皆川博子の『開かせていただき光栄です』は、第12回本格ミステリ大賞受賞作。
平素はミステリを読まない私が本作を手にしたのは、皆川さんの作品だからということと、愛らしくも不気味な装画に惹かれたからである。
私がミステリをあまり好まない理由は、これまで読んだことのある作品が(偶々だろうけど)、伏線が投げっぱなしになっていたり、トリック偏重で物語が書割の舞台みたいだったり、人物が記号的だったりする作品が多かったからなのだが、本作は皆川さんなので安心して読むことが出来た。
重要かと思った人物がそうでもなかったり、逆に脇の脇かと思っていた人物が物語の終盤で事件の根幹に関わっていたことが判明したりと、最後まで嬉しい驚きの連続。さりげない世間話のような会話がここに繋がっていたのかとか、この人物にはこんな側面があったのか、とか意外性にハッとさせられる一方で、複雑なストーリーで登場人物も多いのに綻びを感じさせない安定感が、流石にベテラン作家だなぁとプロの仕事ぶりに敬服する。
尚、タイトルの「開かせていただき光栄ですdelighted to meet you」は、「お目にかかれて光栄ですdilated to meet you」の言い換えだ。
18世紀ロンドン。
変人外科医ダニエル・バートンの解剖学教室に、妊婦の遺体〈六か月〉が運ばれて来た(ダニエルは、解剖医ジョン・ハンターをモデルとしている)。
解剖台に集まる弟子は5人。
饒舌クラレンス・スプナー。22歳。
肥満体ベンジャミン・ビーミス。21歳。
骨皮アルバート・ウッド。23歳。
容姿端麗エドワード・ターナー。21歳。
天才素描画家ナイジェル・ハート。19歳。
希少価値の高い妊婦の遺体に、ダニエルと弟子たちの心が躍る。
解剖ソングを歌いながら、ノリノリで準備を進めるダニエルたち。そこに盲目の治安判事ジョン・フィールディングに所属する犯罪捜査犯人逮捕係――通称ボウ・ストリート・ランナーズ――が押し込んでくる。
妊婦の遺体は正式な手続きを経て手に入れたものではなかった。
外科医の地位が低く、遺体の解剖が悪魔の所業と蔑まれていたこの時代、解剖学用の遺体も予算もどうしようもなく不足していた。そのため、ダニエルは墓あばきから遺体を買い取っていたのだ。
遺体が宿無しや貧民のものなら見逃してもらえた。しかし、残念なことに妊婦の遺体は、準男爵ラフヘッド家の令嬢エレインであった。という訳で、捜査の手が動いたのだ。
空気を読まないダニエル先生は、ボウ・ストリート・ランナーズを相手に、外科医の地位の低さや予算の不足を嘆いたり、解剖学の有用性について熱弁をふるったりと忙しい。
そのすきに、機転の利く弟子たちの手により、エレイン嬢の遺体は、改造された暖炉に隠される。
ところが、その暖炉の中からあるはずのない他殺体が発見されたのだ。
四肢を切断され胸に青いインクがかけられた少年と、顔をつぶされた中年男性。彼らは何者なのか?誰に殺害されたのか?遺体の損壊の意味は?そして、如何なる理由、如何なる手法で解剖教室に隠されたのか?また、未婚のエレイン嬢が妊娠していた理由と死の原因は?
