青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

双頭の船

2015-05-27 06:45:38 | 日記
池澤夏樹著『双頭の船』は、東日本大震災からの再生と鎮魂をマジックリアリズムの手法で描いた航海記だ。最初は小さなフェリーだった『しまなみ8』は、ノアの方舟のように多くの人々と動物たちを受け入れ、絶え間なく膨張と変化を続ける。そこでは、生者と死者は等しく尊い存在として祝福されている。

主人公・知洋は、200人のボランティアと共に小さなフェリー『しまなみ8』に乗り込んだ。『しまなみ8』は中古自転車を積み込みながら北へと向かい、被災地の港に停泊する。自転車の修理を任せられた知洋は、停泊地で知り合った被災者の才蔵を助手として連れて帰る。 
数日後、100頭の犬を連れたヴェットが『しまなみ8』に乗り込んだ。ヴェットは、次の日には猫と小鳥を連れてきた。ヴェットの連れてきた動物たちの中に、才蔵の知っている犬がいた。その犬は震災の日に死んでいたのだ。動物たちは、みな死者だった。野生動物なら自然と受け入れられる死を、ペットの彼らは自力では受け入れられない。そんな彷徨えるペットたちを、船を通してあちらの世界へ送るのがヴェットの役目だったのだ。
荒垣源太郎の要望により、『しまなみ8』には、500戸の仮設住宅が建設され、そこに移り住んだ被災者たちは、元の仕事を再開した。商店や工場、学校が建てられ、船の上に街が広がっていく。街で遊ぶ子供たちの中に、死んだ子供たちが混じっている。いつの間にか、船上には、生者と同じ数ほどの死者が住み着いていた。巨大化した『しまなみ8』は、『さくら丸』と改名した。『さくら丸』は、自分自身に帰属する自立した船となった。随伴する漁船は『第一小ざくら丸』である。
そして、夏祭りの日、コンドル・アンディーノの二人組アルベルト・チネンとダイク・ミツルによるペルー音楽のコンサートが開かれた。フォルクローレにあわせ、死者と生者がともに歌い踊る。アルベルトとミツルは、2007年8月15日のペルーの地震で被災した死者だった。

「で、僕が言いたいこと。みんな、ちゃんと向こう側に行きましょう。こっちに気持ちいっぱい残っているのはわかる。でもやっぱり行かなければならない。そう言いたくて今日ぼくたちはここに来ました。向こう側に行ってもこっちは見えます。声は掛けられなくても気持ちは通じる。だから行きましょう」……P211より

最後の曲『泣きながら』を奏でながら、アルベルトたちは死者たちを海の彼方へと導いていく。子供たちもたくさん混じっている。あちこちで、残された人たちが泣き始め、身内の名を呼ぶ声が行き交った。
やがて、さくら丸はゆっくりと陸地化を始め、鉄が岩と土に置き換わった。仮設住宅は一戸建て住宅に変わり、ブリッジや機関室は消滅し、広い道路が走り、変電所と町役場とマンションの建設が始まった。元々の丘陵とつながるあたりに墓地が作られ、ここでは生者と死者の距離が、ほかのどの土地より強い。さくら丸は、さくら半島になった。
荒垣や才蔵など、航海を続けたい人々は、第一小ざくら丸に乗り込み,‘さくら海上共和国’を建国し、去って行った。‘さくら海上共和国’の国歌を斉唱しながら…。

土方は小学校の教師として、及川夫人は保育園の教師として、子供たちの教育を続けた。船長は養鶏を営み、風巻先生はハウスバナナを育てている。達筆なヤザマキは書道教室を開いた。千鶴さんとベアマンはいずれまた、野生動物とともに現れるだろう。さくら半島に残った人々は、自分の力で生活を取り戻し始めた。それは、去って行った荒垣の「同情されて生きてるんじゃダメなんだ。他人どもの生活の隅っこにひょいと乗せてもらうんじゃダメなんだ」という言葉のとおりに…。
知洋は、前線に沿って桜の苗を植える。いつか桜吹雪がこの空を舞うだろう。その時には自分は、ここに留まっていないだろう。そう思いながら、一本一本丁寧に植える。生者も死者も、お互いに気持ちをいっぱい残している。でも、前を向いて、それぞれの道を進まなくてはならない。亡くなった者、去って行った者、留まった者…桜は、すべての人たちと動物たちの門出を祝福している。
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