夏の食卓。
お茄子、きゅうりの浅漬け、アボカド、子どもピーマンの炒めたもの。
しめじとキャベツと豚肉の炒めもの。
メインディッシュは、鶏胸肉を叩いてフォークで刺して、塩と水と砂糖を吸わせておいて、焼いたもの。胸肉のパサパサ感が減ります。ためしてガッテンでやってました。
トマトとバジルを刻んでオリーブオイルであえたソースをかけて頂きます。
簡単で美味しいです。夏になると火を使う時間がうんと減ります。
今日は、S先生のマスタークラスを受講しました。
早めに行って練習させてもらっていると、先生が入ってこられたので、「すみません、早すぎましたか?」と聞くと「いえいえ、どうぞ、やってください。」
と、荷物をおいて出て行かれました。
しばらくしたと思ったら、トントンとドアを叩く音がしたので「どうぞ」と言うとS先生。
「もう、はじめましょうか。」と言ってくださいました。まだ予約時間まで20分もあるのに。
初めに「ロングトーンを吹いてみて」と言われたので、吹いてみました。
「ビブラートの練習はどうしていますか?」
ビブラートには、いろいろ考え方があって、全くかけない、全部掛ける、部分的にかける、それから、心でかける。などなど。議論が分かれるところです。
「僕は、かけたほうがいいと思うし、意識的にかけられるようになった方がいいと思います。」
ソノリテのロングトーンの練習で、一音に4回ビブラートをかけ、次の音に移動し、その音にもかける。
それから、メトロノーム60、1拍に2回、3回、4回とビブラートを増やしながら練習します。
具体的な練習法はとてもわかりやすいです。
「3回がやりにくかったら、うめだ、うめだと思っいながらカウントしてもいいね。4回はおおさか、おおさか。」
思わず吹き出してしまいました。
次に、低音のタンギングがやりにくいと聴いてみると、
マウスピースのホールの4分の3くらい塞いで吹いてみることを提案されました。
塞ぐと音程が低くなりがちですが、それをチューナーをみながら、低くならないように吹きます。
そばで聴くと、少しシャゴシャゴした音に聞こえますが、芯のある音がします。
それに、吹きやすい。
「「何言ってるんだよう。」ってうちの生徒さんで、小さな男の子がお母さんに注意されると口をとんがらがらせて言うんですが、その口、その口、それでやればいいんだよ。と言うといい音がでるんですよ。」
おもしろい。
最後にタファネルのミニョンのグランドファンタジーを吹きました。
その口で、チューナーを置いて。
低音はよほど気をつけないと低くなってしまいます。
課題ができました。でも、解決法がわかっているので、希望があります。
17日は、フェランディスさんのマスタークラスでした。
一人目はプーランクのフルートソナタ、二人目はドップラーのヴァラキアの歌。
曲のことも話されましたが、一番時間を割いたのは、姿勢や呼吸のことでした。
少し離れて普通に歩いてみて、相手に近づいて止まると、足はどうなりますか?
