暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

夏あったこと6

2005年08月29日 13時14分18秒 | 日記系
8月13日

 きょーはダルーい1日だった。
 午前中、必死で製図の課題(パソコンを使うもの)をやっていたのだが、ちょっと別室で休憩している隙に、祖母に電源を切られていた。
 今日のがんばりは無かったことにされてしまった。
 くそ、こんなことなら上書き保存しておくんだった、と激しく後悔した。
 やり場のない怒りが込み上げてきて、もう何をやる気も起こらなくなってしまった。
 とにかくムシャクシャして、家を飛び出した。
 家を出るまえ、弟に自分の服装について意見を求めると、
「ヒキコモリだから、それでもいいじゃん」と言われた。
 よれよれで汚れたTシャツにぶかぶかの半ズボン。そこからすね毛ぼうぼうのごぼうのように細い脚が伸びており、それでいて顔は真面目そうな少年なんである。はだしにサンダルを履いていた。
 不恰好とはまさにこのことだった。顔と服装とごぼう脚がすべて不釣合いだった。そして気持ち悪かった。
 そんなことは自覚していたけれど、なかばどうでもよかった。この姿を見た人にどれだけ嫌悪感を感じさせようが関係なかった。
 僕はただ卑屈な顔をして、久しぶりの古本屋巡りをするべく、自転車をこいだ。とにかくこいだ。
 途中、信号待ちしていた女子の集団の前を通りすぎたとき、
「ぅわ! キモいぃ~!」
 と、絶賛された。ある種の「黄色い喚声(かんせい)」。
 僕の「キモレベル」は頂点に達していた。よろこんでいいのか、悲しんでいいのか。
 アンガールズはまだ「キモかわいい」で通っているけど、僕はきっと「キモ恐い」とか「キモ醜い」とか、ヘタしたら「キモキモい」なのだ。
 略記すると「キモ々い」になって、なんて読むか分からなくなるのだ。
 判読不明。正体不明。消息不明。安否不明。意味不明。


8月14日

 気がついた人がいるだろうか。
 昨日の「判読不明」という言葉は日本語としておかしい。
 この漢字を分解して意味をみてみると、「読んで判ることが分からない」ということになる。意味が分からない。意味不明である。
 ふつう、「不明」の前には名詞がくる。「正体」とか「意味」とか。
「判読」も名詞ではあるが、これは動名詞である。動詞に「~こと」という意味をつけて名詞にしたものである。動名詞のあとに「不明」をつけるとおかしな日本語になってしまう。
 動名詞の場合は、「不明」(分からない)より「不能」(できない)が適しているだろう。
 つまり、「判読不明」より「判読不能」のほうが日本語として正しいわけである。
 意味は、「読んで判ることができない」。つまり、「読んで判らない」ということである。
 本当は昨日の日記を書いた時点で気づいていたのだけど、あえてそのままにしておいた。
 この間違いに気づいた人は、相当、日本語にうるさい人だろう。国語教師になれる可能性大である。
 気づいたけど日本語にうるさいわけではない、という人は、言語感覚の優れた人である。ボクなんかよりずっと物書きになれる可能性が高い。文章に目ざといとも言えるので、作家の原稿ミスをチェックする編集者あたりが天職かもしれない。激しくオススメする。

