ゲオルグ・フィリップ・テレマン(1681-1767年マクデブルク独)は、作曲するのが早く、86歳まで生き、生涯現役だったのでたくさんの曲を残しています。
3600曲余りが確認されていますが、紛失したものなどを含めると実際には4000曲も作曲したのではないかと言われていますが全貌はまだわかっていません。
最初の妻との間に子どもが一人、次の妻との間に9人の子どもがいて、その上、その妻マリア・カテリーナはギャンブルにのめり込み、莫大な借金をつくったので、せっせと働かなくてはいけなかったこともあるのかと思います。1733年離婚して、借金はハンブルクの商人たちの助けでなんとかなったそうです。
宮廷音楽士をあちこち努めたあと、ハンブルグ市の音楽監督を務めています。
当時、最も成功していた音楽家で、ライプツィヒの教会の音楽長に誘われた時はテレマンは断り、教会は仕方なくバッハを雇ったそうです。
ハープシコード、オルガン、リュート、リコーダーを演奏したこともあって、今残っているフルートの曲はリコーダーの曲であることも多いです。
1728年に作曲されたSonata Fdur TWV41F2 も元はアルトリコーダーと通奏低音のために書かれました。
楽譜の予約販売を考え出し成功したほかに、隔週の音楽雑誌、忠実な楽長"Der getreue Music-Meister”を1728-29年 刊行し、その中に毎号新作楽譜を掲載して、一部を載せ、続きを次週という形で販売を伸ばしたそうです。
この曲もその音楽雑誌に掲載されたものです。
バッハとヘンデルが4歳下にいて、どちらとも親交があり、関係はよかったり、難解な曲をあまり書かず、演奏しやすかったことから、民衆に受けて売れやすかった。
テレマンの才能は、楽譜の予約販売、注文販売によって、大衆の好みに合わせることによって磨かれたのかもしれません。
テレマンは、人の中で生き、人の中で音楽を続けた作曲家だと思います。

