音楽の喜び フルートとともに

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お菊夫人

2022-12-05 09:17:00 | ロマン派
今日は地域のコミニティのお祭りでした。
相変わらずの体調で
金券受付の当番でしたが、欠席の連絡。
昨日のコンサートも欠席。
あちこちに迷惑をかけてしまいました。
根性出して練習してたんだけど…無理して出て誰かに移しちゃ大変。
休みも大切。

名古屋城では、菊の展示会をやっていました。
秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ 
 花よりさきと しらぬ我が身を
           古今和歌集

菊の花を頭に飾るのは不老長寿を願ってのことですが、花より先に死ぬやもしれない老いた我が身にしては。

菊は日本では万葉集780年には出てこず、古今和歌集905年には何首か出てくるのでその間頃に伝わったらしいということがわかっています。

江戸元祿時代になって人気が出ました。
菊合わせと呼ばれる品評会が各地で行われ、品種も増え

段仕立てや菊人形など見せ方も発展しました。

後期になると大輪仕立てが

流行ります。
幕末に中国に逆輸入され、中国の菊に大変化を起こします。

中国の菊がヨーロッパに1789年に入りましたがその頃は入った品種も少なく人気が出ませんでした。

その後1861年プラントハンターのロバート フォーチュンによって日本の菊数種が持ち込まれ、人気が沸騰しました。
イギリスを中心に園芸育種が進み、ヨーロッパ全土に菊の栽培、品種改良がブームになります。

マダム クリサンテーム(お菊夫人)はそのブーム中で出版されました。
ピエール ロティ(1850-1923年)フランス ロシュフォール生まれ、フランス アンダイエ没

右からロティとお菊さんとピエール ル
コール
海軍士官であった彼が長崎に駐在中に日本人女性と一時結婚していたという自伝的小説。すぐに25版が出版されるなど大人気でした。

これをアンドレ メッサージュ(1853-1929年)フランス モンリュソン生まれ、パリ没
がオペラにしました。
小柄で黒髪の娘と結婚して、竹と紙でできた家に住みたいという夢を抱いて日本にやってきた士官のピエール。

江戸で生まれ家が没落して長崎に売られてきた芸者のお菊さんと恋に落ち、結婚します。

愛を育みますが、ピエールがフランスに帰国する日がやってきます。

この作品は当初は人気があり

三浦環が出演したりしていますが、プッチーニの「蝶々夫人」の出現で全曲上演することはなくなりました。 

メッサージュはフォーレとの共作、サン・サーンスのオーケストレーションなど他の仕事で影響をあたえています。
この中で唯一今も歌い継がれているアリア「恵みの太陽が輝く日」(Le jour sous le soleil beni)[蝉たちの歌]は、今もソプラノの大切なレパートリーの一つとして残りました。