 そんなことより、課題がやばい。終わらない。
 あさって早朝には京都に発って、京都から帰ってきたらスグ学生寮に帰寮しなければならないのに。要するに、このパソコンを使った課題に取り掛かれるのは、もう明日だけなのである。おまけに明日は旅の支度をしなければならない。
 京都でやりたいが、そのためにはパソコンと資料を持っていかなければならない。貧弱な小生に、そんなにたくさんの荷物が持てるわけないので無理である。
 もう、諦めるしかないのだろうか。
 いや、そういえば提出日は夏休みが明ける29日ではなく、31日であった。
 毎日徹夜すれば間に合うかもしれない。
 いや、間に合わせるしかないのだ。提出できなければ留年決定で、留年する金のない小生は退学決定である。退学してしまうと、職に就ける可能性がほとんどなくなり、フリーターになることになる。たとえフリーターでも家族を養わなければならないので、毎日アルバイトしなければならなくなる。しかし根性のない小生はアルバイトが長続きせず、結局クビになってしまう。役立たずの小生は家族に嫌われ、やがて捨てられる。衣食住のうち「食」と「住」を失って「衣」もたったの一着で着替えがない、という状態になり、これはもう、ホームレスになるしかなくなるわけである。軽く万引きとかそういう軽犯罪を犯して生きていくしかなくなるのである。そうなるともう、死んだほうがマシである。小生は誰にも必要とされず、ただ孤独に死に逝くのである。小生がただ死ぬだけなら大した事は無い。問題は家族を支えることができなくなる、ということである。多くの若者がアイデンティティーを失って絶望しているこの世の中で、家族を支えるというある種の使命――生きる理由を与えられている小生は、幸運である。そんな幸福な人生にあって、使命をまっとうできないとは何たることか。これは罪深きことである。間違いなく地獄に落ちる。我が身かわいい小生は、地獄なんてまっぴらごめんである。
 だから、間に合わせるしかないのだ。
 馬鹿みたいに長い理由だが、とにかく提出しなければならない。
 というわけで、小生は頑張る。命を燃やしてでも頑張る。
 さて……やっぱり、なんの話をしていたのか分からなくなった。

 昨日、不貞腐(ふてくさ)れて古本屋巡りをしたとき、BoAの『Jumping into the World』を買った。
 これは母国語の新曲と英語と中国語のバージョンを含んだスペシャル・アルバムとして2002年にリリースされたものであるが、なぜかシングルCDのコーナーにあり、14曲入りなのに315円だった。
 ついでに言うと、2001年リリースのデビューシングル『ID;Peace B』も315円だった。
 一体どういう基準で価格を決定しているのだろうか。手抜きとしか思えない。
 しかし、ボクはこれよりずっと酷い手抜きを見たことがある。
 さっきのは間違って安くなっているから消費者としては儲けものである。
 だが、間違って高くなっていると損である。
 最近は初回限定盤をとんでもなく豪華にする傾向が多くある。ポスターとかDVDなどを封入し、シングルにしては太い体裁になる。
 それが時々、アルバムに間違われることがあるのである。
 ボクはアルバムコーナーを見ていたのだけど、初回限定盤(1260円)が置いてあり、値段が2700円くらいになっていた。
 なんと、中古のくせに定価の2倍以上なのである。
 これは、間違いだった、では済まされない。
 アルバムだと思った「にわかファン」が、知らぬまま購入してしまう可能性がある。
 まぁ、これはただのミスなのでまだ許されよう。
 もっととんでもないことをする店(店員)をボクは知っている。
 あるとき、105円コーナーに300円の文庫があり、それがボクの好きな作家さんの作品だったので、中を見てみた。
 しかし、なんと中身は『スレイヤーズ』だった。
 これはおそらく、300円の本を105円で買うためにカバーを入れ換えたのだろう。なんと卑劣な客であろうか。
 ボクがそれを店員に見せると、
「当店のミスです。すみません」
 と、謝られた。
 いや、ボクは別にあんたたちのミスだとは思ってないよ。謝られても困る。
 そんなボクの気持ちなどお構いなしに、店員は何度も謝った。
 本当に困ったものである。
 その日はそのまま、逃げるように店を出た。
 数日後。
 また105円コーナーを見ていたボクは、またしても例の文庫本を発見した。
 しかし今度はちゃんと105円になっていた。
 105円ならぜひ買いたいと思って、中を確認すると……
 やっぱり『スレイヤーズ』だった。そのまんまだった。
 この馬鹿モンがー!
 ボクがわざわざ指摘してあげたのに、カバーと中身が違ったまま店頭に並べるなんて、絶対に間違っている。
 ボクはちゃんと、カバーと中身が違います、と言っておいたのに……
 もともと被害者だったお店側が、今度は加害者になったというわけである。
 なんてことだ。
 ボクはもう、完全に呆れて、注意する気も起きなかった。
 店名は出さないでおいてあげるけど、これが某人気全国チェーンのお店だなんて……呆れて物も言えない。
 こういうことは、やはり店員の質の悪さが原因で起こるのだ。店自体に非はないだろう。
 アルバイトというのが間違いなのだ。店員は完全雇用(正社員)制にして徹底的に教育しておくべきだろう。
 ボクはこれまで色んなバイトをしてきたから分かるのだけど、アルバイトの人間は、やる気のない人間が多い。給料さえもらえればいいや、という自己チュー人間である。「働く」という意味を知らない未熟者である。
 しかしながら、もちろん、ちょっとやばいくらい真面目な人も中にはいる。
 ボクなんかはまぁ、普通に真面目な部類だろう。
 と、余計なことを言ったが、質の悪い店員はお店の心証を下げる原因である。
 アルバイトを雇うなら、ボクのような真面目な人間を選ぶべきである。うん。

