カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』
臓器移植のためだけに生み出された子供たちのたどる過酷な運命が、イシグロらしい端正かつ古風な文体で綴られる。
古い病気に新しい治療法が見つかる素晴らしい世界。でも、裏側から見れば無慈悲で残酷な世界でもある。失われていくばかりの物語は、深く静かに悲しい。
主人公のキャシー・Hは、31歳。自他ともに認める優秀な介護人だ。
介護人を務めてもう11年になる。これほど長く努めなければ世話をする提供者を選ぶことのできる権利も得られなかったし、ルースとトミーに再会することもなかっただろう。
へールシャムと聞いただけで、身構える人もいる。
キャシー自身にも、長い年月の間にはヘールシャムを忘れようと努めた時期があった。
人里から隔離された僻地にあるヘールシャム。
不自然なほど高い位置に窓がある白い清潔な建物。そして、体育館。特別な教育と入念な健康診断を授けられるこの全寮制学園で、キャシーは育った。生徒たちは敷地から出ることは許されず、それどころかへールシャムが国のどこに位置するのかも教えられていなかった。
トミーは、癇癪持ちで自分の感情を制御できない。ルースは、プライドが高く、常に皆の上に立っていないと気が済まない。でも、キャシーにとって、ともに育った多くの子供たちの中で、この二人は特別な存在だった。
へールシャムの教育は、特に美術作品の制作に力を入れていた。
作品を交換会に出品すると、エミリ先生をはじめとする保護官たちが、出来栄えに応じて何枚かの交換切符をくれる。生徒たちはその切符で気に入ったものを「買う」。また、優秀な作品は、定期的に訪れるマダムによって「展示館」へと運ばれる。
度々へールシャムを訪れるにも関わらず、マダムは生徒たちに親しみを示すことがなかった。生徒たちもマダムが苦手だった。
生徒たちの多くは、高い評価を望んで懸命に作品を作るわけだが、トミーだけは真面目に取り組もうとはしなかった。当然、トミーは他の生徒たちから馬鹿にされ、保護官たちを困惑させてしまう。
しかし、そんなトミーに対してルーシー先生だけが、「絵が描けても描けなくても、物が作れても作れなくても、あなたはとてもいい生徒」と言った。無理して描かなくても良いのだと。
なぜ、ルーシー先生がそんなことを言ったのか、キャシーにはわからなかった。
キャシーが11歳の時、マダムに関して不思議な体験をした。
ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』。このテープの三曲目の「わたしを離さないで」がキャシーにとって特別な歌だった。
「ネバーレットミーゴー…オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」
誰もいないはずの部屋でリフレインに合わせて踊っていた時、たまたまそれを見たマダムが泣き出したのだ。
なぜ、マダムが泣いたのか、それもキャシーにはわからなかった。
キャシーたちが15歳になり、へールシャムでの最後の一年を迎えた頃。
生徒たちの何人かは将来就きたい職業について語るようになっていた。
そのことで、ルーシー先生から衝撃的な事実を聞かされる。「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。」と。
キャシーたちの人生は、生まれる前から決まっていたのだ。
キャシーたちは、大人になっていくが、老年はなく、職業選択の自由もない。臓器提供のために生み出されたクローン人間だったのだ。
間もなくへールシャムを出て行き、最初の提供を準備する日が来る。みっともない人生にしないために、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいて欲しい。ルーシー先生は、そう願ったのだ。
ルーシー先生は、それから程無くしてヘールシャムを去った。
生徒たちは、提供者になる前の段階で、提供者のケアをする介護人になる。キャシーたちは、介護人になるまでの期間、コテージと呼ばれる施設に移された。
子供を持つことが出来ないキャシーたちは、セックスや恋愛について悩み、恋人と共に過ごす時間を大切に考えた。将来に夢も希望もない故に、愛に対する執着は強かったのだ。
キャシーとトミーの間には昔から特別な絆があるようだったが、トミーが恋人に選んだのはルースだった。
しかし、トミーが悩みを相談できるのは、昔も今もキャシーだけだった。そのことで、ルースは誰の目にもわかるくらいヒステリックになっていった。
生徒たちの間である噂が囁かれるようになる。
本当に愛し合っている恋人たちには、三年間二人きりで暮らす猶予期間が与えられると。判断するのはマダムらしい。
マダムが出来のいい作品だけを「展示館」に持って行くのは、二人の生徒が本当に愛し合っているのかを測る材料にするためではないか?