時を少し遡って―――。
詩人志望の少年ネイサン・カレンは、田舎から出て来て早々、ロンドンの汚穢に辟易していた。どこに行ってもドブと反吐と生ゴミの臭い。人々は荒んでいて教会さえも例外ではない。いい加減な道案内のせいで墓地に辿り着いてしまったネイサンは、そこでエドとナイジェルと知り合い、お互いの才能を尊敬し合うようになる。
2人との再会を約束したネイサンは、父の形見の15世紀の古詩と自作の原稿をみてもらうために訪れたティンダル書店で、『マノンレスコー』を買いに来たエレイン嬢と知り合う。
その後、ネイサンはパブリック・ジャーナル社長トマス・ハリントンや仲買人ガイ・エヴァンスに目をかけられるのだが、そこから彼の運命は凄まじい暗転に見舞われてしまうのだった…。
ミステリなのであまり細かな感想は書けないのだが、ネタバレにならない程度にちょっとだけ。
皆川作品らしく物語の世界観、歴史や背景の書き込みが丁寧。
18世紀ロンドンの不衛生な路地や司法関係者の腐敗、頑迷な宗教観、解剖学に対する偏見、退廃した性風俗などが行間から悪臭が立つほどリアルに描かれている。
本格ミステリだが、技巧偏重ではなく、登場人物は皆、悪人は悪人、善人は善人なりに生き生きと血の通った人間として描かれている。
そのため、中心人物のエドとナイジェルは、苦手なタイプにも関わらず、酷く魅力を感じた。殊にナイジェルは、底無しの虚無と混沌を感じさせて不気味だ。本作の象徴的人物だと思う。
2人とも倫理観に欠ける背徳的人物なのだけど、エドの行動に明確な動機があるのに対して、ナイジェルは何を考えているのかサッパリ解らない。虚弱でおとなしそうな顔をして意外としたたかだし、シレッと噓もつく。心根の優しいような振る舞いは、見せかけなのか?本心は冷笑的なのか?二人の関係は一見エドがリードしているようでいて、その実主導権を握っているのはナイジェルなのではないかと思った。物凄く怖い。
物語の中で『マノンレスコー』が出てくるけど、エドが騎士デ・グリューなら、ナイジェルがマノンだろうか。
それに対して、私がこの作品で救いを感じたのは、テンプル銀行主任ヒューム氏の存在だ。
初登場時には証言者の一人に過ぎないと思っていたヒューム氏が、読み進めていくにつれて、「あれ?この人、結構重要人物?」となり、終盤に至って物語の根幹に関わる必要不可欠な人物だったことを知る。
ダニエルは、エドから「自分やナイジェルが才能を失っても、先生は愛してくれるのか」と訊かれた時に明確な答えを出せなかったけど(決して愛がない訳ではなく、不器用であるが故なのだけど)、ヒューム氏ならネイサンが詩人として大成しなくても、彼がまっとうに身を立てることが出来るように見守ってくれるのではないだろうか。
悪徳と汚穢に満ちた物語の中で、当たり前のように善意に基づく行動をとれるヒューム氏は、非道な大人に痛めつけられたネイサンにとって道を開く存在になっただけでなく、読者の私にとっても清涼剤的な心地の良さを残す存在であった。
尚、本作には続編『アルモニカ・ディアボリカ』がある。解剖学教室の面々のその後が気になるので、購入してみた。読み終わったらまた感想を書こうと思う。
平素はミステリを読まない私が本作を手にしたのは、皆川さんの作品だからということと、愛らしくも不気味な装画に惹かれたからである。
私がミステリをあまり好まない理由は、これまで読んだことのある作品が(偶々だろうけど)、伏線が投げっぱなしになっていたり、トリック偏重で物語が書割の舞台みたいだったり、人物が記号的だったりする作品が多かったからなのだが、本作は皆川さんなので安心して読むことが出来た。
重要かと思った人物がそうでもなかったり、逆に脇の脇かと思っていた人物が物語の終盤で事件の根幹に関わっていたことが判明したりと、最後まで嬉しい驚きの連続。さりげない世間話のような会話がここに繋がっていたのかとか、この人物にはこんな側面があったのか、とか意外性にハッとさせられる一方で、複雑なストーリーで登場人物も多いのに綻びを感じさせない安定感が、流石にベテラン作家だなぁとプロの仕事ぶりに敬服する。
尚、タイトルの「開かせていただき光栄ですdelighted to meet you」は、「お目にかかれて光栄ですdilated to meet you」の言い換えだ。
18世紀ロンドン。
変人外科医ダニエル・バートンの解剖学教室に、妊婦の遺体〈六か月〉が運ばれて来た(ダニエルは、解剖医ジョン・ハンターをモデルとしている)。
解剖台に集まる弟子は5人。
饒舌クラレンス・スプナー。22歳。
肥満体ベンジャミン・ビーミス。21歳。
骨皮アルバート・ウッド。23歳。
容姿端麗エドワード・ターナー。21歳。
天才素描画家ナイジェル・ハート。19歳。
希少価値の高い妊婦の遺体に、ダニエルと弟子たちの心が躍る。
解剖ソングを歌いながら、ノリノリで準備を進めるダニエルたち。そこに盲目の治安判事ジョン・フィールディングに所属する犯罪捜査犯人逮捕係――通称ボウ・ストリート・ランナーズ――が押し込んでくる。
妊婦の遺体は正式な手続きを経て手に入れたものではなかった。
外科医の地位が低く、遺体の解剖が悪魔の所業と蔑まれていたこの時代、解剖学用の遺体も予算もどうしようもなく不足していた。そのため、ダニエルは墓あばきから遺体を買い取っていたのだ。
遺体が宿無しや貧民のものなら見逃してもらえた。しかし、残念なことに妊婦の遺体は、準男爵ラフヘッド家の令嬢エレインであった。という訳で、捜査の手が動いたのだ。
空気を読まないダニエル先生は、ボウ・ストリート・ランナーズを相手に、外科医の地位の低さや予算の不足を嘆いたり、解剖学の有用性について熱弁をふるったりと忙しい。
そのすきに、機転の利く弟子たちの手により、エレイン嬢の遺体は、改造された暖炉に隠される。
ところが、その暖炉の中からあるはずのない他殺体が発見されたのだ。
四肢を切断され胸に青いインクがかけられた少年と、顔をつぶされた中年男性。彼らは何者なのか?誰に殺害されたのか?遺体の損壊の意味は?そして、如何なる理由、如何なる手法で解剖教室に隠されたのか?また、未婚のエレイン嬢が妊娠していた理由と死の原因は?
