
午前中、子育てサロンのお手伝い。
図書館に行った時に「3歳までの子どもたちに読む絵本でいいのありますか?」と聞いたら教えてくれました。
「お母さんにも読む本ありますか?」と聞くと何冊か出してくれました。
どれもいい絵本でした。
今回特にいいと思ったのは

「ずっといっしよ」
アリスン ブラウン絵
スムリティ ブラザーダム ボールズ文
俵万智翻訳
WEVE出版
かわいい絵で
動物のお母さんか子どもと、一緒にいる姿が描かれてぃます。
楽しい時は一緒に笑い。
あなたの手は絶対に離さない。
しかし、よく見ると抱き
しめるのではなく、怒っている子どものそばで、ニコニコ笑いながらおさまるまで、本を読んで見守ったりしています。
その距離感が爽やかで気持ちいい。
子どもたちも楽しんでいるようでしたが、お母さんたちが食いつくように見てくれました。
子育てサロン ぽっぽくらぶ
会館トノ2 毎月第二火曜日
10:00〜11:30申込不用 無料
保護者と子ども
午後からはピアノの神澤美穂さん宅におじゃまして、角谷雅一さんとクーラウの「トリオop119」とマレの「組曲Gdur」
を合わせました。
お宅に着くと角谷さんがもう来ていて、「今日はこれで吹きますよ。」と言うので見せてもらったフルートは、


「マイヨンフルート、ブリュッセル。」
「おおっ!…聞いたことない。」
「ブリュッセルってどこだった?」
「ベルギー!」と言うボケ具合。
フルートの有名どころはフランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本に集中しています。
さすがにベルギーは知らなかった…。

円錐管を見せ合いっこ。
こちらはドイツ、私のはフランス。
マレを円錐管で吹こうかと思っていましたが、角谷さんの円錐管の音程が安定しないのとキーに不具合が未だあるので辞めて、今回は薩摩つげの頭部管をパウエル洋銀に着けてお貸しし、私のパウエルグラナディラ(アフリカンブラックウッド)の頭部管と合わせて演奏することにしました。
なかなかいい感じです。
マイヨン フルートについて調べてみました。
Anthony Baines の Woodwind Instruments and Their History(木管楽器の歴史) の中に1950年代のイギリスにおいてマイヨンは重要な楽器でした。「The Buffet and the Heckel」の段落を読むと、
「(フランス式の)代表的なメーカーはパリのビュッフェ・クランポンですが、1930年代までイギリスで好まれた別のメーカーは、ブリュッセルのマイヨンでした。これらの楽器は、それ以前にイギリスで作られていた楽器に非常に似ていた。」と、あります。
これは主に木管楽器バソンのことです。
Mahillon Bruxelles と並んで Mahillon London と二種類あります。
マイヨンは、ベルギーのブリュッセルにあった総合楽器メーカー、C. Mahillon とわかりました。
Charles Boomee Mahillon (1813 -1887) が1836 年に創業し、ベルギーの軍楽隊御用達の管楽器メーカーとして繁盛しました。
1844 年にロンドンに支店を開き、イギリスにも販路を開いたようです。
Charles Mahillon はイギリスで見習修業をしました。
ブリュッセルに戻ったあとは、義兄のG. C. Bachmann とともに Bachamann & Mahillon という楽器メーカーを立ち上げ、その後1836年に C. Mahillon として独立しました。
マイヨンは1844年にロンドンに「支店」を開いています。
有名なメーカーヘッケルの創業者、Johan Adam は息子のWilhelm の見習工期間が終了すると、旅職人(Journeyman)としてマイヨンに送り込んでいます。
1875年のことで、この年Wilhelm Heckel はブリュッセルのアルベルト(アルバート式クラリネット)、マイヨン、ハノーバーのマイヤー(フルート)、ドレスデンのヘッケル(親戚、金管楽器)で研修を受けています。
マイヨンの息子のことはもう少し詳しくわかっています。
ヴィクトル=チャールズ・マヒヨン ( Victor-Charles Mahillon、1841-、1924年)ブリュッセル都市圏生まれ、フランス サン・ジョアン・デ・カップ・フェラット没

音楽家、楽器製作者、音楽をテーマにした作家でした。
彼は、楽器博物館として知られる王立音楽院楽器博物館の創設者であり、初代学芸員でした。
彼は 1500 を超える楽器を製作、収集し、解説しました。
楽器製作者と楽譜出版者の家に生まれ、
父はシャルル・マイヨン(1813-1887)、
母はジョセフ=ジャン・マイヨン(1848-1923)、
母は楽器製作者の一族に生まれています。
マイヨンは、部分的に独学で音響学と楽器学を学び、1865年に父親の楽器工場で働き始めました。1869年に音楽雑誌「L'Echo musical」を創刊し、1886年まで発行されました。
ブリュッセル王立音楽院
彼は1879年からブリュッセル王立音楽院

の楽器コレクションの初代学芸員を務め、自身の楽器を多くコレクションに寄贈しました。
彼は音響科学、特に管楽器に深い関心を持っていました。
彼の音響学の研究は当時としては先進的であり、歴史的にも興味深いものでしたが、大部分は取って代わられてしまいました。
彼は歴史的に興味深いヨーロッパの管楽器を多数収集したほか、世界中から民族学的に興味深い標本を多数収集し、3巻からなるカタログを作成しました。
『ブリタニカ百科事典』第 9 版に掲載された彼のいくつかの記事は、今でも興味深いものです。
1885年、彼はロンドンで開催された国際発明博覧会の一連のコンサートで使用する楽器をアルフレッド・ジェームズ・ヒップキンスに提供した。
1890 年に彼はブライアン・グリーンと共同で、より詳細な体音楽器の分類を開発しました。彼の楽器の分類は後に採用され、現在でも使用されています。
さて、角谷さんのマイヨンフルート、パワーがあり、低音から高音までバランスよく響きました。
YouTube探しましたが、さすがにマイヨンフルートはありませんでした。
代わりにマイヨンのホルン。
ジャン・デジレ・モンタニー・アルトー(1803- 1887年)フランス パリ生まれ、サン=ジョス=タン=ノード没
ベルギーのホルン奏者です。
アルトーの父親はブリュッセル歌劇場のソロホルン奏者で、ギターとバイオリンの名手でした。
歌手として、彼の父親はモーリス・モンタニーと名乗っていましたが、この名前はジャン・デジレも使っていました。
ジャン・デジレは父親から歌とホルンの両方のレッスンを受けました。
1843年にブリュッセル音楽院のホルン教授となり、1849年にはベルギー王の私設礼拝堂でホルン独奏者となりました。
アルトーはホルンのための24の練習曲のほか、ホルンとピストンコルネットのための幻想曲と四重奏曲も作曲しました。
ジャン デジレの
「組曲6つのメロディー」第6番第3楽章
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