そう推測したトミーは、キャシーにだけ相談し、マダムに面会するための行動を起こす。しかし、そのことがルースの逆鱗に触れ、三人の間に決定的な亀裂が生じる。
居た堪れなくなったキャシーは、一足早く介護人に志願してコテージを出た。それから、長い歳月、トミーとルースに会うことはなかった。
へールシャム閉鎖の噂を聞いたころ、キャシーは介護人として働くローラと再会し、ルースの最初の提供が酷いものだったと聞かされる。
「ルースの介護人になってやったらどう」というローラの勧めから数週間後、キャシーはルースのいる回復センターを訪れ、彼女の介護人になることにした。
その後、トミーとも再会を果たしたキャシーは、卑怯な手段で二人の仲を裂いたことについて、ルースから謝罪を受ける。
手術が提供者に与える負担は大きい。
2度の提供で使命を終える者もいる。「4度の人」となると、どんなに不人気な者でも特別の尊敬で遇される。つまり、そういうことだ。既に3度の提供を経験しているトミーに残された時間は少ない。ルースは、今からでも二人に恋人になって欲しいと語り、二人が共に過ごせる時間を作れるようにマダムの住所を伝えたのだった。
マダムの館を訪れたキャシーとトミーは、そこで思いがけずエミリ先生と再会する。
エミリ先生が語った猶予期間に関する噂の真偽。クローン人間の生育環境をめぐるエミリ先生とマダムの苦闘。「展示館」の果たした役割。モーニングデール・スキャンダルのこと。へールシャムを飲み込んだ社会の動き。そして、あの日のマダムの涙の理由。
真実は過酷だった…。
へールシャムの生徒たちは、アクの強い手のかかる子が多かったけど、それは、彼らが他の施設より恵まれた環境で育ったからなのだろう。泣いたり笑ったり。意地悪したり喧嘩したり。どこにでもいる普通の子たち。
彼らに情操教育を施すために、エミリ先生とマダムは奔走した。
時にクローン人間に対する嫌悪感で体中が震えることもあったけど、それでもすべてをなげうって働いた。エミリ先生とマダムは、定期的に有識者や政治家に披露する作品によって、子供たちが普通の人間と同じであることを証明しようとした。それは一定の評価を得たけれど、人々がクローン人間に抱く偏見を払しょくするには至らなかった。
偏見というより、願望なのだろう。
クローン人間は、完全な人間ではない。移植に使われる臓器の器だ。だから、どう育てられているのかとか、そもそもこの世に生み出されるべきだったのかなど考えなくていい。
臓器提供によって、それまで不治とされていた病にも治療の希望が出てきたのだ。クローン人間の存在に気が咎めても、それより大切な人や自分自身が死なないことのほうが大事。もう逆戻りはありえなかった。
ネバーレットミーゴー…オー、ベイビー、ベイビー…歌に合わせて踊っていたあの日のキャシーは、歌詞の意味なんて分かっていなかった。
マダムもまた、キャシーの気持ちなんて分かっていなかった。
それでも、あれは涙を流すしかない場面だったのだ。
ルースもトミーも使命を終え、一人ぼっちになってしまったキャシーは泣きじゃくることもできない。”行くべきところへ向かって出発しました”という結びの寂寞が堪えた。
もう一つ切実に思ったのが、ルースの孤独を誰か救って、ということだ。
好きな人が自分以外の人を好いているのは寂しい。殊にその相手が自分の身近な人ならば。だから、彼女は最期まで不器用な振る舞いしか出来なかった。
彼女は誰かの特別になりたかったのだろう。愛して欲しかったのだ。
人気者のジェラルディン先生のお気に入りであることを装うために用意した筆箱の話なんて、浅はかだけどしみじみ切ない。
それから、『夜に聞く歌』のテープを失くして動揺するキャシーのために、ルースが用意した『ダンス曲二十選』のテープ。なんでそのチョイスなんだと滑稽であるが、「あんたの好きそうなやつかなと思って…」なんて照れながら渡されたら、笑うのを通り越して泣いてしまいそうだ。
ルースは、性格が悪いといわれる部類の人であろう。権高に見えて、常に他人の顔色を窺っている面倒くさい人だ。その人間臭ささが愛おしかった。
臓器移植のためだけに生み出された子供たちのたどる過酷な運命が、イシグロらしい端正かつ古風な文体で綴られる。
古い病気に新しい治療法が見つかる素晴らしい世界。でも、裏側から見れば無慈悲で残酷な世界でもある。失われていくばかりの物語は、深く静かに悲しい。