それから、椅子に前よりに腰をかけ、フェランディスさんが手を叩いたら、直ぐに立つ。というワークショップをされましたが、その時に、「体の場所で気づいたところがありますか?」と質問されました。
立つときに背中をフリーにする。
「リラックス」という言葉は好きではないそうです。力を抜いてしまうと、演奏できない。
普段の生活でやっているようなことで演奏する。もちろん、パワフルではありますが。
フリーであるということは、体がどのようにでも自由にコントロールできる、という意味です。
、で、背中をフリーにして手を叩かれた時に立つと、とても早く、静かにたつことができます。立ったあと、背骨が上に伸びたような感じがして、その後、地面に着地する。
それで演奏すると体がフリーになります。
そこで、フルートを構えてみます。吹く前に、奏者の膝の後ろをかくんと折ります。するとかかとが上がります。
これは、骨盤をフリーに動かすために、足に力が入りすぎて、固まらないためにするそうです。
演奏は、音によってするものではなく、空気によってするものです。
音を吹く前に始まっています。こうすると足の踵の下から空気が入ってきて、それを音にできます。
ランパルは骨盤を動かしながら演奏されたそうです。
ずっと動かしたり、踵をあげながら演奏する必要はありません、しかし、動かそうと思えばいつでも動く状態、つまりフリーな状態で演奏できるようにする必要はあります。
こんなふうにと、首を左右に動かしながら演奏されました。
そうすると、いくらでも演奏できます。と長いロングトーンも吹かれました。
実際に奏者のが首が前にいったり、右に曲がりすぎたりするのを、実際に手で支えて真っ直ぐにしながら吹くと、音が格段に響くようになりました。
曲については、フランスもののプーランクと、ハンガリーのジプシーの音楽を取り入れたドップラーっでは、曲風がちがいます。
フランスものは、明るく、軽く、決して深刻にはならない。そして、涙はありません。
ドップラーは、泣きます。
曲によって、音は全く変えなくてはなりません。
最悪なのは同じように吹くことです。それは、一曲の中でもそうです。
変化すること、自由に。
今朝は、久しぶりにピアノのSさんとアンサンブル。
お互い老親を見る身で、なかなか時間がとれません。今日はコンヴェンションのお土産話と、コンベンションで聞いた曲を、もう一度合わせたくて、呼びました。
エネスコのカンタービレとプレスト、タファネルのアンダンテ パストラルとスケルツェッティーノ、ミニョンファンタジー、魔弾の射手。ライネッケやデティーユも、やりたかったけど時間切れ。楽しかった。またやりたい。
コンヴェンション一日目は、サミュエル・コールズ公開レッスン。
サミュエル・コールズさんは、ロンドンフィルなど、ヨーロッパ各地の有名な交響楽団の首席フルート奏者を務め、現在は、フィルハーモニアの主席奏者、ロンドン王立アカデミーの教授です。
受講曲は、エネスコのカンタービレとプレストと、アンダンテパストラルとスケルツェッティーノ。
細かいことは書けませんが、基本奏法に関わるところだけを書きます。
A#と、Bは同じ音ですが、調声感覚では、A#の方が、Bより低く取ります。
ヴィヴラートには、4種類あって、スピードが速いのと、遅いもの。振幅が大きいものと小さいもの。それらを曲によって使い分けること。そのために、ソノリテを使って練習すること。
同じフレーズの二回目は発展させること。
曲の変化に合わせて、細かいニュアンスや、カラーの変化を大切にされているとかんじました。
高松に行って帰ってきたら咲いていたガーベラ。2年ぶりのご無沙汰でした。「長かったね。待ってたよ。」と声をかけてお水をあげました。本当に愛おしいです。
コンヴェンション二日目の24日11時は、私が時間を間違えたデニス・ブリアコフ公開レッスンでした。
ライネッケのコンチェルトの一楽章と二楽章を二人で、わけての受講でした。
1楽章
演奏を始める前に、この曲はオーケストラがバックであるということを忘れないこと。
そして、チューニングは、曲と同じ吹き方で合わせること。曲で使うAで。
この曲の始まりはどのような雰囲気でしょうか?
