これは半分実話です。ちょっと聞いてください。
昨日、ある人が僕にこう言いました。
「おまえのブログ、『ぶっちぎり嘘日記』を始めてから、ぜんぜん面白くないよ」
僕は言いました。
「なに言ってるの。以前から面白くなかったじゃないの」
「……そうだけどさ。でもあれはないんじゃないの。読者がついていけないよ」
「読者がついていけないのも前からだよ」
「…………」
ある人はしばらく黙ってまた言い始めました。
「でも前はまだ面白かったというか読む気になれたよ。それに前はときどきコメントがついてたよな?」
「ああ、ときどき」
「じゃあ、『ぶっちぎり~』を始めてからコメントってついたか?」
「……そういえば、ついてないね」
「ほらみろ、やっぱり読者はついていけなくなってるんだ。前はかろうじてコメントの余地があったのに、今はまったくないってことだよ」
「なるほど」
「だからさ、元に戻したらどうだ?」
「『嘘日記』に戻せと?」
「ああ」
「……う~ん。じゃあ、とりあえず戻すとして、どうすればいいんだろう? また前と同じ愚を犯すかもしれないよ。そうしないためには、やっぱり他人のことは書かないようにしなきゃ」
「いや、別に書いたらいいじゃないか。そうじゃないと面白くないし。おれは構わないよ」
「わかった。じゃあ、日記に出す人には予め出演許可をとるようにしよう。出演OKの人だけ日記に書く」
「いや、○○とかは許可いらないよ」
「は? いいの?」
「いいに決まってるじゃん」
「そう」
という会話がなされました。
その後、ある人がこう言いました。
「でもはっきり言って、あのブログ、ちゃんとした人が見ればクソだけどな」
「は?」
「ちゃんとした人から見ればダメダメだってこと」
「ふ~ん、そうなんだ」
「当たり前じゃん。あんな狂ったもん、普通の人は読む気しねえよ」
ある人は吐き捨てるようにそう言いました。
彼が目の前から去ったあと、僕は思いました。
ちゃんとした人が見ればクソ、ダメダメ……普通の人は読む気しない……。
ということは、「このブログを読んでいる人は普通じゃない」ということになりますね。「このブログを読んでいる人はちゃんとした人じゃない」ということになりますね。
ふ~ん、そうなんだ……ふ~ん……。
というわけで『嘘日記』、今日から復活します。
……と言いたいところですが、また問題が。
今日、某氏がぽろっとこんなことを言いました。
「そろそろ嘘日記やめたら?」
「何言ってるの。どうして?」
「ホントか嘘かわからんから」
「でも嘘を吐かないと面白くないよ」
「嘘をついても大して面白くないだろ」
「なるほど」
「だろ?」
嘘かホントかはっきりしろ、と言いたいらしいです。
僕は某氏の人間性だけは買っているので、それもいいかな、と思いました。
しかし今考えてみると、僕がホントのことを書き始めるとちょっと大変です。
某氏の日記と限りなく近い内容になってしまう気がします。
本音をだらだらと書き連ねるような内容になってしまう気がします。
正直言うと、某氏の日記は怖いです。
なぜあれほどまでに破滅的なことをぽんぽんと書けるのでしょうか。文章として表現できてしまうのでしょうか。
某氏の日記を氏の人となりを理解せずに先入観なしで読んだら、「こいつ、狂ってる……!」と思って二度と読まなくなりそうな気がします。
某氏は本音を書いているだけなのですが、はっきりいって現実味がないように感じてしまうでしょう。嘘のように感じてしまうでしょう。
しかしながら、実は某氏は僕と同じベクトルの人間です。少なからず僕はそう思っています。
某氏の日記がそういう系のものになっているということは、同じベクトルの僕も似たような雰囲気の日記になってしまう可能性が高いのです。
あの雰囲気をこのブログで出すのは正直嫌ですね。
だからあまり本音日記にはしたくないのです。
本音を出さずに嘘日記をやめる。これはどういうことか。
感情を交えないただ事実を書き連ねただけの日記を書く。ということだと思います。
うわー、それこそ「駄目な日記」の典型ではないですか。
それも嫌だなぁ。
ではどうすればいいのか?
こうすればいいんじゃないか、と僕は考えました。
「嘘のない嘘日記」
嘘は一切排除して、でも嘘日記っぽい雰囲気で。誇張とかジョークはOKで。みたいな。
なんか長々と書きましたけど、よーするに普通の日記なのだ。
嘘っぽいことを書いて、「これはジョークです」と言い張る。
ナイスアイデア! グッドアイデア!
というようなわけで、明日からは『嘘のない嘘日記』をお送りします!