主人公のキャシー・Hは、31歳。自他ともに認める優秀な介護人だ。
介護人を務めてもう11年になる。これほど長く努めなければ世話をする提供者を選ぶことのできる権利も得られなかったし、ルースとトミーに再会することもなかっただろう。
へールシャムと聞いただけで、身構える人もいる。
キャシー自身にも、長い年月の間にはヘールシャムを忘れようと努めた時期があった。
人里から隔離された僻地にあるヘールシャム。
不自然なほど高い位置に窓がある白い清潔な建物。そして、体育館。特別な教育と入念な健康診断を授けられるこの全寮制学園で、キャシーは育った。生徒たちは敷地から出ることは許されず、それどころかへールシャムが国のどこに位置するのかも教えられていなかった。
トミーは、癇癪持ちで自分の感情を制御できない。ルースは、プライドが高く、常に皆の上に立っていないと気が済まない。でも、キャシーにとって、ともに育った多くの子供たちの中で、この二人は特別な存在だった。
へールシャムの教育は、特に美術作品の制作に力を入れていた。
作品を交換会に出品すると、エミリ先生をはじめとする保護官たちが、出来栄えに応じて何枚かの交換切符をくれる。生徒たちはその切符で気に入ったものを「買う」。また、優秀な作品は、定期的に訪れるマダムによって「展示館」へと運ばれる。
度々へールシャムを訪れるにも関わらず、マダムは生徒たちに親しみを示すことがなかった。生徒たちもマダムが苦手だった。
生徒たちの多くは、高い評価を望んで懸命に作品を作るわけだが、トミーだけは真面目に取り組もうとはしなかった。当然、トミーは他の生徒たちから馬鹿にされ、保護官たちを困惑させてしまう。
しかし、そんなトミーに対してルーシー先生だけが、「絵が描けても描けなくても、物が作れても作れなくても、あなたはとてもいい生徒」と言った。無理して描かなくても良いのだと。
なぜ、ルーシー先生がそんなことを言ったのか、キャシーにはわからなかった。
キャシーが11歳の時、マダムに関して不思議な体験をした。
ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』。このテープの三曲目の「わたしを離さないで」がキャシーにとって特別な歌だった。
「ネバーレットミーゴー…オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」
誰もいないはずの部屋でリフレインに合わせて踊っていた時、たまたまそれを見たマダムが泣き出したのだ。
なぜ、マダムが泣いたのか、それもキャシーにはわからなかった。
キャシーたちが15歳になり、へールシャムでの最後の一年を迎えた頃。
生徒たちの何人かは将来就きたい職業について語るようになっていた。
そのことで、ルーシー先生から衝撃的な事実を聞かされる。「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。」と。
キャシーたちの人生は、生まれる前から決まっていたのだ。
キャシーたちは、大人になっていくが、老年はなく、職業選択の自由もない。臓器提供のために生み出されたクローン人間だったのだ。
間もなくへールシャムを出て行き、最初の提供を準備する日が来る。みっともない人生にしないために、自分が何者で、先に何が待っているかを知っておいて欲しい。ルーシー先生は、そう願ったのだ。
ルーシー先生は、それから程無くしてヘールシャムを去った。
生徒たちは、提供者になる前の段階で、提供者のケアをする介護人になる。キャシーたちは、介護人になるまでの期間、コテージと呼ばれる施設に移された。
子供を持つことが出来ないキャシーたちは、セックスや恋愛について悩み、恋人と共に過ごす時間を大切に考えた。将来に夢も希望もない故に、愛に対する執着は強かったのだ。
キャシーとトミーの間には昔から特別な絆があるようだったが、トミーが恋人に選んだのはルースだった。
しかし、トミーが悩みを相談できるのは、昔も今もキャシーだけだった。そのことで、ルースは誰の目にもわかるくらいヒステリックになっていった。
生徒たちの間である噂が囁かれるようになる。
本当に愛し合っている恋人たちには、三年間二人きりで暮らす猶予期間が与えられると。判断するのはマダムらしい。
マダムが出来のいい作品だけを「展示館」に持って行くのは、二人の生徒が本当に愛し合っているのかを測る材料にするためではないか?