 BoAの『Jumping into the World』は、なかなかよかった。
 日本語で歌っているものが一つもないのは少しつらいが、ファンとしては掘り出し物である。
 歌詞の日本語訳が書かれた紙があり、BoAやアルバムについての紹介文が載っていた。
 それがなかなかの情報で、ファンを自負しているボクでさえ知らなかった情報があり、ためになった。
 たとえば……
 日本では“Beat Of the Angel!”という別名が付けられている。
 2人の兄をもつ3兄弟の末っ子。
 オーディションに臨む兄に何気なくくっついていったらスカウトされた。
 それは11才のときだった。
 ……などなど。
 楽曲もいい感じで、それなりに良かった。
 すでに知っていた曲もアレンジが違っていたり、初めて聴く曲もたくさんあった。
 これで315円は安い。
 こういう得することばかりなら、店員がアルバイトで質が悪くても、全然OKである。


8月28日
 コンビニ詐欺に遭った。
 母の缶コーヒー120円とはがき2枚と80円切手3枚、計460円を買った。
 500円玉を払って、40円のおつりをもらう。
 いつもなら、ここでレシートも一緒にもらうのだが、店員は渡してくれなかった。
 ま、いっか、と大して気にも留めずにコンビニを退去。
 そして数時間後のついさっき。
 はがきと切手の入った袋をあけて中を確認してみると……
 ――ない! はがきが1枚しかないぃッ!!
 ……なんてことだろう。まんまとやられた。
 店員ははがきを1枚しか入れなかったのである。
 ――レシートを渡さなかったのはそのためだったのか……
 なんと大胆不敵で巧妙、それでいて安易な詐欺なのだろうか。
 しかもまさか信用第一の商売人がそれをやってのけるとは……
 盲点だった。実に盲点だった。
 いやー、最近の世の中は物騒でありつつ、巧妙な軽犯罪が跋扈(ばっこ)しているようですね。
 いや、私もレシートをもらわなかったので、迂闊(うかつ)といえばそうだったのですが……。残念です。
 もしかしたら、「たった50円じゃん」と思われるかも知れませんが、金額なんて関係ありません。
 してやられた! という驚きと嘆き。なにより今回は不用心が祟(たた)ったのです。本当に悔しいです。
 今後は必ずレシートをもらうことにします。油断大敵。
 みなさんも、レシートなんてただ捨てられるだけの人生なのですから、せっかくだからもらっておきましょう。私のように騙されないためにも。ね。
 ちなみに今回の損害50円は、一種の社会勉強になったということで、授業料と考えて諦めることにします。
 ちなみに貧乏人にとっての50円というのは、一般人にとっての500円と同じくらい価値のあるものです。手痛い出費でした(←諦めきれてない?)。

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