昨日、ある人が僕にこう言いました。
「おまえのブログ、『ぶっちぎり嘘日記』を始めてから、ぜんぜん面白くないよ」
僕は言いました。
「なに言ってるの。以前から面白くなかったじゃないの」
「……そうだけどさ。でもあれはないんじゃないの。読者がついていけないよ」
「読者がついていけないのも前からだよ」
「…………」
ある人はしばらく黙ってまた言い始めました。
「でも前はまだ面白かったというか読む気になれたよ。それに前はときどきコメントがついてたよな?」
「ああ、ときどき」
「じゃあ、『ぶっちぎり~』を始めてからコメントってついたか?」
「……そういえば、ついてないね」
「ほらみろ、やっぱり読者はついていけなくなってるんだ。前はかろうじてコメントの余地があったのに、今はまったくないってことだよ」
「なるほど」
「だからさ、元に戻したらどうだ?」
「『嘘日記』に戻せと?」
「ああ」
「……う~ん。じゃあ、とりあえず戻すとして、どうすればいいんだろう? また前と同じ愚を犯すかもしれないよ。そうしないためには、やっぱり他人のことは書かないようにしなきゃ」
「いや、別に書いたらいいじゃないか。そうじゃないと面白くないし。おれは構わないよ」
「わかった。じゃあ、日記に出す人には予め出演許可をとるようにしよう。出演OKの人だけ日記に書く」
「いや、○○とかは許可いらないよ」
「は? いいの?」
「いいに決まってるじゃん」
「そう」
という会話がなされました。
その後、ある人がこう言いました。
「でもはっきり言って、あのブログ、ちゃんとした人が見ればクソだけどな」
「は?」
「ちゃんとした人から見ればダメダメだってこと」
「ふ~ん、そうなんだ」
「当たり前じゃん。あんな狂ったもん、普通の人は読む気しねえよ」
ある人は吐き捨てるようにそう言いました。
彼が目の前から去ったあと、僕は思いました。
ちゃんとした人が見ればクソ、ダメダメ……普通の人は読む気しない……。
ということは、「このブログを読んでいる人は普通じゃない」ということになりますね。「このブログを読んでいる人はちゃんとした人じゃない」ということになりますね。
ふ~ん、そうなんだ……ふ~ん……。
というわけで『嘘日記』、今日から復活します。
……と言いたいところですが、また問題が。
今日、某氏がぽろっとこんなことを言いました。
「そろそろ嘘日記やめたら?」
「何言ってるの。どうして?」
「ホントか嘘かわからんから」
「でも嘘を吐かないと面白くないよ」
「嘘をついても大して面白くないだろ」
「なるほど」
「だろ?」
嘘かホントかはっきりしろ、と言いたいらしいです。
僕は某氏の人間性だけは買っているので、それもいいかな、と思いました。
しかし今考えてみると、僕がホントのことを書き始めるとちょっと大変です。
某氏の日記と限りなく近い内容になってしまう気がします。
本音をだらだらと書き連ねるような内容になってしまう気がします。
正直言うと、某氏の日記は怖いです。
なぜあれほどまでに破滅的なことをぽんぽんと書けるのでしょうか。文章として表現できてしまうのでしょうか。
某氏の日記を氏の人となりを理解せずに先入観なしで読んだら、「こいつ、狂ってる……!」と思って二度と読まなくなりそうな気がします。
某氏は本音を書いているだけなのですが、はっきりいって現実味がないように感じてしまうでしょう。嘘のように感じてしまうでしょう。
しかしながら、実は某氏は僕と同じベクトルの人間です。少なからず僕はそう思っています。
某氏の日記がそういう系のものになっているということは、同じベクトルの僕も似たような雰囲気の日記になってしまう可能性が高いのです。
あの雰囲気をこのブログで出すのは正直嫌ですね。
だからあまり本音日記にはしたくないのです。
本音を出さずに嘘日記をやめる。これはどういうことか。
感情を交えないただ事実を書き連ねただけの日記を書く。ということだと思います。
うわー、それこそ「駄目な日記」の典型ではないですか。
それも嫌だなぁ。
ではどうすればいいのか?
こうすればいいんじゃないか、と僕は考えました。
「嘘のない嘘日記」
嘘は一切排除して、でも嘘日記っぽい雰囲気で。誇張とかジョークはOKで。みたいな。
なんか長々と書きましたけど、よーするに普通の日記なのだ。
嘘っぽいことを書いて、「これはジョークです」と言い張る。
ナイスアイデア! グッドアイデア!
というようなわけで、明日からは『嘘のない嘘日記』をお送りします!
なんかものすごく恐縮しちゃいます。
>ucchi様
い、い、い、いらっしゃいませ~(汗)。
なにをおっしゃいます、マジレス大歓迎ですよ!
他人に読まれていること、は意識していました。
ただ、日記に登場したご本人様の気持ちはあまり考えていませんでした。
それだけです。それを直せばいいだけです。
>オレは毎日読んでますので
ありがとうございます!
大変、恐縮であります!
>某氏A様
>確かに私と君は人生観か何かが近しいが
僕にもよくわかりませんが、あなたの言うことや考え方にはすごく共感します。
僕も三歩くらい間違えていたら、あなたのようになったと思っています。
ただ、やはり環境とか境遇ってやつが違っただけだと。
>「自分のブログを某氏の日記のように破滅的で他人が読めないモノにはしたくない」
いや、ちょっと違いますね。
他人が読めなくてもいいけど、破滅的に暗くなるのはウツになりそうで嫌だな、ということです。
>『愉快なロンドン、楽しいロンドン!』
わ、意味わかんねぇ……。
とか、無責任なことは言わない。
確かに言った。それがどーした? ま、置いといて。
嘘、というのにこだわりたいのなら別に文句は言わない。
『嘘日記』というもの起こりをなんとなく知っているし。
テキトーに日記書いて、思うことを書く、別に俺の日記には近づかないと思うが。
確かに私と君は人生観か何かが近しいが、生活も違うし、趣味も違う。
見てるものも、それに対する思いや考えも違っているはずだ。
「自分のブログを某氏の日記のように破滅的で他人が読めないモノにはしたくない」
っという意味であったなら話は別だが。。
「その日あったことを書くのが日記ではない。
その時思ったことを毎日記していくものを日記と呼ぶのだ」
とは、俺自身が今勝手に思いついた言葉だが。。
ま、何はともあれだ。テキトーにやるべし。
『愉快なロンドン、楽しいロンドン!』これで決まり!
嘘(好意的な言い方をすればフィクション)にしろ本音にしろ、その一本線だけブレなければいいんじゃないかな。
少なくとも、オレは毎日読んでますので
(〆^ー゜)★シュッ!