そう推測したトミーは、キャシーにだけ相談し、マダムに面会するための行動を起こす。しかし、そのことがルースの逆鱗に触れ、三人の間に決定的な亀裂が生じる。
居た堪れなくなったキャシーは、一足早く介護人に志願してコテージを出た。それから、長い歳月、トミーとルースに会うことはなかった。
へールシャム閉鎖の噂を聞いたころ、キャシーは介護人として働くローラと再会し、ルースの最初の提供が酷いものだったと聞かされる。
「ルースの介護人になってやったらどう」というローラの勧めから数週間後、キャシーはルースのいる回復センターを訪れ、彼女の介護人になることにした。
その後、トミーとも再会を果たしたキャシーは、卑怯な手段で二人の仲を裂いたことについて、ルースから謝罪を受ける。
手術が提供者に与える負担は大きい。
2度の提供で使命を終える者もいる。「4度の人」となると、どんなに不人気な者でも特別の尊敬で遇される。つまり、そういうことだ。既に3度の提供を経験しているトミーに残された時間は少ない。ルースは、今からでも二人に恋人になって欲しいと語り、二人が共に過ごせる時間を作れるようにマダムの住所を伝えたのだった。
マダムの館を訪れたキャシーとトミーは、そこで思いがけずエミリ先生と再会する。
エミリ先生が語った猶予期間に関する噂の真偽。クローン人間の生育環境をめぐるエミリ先生とマダムの苦闘。「展示館」の果たした役割。モーニングデール・スキャンダルのこと。へールシャムを飲み込んだ社会の動き。そして、あの日のマダムの涙の理由。
真実は過酷だった…。
へールシャムの生徒たちは、アクの強い手のかかる子が多かったけど、それは、彼らが他の施設より恵まれた環境で育ったからなのだろう。泣いたり笑ったり。意地悪したり喧嘩したり。どこにでもいる普通の子たち。
彼らに情操教育を施すために、エミリ先生とマダムは奔走した。
時にクローン人間に対する嫌悪感で体中が震えることもあったけど、それでもすべてをなげうって働いた。エミリ先生とマダムは、定期的に有識者や政治家に披露する作品によって、子供たちが普通の人間と同じであることを証明しようとした。それは一定の評価を得たけれど、人々がクローン人間に抱く偏見を払しょくするには至らなかった。
偏見というより、願望なのだろう。
クローン人間は、完全な人間ではない。移植に使われる臓器の器だ。だから、どう育てられているのかとか、そもそもこの世に生み出されるべきだったのかなど考えなくていい。
臓器提供によって、それまで不治とされていた病にも治療の希望が出てきたのだ。クローン人間の存在に気が咎めても、それより大切な人や自分自身が死なないことのほうが大事。もう逆戻りはありえなかった。
ネバーレットミーゴー…オー、ベイビー、ベイビー…歌に合わせて踊っていたあの日のキャシーは、歌詞の意味なんて分かっていなかった。
マダムもまた、キャシーの気持ちなんて分かっていなかった。
それでも、あれは涙を流すしかない場面だったのだ。
ルースもトミーも使命を終え、一人ぼっちになってしまったキャシーは泣きじゃくることもできない。”行くべきところへ向かって出発しました”という結びの寂寞が堪えた。
もう一つ切実に思ったのが、ルースの孤独を誰か救って、ということだ。
好きな人が自分以外の人を好いているのは寂しい。殊にその相手が自分の身近な人ならば。だから、彼女は最期まで不器用な振る舞いしか出来なかった。
彼女は誰かの特別になりたかったのだろう。愛して欲しかったのだ。
人気者のジェラルディン先生のお気に入りであることを装うために用意した筆箱の話なんて、浅はかだけどしみじみ切ない。
それから、『夜に聞く歌』のテープを失くして動揺するキャシーのために、ルースが用意した『ダンス曲二十選』のテープ。なんでそのチョイスなんだと滑稽であるが、「あんたの好きそうなやつかなと思って…」なんて照れながら渡されたら、笑うのを通り越して泣いてしまいそうだ。
ルースは、性格が悪いといわれる部類の人であろう。権高に見えて、常に他人の顔色を窺っている面倒くさい人だ。その人間臭ささが愛おしかった。