嘘日記と称して結構まじめなことを語ってます。
とくに最近はその傾向が強いと自分では思っています。
なんだか気色悪いくらいまじめなので今日はアンポンタンな話をしたいと思います。
今ハタチ前後の皆さん、朗報です。
これは学校の授業で先生から聞いた話なんですが、20年後ぐらいからバタバタと死んでいくそうです。
死因はガンです。
これは冗談ではなく、保険会社がきちんと計算した結果です。
ただし、本来は「しゃべってはいけないこと」なので、皆さん、他言無用に願います。
その先生は「しゃべってはいけない」と言われたのでしゃべりますが、と前置きしてこの話をしました。
先生にあるまじき行為ですが、そのおかげでこのような重大な事実が明らかになりました。
前述しましたが、これは朗報でしょう。
今の世の中、あまりに混迷していて生きていくのがつらいです。
精神を患う人が増加傾向にあるのも仕方ないでしょう。
はやく死にたい、けど自分で死ぬのはコワイ。
そう考えている若者は、結構、います。
このブログをご覧になっている方のなかにもいらっしゃるでしょう。
まぁ、そのぐらい今の世の中は狂っているわけですね。
アメリカは自由の国と言われていますが、自殺者が多い国でもあります。とくに上流階級の人に自殺者が多いのだそうです。
裕福な人ほど、実は死を願っているのです。
もしかしたら、死は、一種の贅沢なのかもしれません。
人生という面倒なものから逃避できるのですから、楽にはなるでしょうね。
でも考えてみてください。
死んだらそれで終わりだ、と言いますが、本当にそうなのでしょうか。
逆に、本当に死んだら幽霊になれるのでしょうか。成仏できるのでしょうか。
誰も死んでみたこともないくせに、なぜわかるのでしょうか。
死後の話をする人の大半はうそつきだと、ボクは思います。
また、死後の世界はない、と断言する人も馬鹿です。
そのような理由で、ボクは死んだ後のことについては何とも言えません。「わからない」「知らない」としか言えません。よく言えば中立な立場ですが、悪く言えばどっちつかずの中途半端者です。
世の中には断言できることなんてないとボクは思います。何千、何万分の一でも、「そうならない」という可能性が必ずあります。
木とりんごをつないでいた枝が切れたとします。
普通なら、そのまま落下して地面にぶつかるでしょう。
しかし、りんごが地面に到達する前に他の事象が発生して、地面にぶつからない可能性もあります。たとえば、地面が割れるだとか。
この世に「ありえない」ことなんてありません。
すべての未来は不確定要素を含んでおり、現在、過去となってようやく「そうなる」と言えるのです。「そうなる」と言ってもわかったときには既に過去のことですから、「そうなった」と言うべきです。したがって、完全な「そうなる」は存在しません。
長々と書きましたが、要するに言いたいことは昨日の日記と同じです。
未来にはどんな可能性だって存在します。
ボクが小説家になる、という可能性も存在します。
「可能性がない」なんてことは「ありえない」のです。
……あ、ありましたね、「ありえない」こと(笑)。
というわけで今日はアンポンタンな話をしました。読んでくださった方、ありがとうございました。
とくに最近はその傾向が強いと自分では思っています。
なんだか気色悪いくらいまじめなので今日はアンポンタンな話をしたいと思います。
今ハタチ前後の皆さん、朗報です。
これは学校の授業で先生から聞いた話なんですが、20年後ぐらいからバタバタと死んでいくそうです。
死因はガンです。
これは冗談ではなく、保険会社がきちんと計算した結果です。
ただし、本来は「しゃべってはいけないこと」なので、皆さん、他言無用に願います。
その先生は「しゃべってはいけない」と言われたのでしゃべりますが、と前置きしてこの話をしました。
先生にあるまじき行為ですが、そのおかげでこのような重大な事実が明らかになりました。
前述しましたが、これは朗報でしょう。
今の世の中、あまりに混迷していて生きていくのがつらいです。
精神を患う人が増加傾向にあるのも仕方ないでしょう。
はやく死にたい、けど自分で死ぬのはコワイ。
そう考えている若者は、結構、います。
このブログをご覧になっている方のなかにもいらっしゃるでしょう。
まぁ、そのぐらい今の世の中は狂っているわけですね。
アメリカは自由の国と言われていますが、自殺者が多い国でもあります。とくに上流階級の人に自殺者が多いのだそうです。
裕福な人ほど、実は死を願っているのです。
もしかしたら、死は、一種の贅沢なのかもしれません。
人生という面倒なものから逃避できるのですから、楽にはなるでしょうね。
でも考えてみてください。
死んだらそれで終わりだ、と言いますが、本当にそうなのでしょうか。
逆に、本当に死んだら幽霊になれるのでしょうか。成仏できるのでしょうか。
誰も死んでみたこともないくせに、なぜわかるのでしょうか。
死後の話をする人の大半はうそつきだと、ボクは思います。
また、死後の世界はない、と断言する人も馬鹿です。
そのような理由で、ボクは死んだ後のことについては何とも言えません。「わからない」「知らない」としか言えません。よく言えば中立な立場ですが、悪く言えばどっちつかずの中途半端者です。
世の中には断言できることなんてないとボクは思います。何千、何万分の一でも、「そうならない」という可能性が必ずあります。
木とりんごをつないでいた枝が切れたとします。
普通なら、そのまま落下して地面にぶつかるでしょう。
しかし、りんごが地面に到達する前に他の事象が発生して、地面にぶつからない可能性もあります。たとえば、地面が割れるだとか。
この世に「ありえない」ことなんてありません。
すべての未来は不確定要素を含んでおり、現在、過去となってようやく「そうなる」と言えるのです。「そうなる」と言ってもわかったときには既に過去のことですから、「そうなった」と言うべきです。したがって、完全な「そうなる」は存在しません。
長々と書きましたが、要するに言いたいことは昨日の日記と同じです。
未来にはどんな可能性だって存在します。
ボクが小説家になる、という可能性も存在します。
「可能性がない」なんてことは「ありえない」のです。
……あ、ありましたね、「ありえない」こと(笑)。
というわけで今日はアンポンタンな話をしました。読んでくださった方、ありがとうございました。
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