時を少し遡って―――。
詩人志望の少年ネイサン・カレンは、田舎から出て来て早々、ロンドンの汚穢に辟易していた。どこに行ってもドブと反吐と生ゴミの臭い。人々は荒んでいて教会さえも例外ではない。いい加減な道案内のせいで墓地に辿り着いてしまったネイサンは、そこでエドとナイジェルと知り合い、お互いの才能を尊敬し合うようになる。
2人との再会を約束したネイサンは、父の形見の15世紀の古詩と自作の原稿をみてもらうために訪れたティンダル書店で、『マノンレスコー』を買いに来たエレイン嬢と知り合う。
その後、ネイサンはパブリック・ジャーナル社長トマス・ハリントンや仲買人ガイ・エヴァンスに目をかけられるのだが、そこから彼の運命は凄まじい暗転に見舞われてしまうのだった…。
ミステリなのであまり細かな感想は書けないのだが、ネタバレにならない程度にちょっとだけ。
皆川作品らしく物語の世界観、歴史や背景の書き込みが丁寧。
18世紀ロンドンの不衛生な路地や司法関係者の腐敗、頑迷な宗教観、解剖学に対する偏見、退廃した性風俗などが行間から悪臭が立つほどリアルに描かれている。
本格ミステリだが、技巧偏重ではなく、登場人物は皆、悪人は悪人、善人は善人なりに生き生きと血の通った人間として描かれている。
そのため、中心人物のエドとナイジェルは、苦手なタイプにも関わらず、酷く魅力を感じた。殊にナイジェルは、底無しの虚無と混沌を感じさせて不気味だ。本作の象徴的人物だと思う。
2人とも倫理観に欠ける背徳的人物なのだけど、エドの行動に明確な動機があるのに対して、ナイジェルは何を考えているのかサッパリ解らない。虚弱でおとなしそうな顔をして意外としたたかだし、シレッと噓もつく。心根の優しいような振る舞いは、見せかけなのか?本心は冷笑的なのか?二人の関係は一見エドがリードしているようでいて、その実主導権を握っているのはナイジェルなのではないかと思った。物凄く怖い。
物語の中で『マノンレスコー』が出てくるけど、エドが騎士デ・グリューなら、ナイジェルがマノンだろうか。
それに対して、私がこの作品で救いを感じたのは、テンプル銀行主任ヒューム氏の存在だ。
初登場時には証言者の一人に過ぎないと思っていたヒューム氏が、読み進めていくにつれて、「あれ?この人、結構重要人物?」となり、終盤に至って物語の根幹に関わる必要不可欠な人物だったことを知る。
ダニエルは、エドから「自分やナイジェルが才能を失っても、先生は愛してくれるのか」と訊かれた時に明確な答えを出せなかったけど(決して愛がない訳ではなく、不器用であるが故なのだけど)、ヒューム氏ならネイサンが詩人として大成しなくても、彼がまっとうに身を立てることが出来るように見守ってくれるのではないだろうか。
悪徳と汚穢に満ちた物語の中で、当たり前のように善意に基づく行動をとれるヒューム氏は、非道な大人に痛めつけられたネイサンにとって道を開く存在になっただけでなく、読者の私にとっても清涼剤的な心地の良さを残す存在であった。
尚、本作には続編『アルモニカ・ディアボリカ』がある。解剖学教室の面々のその後が気になるので、購入してみた。読み終わったらまた感想を書こうと思う。