音楽の喜び フルートとともに

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石鹸が発売された作曲家

2023-07-18 21:06:00 | 近代
日曜は、富久田先生の還暦祝いコンサートのフルートオーケストラ練習でした。
ドルチェ楽器のサロンホールで20人位集まりました。
本番は後プラス20人位だそうです。

コントラバスフルートもいい音でした。

富久田先生。
シャミナードの「コンチェルティーノ」ソロですが、「音量を考えると心配だった。」と言われていましたが、「今日やってみたら、大丈夫。
」本当に良いオケは、人数ではなく、ちゃんと浮き上がる旋律は浮き上がるのです。
さすが富久田門下、みんなうまいです。

それにまだ、色を変化させたり、冒頭の伴奏パートはソフトな吹き方で入る。
和声はバスフルートから音が聞こえるようにとか、ピアノ伴奏のようではなく、オルガンのようにテヌートで刻むなどなど音質や、音色の指示が加わっていきます。 

シャミナードについては、赤毛のアンのテレビ放映に絡んで書いていました。

シャミナードと赤毛のアン - 音楽の喜び フルートとともに

紅葉する茎があったので、よく見るとイヌタデ。小さな秋、見つけました。先週NHKで「赤毛のアン」を見ていたら、セシルシャミナーデが登場していました。小説も、映画もアニ...

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北海道!や兵庫の友達とも再会して、気分もワクワク!
20日のコンサートはいいものになること間違い無し。

京都コンサート小ホール
7月20日18:45開演

チケット、後少しあります。
ご連絡下さいませ。
久米素子motokofl@ezweb.ne.jp

セシル シャミナード(1857-1944年)フランス帝国パリ生まれ、モナコ  モンテカルロ没

パリのブルジョアジーの家庭に生まれます。父は保険会社の監察員。
幼い頃から母にピアノを学び、作曲もします。
8歳の時、宗教曲を披露し、ビゼーに「小さなモーツァルト」と可愛がられます。
パリ音楽院は女性の入学を認めておらず、個人教授でゴダールなどに学びます。
父は彼女の音楽教育を認めませんでした。
18歳で最初の演奏会を開き、トマに「作曲する女性というより、女性の作曲家というべきだ。」と言われます。

初期にはサロンのための作曲を行い、経済的自立を果たします。

1892年イギリスに演奏旅行をすると、人気が出て1894年ビクトリア女王の前で御前演奏をしています。

トルコやアメリカ合衆国にも演奏旅行を行い、人気になります。
1901年マルセイユの楽譜出版社のカルボネルと結婚します。が互いの家を行き来するなどしていたために偽装結婚と言われました。
1907年カルボネルが亡くなるとその後は結婚しませんでした。
1908年アメリカ合衆国を訪問、人気でルーズベルト大統領の前でも演奏します。

1910年イギリスで彼女の名前を冠した石鹸が発売されています
1913年レジオンドヌール勲章を女性作曲家として初めて受賞します。
その頃からオカルトや神秘主義に熱中し、音楽を顧みませんでした。

1918年骨粗鬆症のために歩行困難になり、左足を失います。無理なダイエットによるものと言われています。
1930年ころからモンテカルロに隠棲します。
ヴィシー政権がユダヤ人を圧迫すると、ユダヤ人の楽譜出版エノック社も
営業出来なくなり、シャミナードの楽譜も出版できなくなりました。

シャミナードのフルートのための「コンチェルティーノ」は、今でも人気の作品で演奏機会も群を抜いて多いです。
しかし、ピアニストであったシャミナードはピアノ曲の良作をのこしています。
「アラベスク」No.1op61



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