楽しく始めます。
フレーズがどこに向かって行くのかを考えること、同じ形のフレーズが繰り返し出てくるときは変化をつけてください。
和声がどうなっているかも考えて。楽譜強弱記号は、書いてある意味を考える。音量のことだけを考えて書いているのではなく、性格が変わることがあります。音色を変える。
ドラマティックに初めて、Pで悲しくなるとか。
モイーズは、2回目の同じメロディのはじまりは強く説得するようにと言っていたそうです。
ヴィヴラートは、最後の音までかける。
骨格の音を把握して吹く。
2楽章
これは、オペラのアリア。泣き虫のイタリアのテノールのように
フレーズはどこで息を抜くか?どこからどこに向かいどこで終わるか?をよく考えて。
レスタティーボは、歌うではなく、語る。ということは、抑揚と変化が必要です。
バロックはノンヴィヴラートですが、これは、ヴァイオリンのようにヴィヴラートをかけて、音が消えてからもかけ続ける。
すべてを書くことはできません。一般的にどの曲にもあたハマるようなところだけを抜き出してみました。それにしても、音一つ一つの意味を考えて、丁寧に音楽を作っていくブリアコフさんの、姿勢がわかるマスタークラスでした。
循環呼吸は、以前から噂には聞いていましたが、私には必要のないテクニックのような気がしていました。
人間は呼吸する生物。それを息継ぎ無しで、音楽といえるのか?と考えていました。
しかし、「それはなんだろう?」という好奇心には、私は絶対に勝てない。扉をあけちゃううぐいす長者、玉手箱を開ける浦島太郎、おつうを覗く与ひょう。みんな私のことです。
「循環呼吸はなぜ必要か?というと、トラヴェルソは、呼吸がそんなにいらなかったのが、フルートの改良で音が大きくなると同時にたくさんの息が必要になりました。また、長いフレーズは一般的に肺活量が男性に比べて少ない女性には、演奏するのが難しく、それを補うために循環呼吸が必要だと思うのです。」
先生の演奏を聞いてみると、バロックの長いフレーズをブレスで切らずに見事に吹いています。
次に、ロングトーンで聞いてみました。
見ていると、音は続いていますが、息をしていないというわけではありません。肩やお腹が上がって呼吸をしているのがわかります。しかし、音は切れ目なく続いています。
「口から空気を吐きながら、鼻から吸っています。気道は一つなので、同時には、できません。どうしているかというと、喉を閉めて、口の中の空気だけを使って音にしている間に、鼻から息を吸うのです。」
そう言われてもよくわからないと思うので、まず練習としてストローとコップを用意します。
、
ストローをくわえて、息を吐きます。次に、喉を閉めて口の中に残った空気だけを吐きます。
たくさんは吐けないので、直ぐに終わってしまいます。
口の中の空気だけを吐くという感覚がわかってきたら、吐いて泡がブクブク立っている間に、鼻から息を吸います。
できるようになったら、続けて泡を吹き続けます。
一定の泡の量で続けてできるようになったら、フルートでやってみます。
フルートでやる場合、音にすると、口呼吸の部分の音量がやはり少なくなるので、切れ目を目立たさないために、肺呼吸に切り替えたとたん大きな音量にならないように、小さく始めると、いいでしょう。
実際に舞台の上で使えるようになるには、先生は1年くらいかかったそうです。
私も、コップまではすぐ行きましたが、音はまだどうしても切れ目が分かってしまいます。
しかし、練習すれば、もっとうまくできそうです。
練習していると、吹く時になんとなくやっていた口の中の状態が、繊細に分かってきた気がします。
循環呼吸にまでならなくても、口の中の小さな息の量で演奏できることがわかれば、もっと繊細なニュアンスも表現できるようになってきます。
ぜひ、これはやってみるべし。
ブログ、土日はお休みと決めていたのですが、昨日お休みだったので、今日は、アップします。
父が入院中だろうと、沖縄に行こうと、フルートは休みなしです。
7日には、アルドー・バーデンマスタークラスを聴講しました。
バーデンさんは、ベルギー、ブリュッセル生まれ、ベーター・ルーカス・グラーフに師事、ベルギーチェンバーオーケストラ、ライプツィヒ放送交響楽団、ロイヤル・フランダースフィルの首席フルート奏者を務められています。
プロコフィエフのソナタの第一楽章、第4楽章
