
金曜日は京都今出川大宮近くの富久田治彦先生のレッスンでした。

ランチの時間。
のレシピを読んでいたら、若い女性が自転車を停めて「ここ、おいしいですよ。おすすめです。」




サラダ付き








の演奏、エドゥアール・コロンヌの指揮によるものでした。
バロック縛りのコンサートに出るためにパウエル木管頭部管をパウエル金属のフルートに差し込んでレッスンでした。
曲はマラン・マレの組曲Gdurです。
「これいい音ですね~。」と先生木管頭部管の音をお気に召したようです。
レッスン最後には「音質変化してるし、いいですね。もうずっとこれでやってもいいですね。」だって!
帰りに出町柳商店街に寄りました。

ランチの時間。
「どこで食べようか?」と迷いながらこのお店

のレシピを読んでいたら、若い女性が自転車を停めて「ここ、おいしいですよ。おすすめです。」
字が小さくて読めなかったのですが…。
このお店の人かと思って見ていたら、自転車を停めただけで行こうとされるので「入ってみます!」と言ってしまいました。
前に一度だけ入ったことがあります。
クスクスランチにしました。
選んだのは辛くないメニューだったから。

変わった椅子に机、それに「あれ?この壁に掛かった写真は。」

さっきの商店街のディスプレイと同じ写真。
聴いてみました。
「この椅子は水道管のリサイクルで金属です。」
へーっ!とても見えません。
クスクスランチ。


サラダ付き
辛くない。スープは無塩無糖のトマトジュースのような感じでトマトがゴロゴロ入っています。
「カレーのようにかけてお食べください。」といわれました。
おいしい!


お野菜もたっぷり。
「商店街の写真と同じものが飾ってありましたね。」と言うと「ここは、写真を展示するためのカフェなんですよ。」ということでした。

どおりでおしゃれ。

帰る頃には小雨が降ってきました。が鴨川は遠足の子どもたちのにぎやかな声が響いていました。
クスクス(アラビア語: كسكس、仏: couscous)は、デュラム小麦の粗挽粉から作る粒、またその食材を利用して作る料理です。発祥地はモロッコ。
フランス、イタリア、ギリシャなどのヨーロッパ、およびブラジルなど世界の広い地域で食べられています。
特にマグリブ地域では重要な料理であり、アルジェリアではタアーム(食べ物)と呼ばれるほど常食されています(日本でいう「ごはん」が食事と米の両方の意を表すのと同じだそうです)。
とても小さい粒状のパスタなので「世界最小のパスタ」と呼ばれています。
フランスでは北アフリカのアルジェリアを植民地にしていた時代があり、早くからクスクスをア食べる文化が入っています。
なので、アルジェを愛し、避寒地にしていたサン・サーンスもクスクスを食べていたかも。
シャルル=カミーユ・サン=サーンス(1835 - 1921年)
フランスパリ生まれ、アルジェリア アルジェ没

のアフリカ幻想曲(作品89)Africa op. 89
は、ピアノと管弦楽のための曲です。
1891年、エジプト滞在中に作曲されたこの協奏曲は、モザイクのような構成と様々な主題の相互作用が特徴で、アフリカの音楽的要素とヨーロッパの作曲技法が融合しています。
母の死後、深い悲しみに暮れていた時期に作曲しました。
ピアニスト、マリー=エメ・ロジェ=ミクロに捧げました。
1891年10月25日の初演は大きな称賛を受け、その後世界中で演奏され、サン=サーンス自身もこれを代表作とみなしました。
1888年に母親を亡くした後、カミーユ・サン=サーンスは悲嘆に暮れ、自殺を考えました。
サン=サーンスはピアニストのマリー=エメ・ロジェ=ミクロ
のために新しい曲を作曲することを約束していて、1889年9月20日付けの手紙の中で、母親の死後、深い悲しみに打ちひしがれ、重要な作品を書くことができないことをマリー=エメに打ち明けました。

のために新しい曲を作曲することを約束していて、1889年9月20日付けの手紙の中で、母親の死後、深い悲しみに打ちひしがれ、重要な作品を書くことができないことをマリー=エメに打ち明けました。
重度の鬱病と闘っていたサン=サーンスは、お気に入りの隠遁地であるエジプトとアルジェリアに慰めを求めました。
北アフリカの影響を強く受けた幻想曲『アフリカ』の着想を得たのはこの時期でした。
サン=サーンスは1891年3月にカイロ滞在中に作曲を開始し、1ヶ月以内に完成させ、
6月にはアルジェでオーケストラ編曲の作業を続けました。
楽譜は長年の出版元であるオーギュスト・デュランによってパリで最初に出版されました。

オーケストラ版の表紙
1891年10月に2台ピアノのための編曲版が最初に出版され、11月にオーケストラパート譜が準備され、12月にピアノソロ版

ピアノソロ版の表紙自筆のスケッチ
が完成し、1892年2月にオーケストラスコアが登場しました。
が完成し、1892年2月にオーケストラスコアが登場しました。
デュランへの手紙の中で、サン=サーンスはこの作品をアルジェリアの組曲『アルジェリア組曲』作品9の派生作品であると述べています。
この作品が「より発展した」作品73の「オーヴェルニュ狂詩曲」を凌駕するかもしれないという希望を表明しました。
サン=サーンスはこの作品の演奏上の難しさについて懸念していましたが、ロジェ=ミクロは熱心にこの作品に取り組み、それをマスターできるという自信を示しました。
初演は1891年10月25日にパリのシャトレ座コンサートで行われ、ロジェ=ミクロの演奏、エドゥアール・コロンヌの指揮によるものでした。
その後、ヨーロッパ各地やアメリカ合衆国でも演奏が行われ、サン=サーンス自身がピアノを弾くこともありました。
初演は1891年10月25日にパリのシャトレ座コンサートで行われ、
この曲を初演した献呈者のマリー・エメ・ロジェ・ミクロ(1860年5月1日 - 1951年5月19日)

の演奏、エドゥアール・コロンヌの指揮によるものでした。
サン=サーンスはこの作品とその演奏に対する満足感を頻繁に表明し、
「アフリカはまるで手袋のように私にぴったりで、私は楽々と、心配することなく演奏できる」と述べています。
クスクスお好きなのですね!
私は久しぶりに食べました。
なんでもかけられるのもいいですね。お米高いし…。
そうなのですね。歌えない人気曲!おもしろいですね。
私もクスクス大好きです。ご飯がない時に、クスクスにカレーやスープ類をかけて食べています。
今朝の題名のない音楽会で、小学校で習うのに口ずさめない曲、上位5曲の中に動物の謝肉祭の白鳥が入っていました。多くがチャイコフスキーの白鳥の湖になっていました。