筆致であるが、本当は精神的に相当追い詰められていたのではないだろうか。

ババ所長の「なぜ日本はコータローを支援しないんだ?こんなにヤル気があり、しかも論文もたくさんもっていて就職できないなんて。バッタの被害が出たとき日本政府は数億円も援助してくれるのに、なぜ日本の若い研究者には支援しないのか?なにも数億円を支援しろと言っているわけじゃなくて、その十分の一だけでもコータローの研究費に回ったら、どれだけ進展するのか。コータローの価値を分かっていないのか?」と言う嘆きは正鵠を得ている。
日本と言う国は他国には大盤振る舞いをする割に、自国民にはとかく厳しい。大抵のことは「自己責任」の一言で突っぱねられてしまう。やる気も才能もある人が、金銭的な事情で夢を諦めなければならないのは悲しい。ましてや、自然科学の研究は、必ず人類の役に立つのだ。未来への投資と思って、もっと若い研究者たちを支援するべきだと思う。

愉快な表紙からは想像できない重たい課題を孕んでいるが、本書に数多く載せられた写真には楽しませてもらった。中でもバッタの写真が素晴らしい。青空を背負った孤独相のバッタの美しさ。画像を埋め尽くす群生相の気色悪さ…すべてに、前野氏のバッタへの情熱が滲んでいる。

因みに、孤独相と群生相のバッタは別種ではなく、大発生時には、全ての個体が群生相になって害虫化するのだそうだ。そのため群生相になることを阻止できれば、大発生そのものを未然に防ぐことができると考えられる。それから、バッタとイナゴは相変異を示すか示さないかで区別されていて、示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる(Locusの由来はラテン語の「焼野原」)。身近なようでいて、実は全然知らなかったバッタにまつわる知識もちょっぴり得られた。
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