演奏を終えた受講生に、「自分の演奏の何が良かったか?教えてください。」
答えられずに黙っていると、「心配しないで、みんなこれを答えるのは難しいのです。必ずいいところがあります。まず、自分演奏のいいところを見つけましょう。」
それでも、答えに詰まっていると
「音程は?」「テンポは?」
「あなたのテンポ、音程はとても良かったです。」
「そして、次に、このあと、何を勉強していこうと思いますか?」
「この曲のイメージ、何を伝えようと思いますか?」
「曲のかかれた背景を知っていることも大事。」「スターリンに支配されていた時代のプロコフィエフが書いた曲。この中に出てくる軍隊の行進曲は、スターリンの軍隊で、4楽章は、スターリンを打ち負かした喜びの曲のようなイメージを私は持っています。しかし、あなたがどのようなイメージを持つかは、自由です。大切なことは、作品のイメージ、ストーリーを持つこと、何を伝えたいのかが、大切なのです。」
ビブラートは、高音部の方が、振幅の幅を広げ、低音は、幅を狭くします。
低音の3連符のスタカート、激しい音色が欲しいので、早い息をフルートの奥深くまで吹き入れるようにします。
モーツアルトのフルート協奏曲Gdur 1楽章
「古典を吹く上で、もっとも大事なことはなんですか?」
「それは、クリアーであること。」
「何が一番モーツアルトの傑作でしょう?それは、オペラです。オペラの中の表現を思い出してください。」
「たくさんの音符にまどわされないで、どこからどこまでアウフタクトなのか?考えましょう。」
「ピアニストを見ること、お客さんをみること、一緒に演奏して、演奏を聴いていただいているのをわすれないようにしましょう。」
マスタークラスの後、ミニコンサート
ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、シリンクス
ライネッケのウンディーヌ
ドップラーのアンダンテとロンド
ピアノは岡純子さん、デュオのフルートは通訳もしてくれていた柴田俊幸さん。
バーデンさんは、美しい音色、特に高音の透明感は、抜群です。繊細で洒脱な表現力も特徴です。
ピアノは難しい曲を、岡さんが難なくこなしていて素晴らしいコンビネーションでした。
柴田さんは、バーデンさんのお弟子さんとあって、息もあっていて、とても元気とパワーのある演奏でした。前から知り合いだったのを、自慢してもいいかな?別の意味でも、とても嬉しかった!
生徒自身に問いかけ、考えさせるレッスンは、とても、楽しかったです。
そして、こんなふうに吹けるよね、こんなふうにも、と実際に吹いてみて、「どちらが好きですか?」と具体的に違いを提示して、選ばせるというやり方も、とてもわかりやすく素晴らしいと思いました。
オオイヌフグリは、まだ健在です。子どもの頃、よく遊びました。春だなぁ。
フェランディスの余韻に浸っています。
昨日聞いたタキタキシビリから、タファネル、ムチンスクを演奏してみます。
耳の記憶、体、言葉、雰囲気、空気。
fのプールは、聞いただけではよくわからなかったけれど、イメージして吹いてみると、気分だけでなく、体が変わります。力を入れるのではなく、力を感じる。って感じかな。
空気が先にあって、空気に音楽を乗せる。言われたとおりにできているかどうかは、わかりませんが、とにかくそう思ってやってみる。
息の長いスタッカート。スタッカートの音を、長い音符にして、普通のメロディを吹いてみるようにやってみます。
ミニョンの、同音のスタッカート。その後に続く、ハギレのいい旋律、前より一つ一つの音が響く気がします。
歌うバッハも、バッハをこんなに自由に吹いてもいいんだ。同じようには吹けませんが、前よりずっと楽しいです。
片足をカクンと出してみると、左足にすごい力を入れて立っていたことがわかりました。
片足を、上げて吹いただけで、息が深くなっています。
それから、右足でやったり、左足でやったり、だんだん、両足にそれほど力を入れなくても吹けるようになってきます。
このまま、しばらく続けてみようと思います。
マルチアナ・ルブラ 椿は冬だけのものではありません。古今東西の人に愛され、たくさんの品種が元気に咲いています。
今日は、ジャン・フェランディス マスタークラス。
曲はタキタキシビリの「ソナタ」。タファネルの「ミニョンのファンタジー」、ムチンスクの「3つのブレリュード」
フルートを吹く前に身体を自然に自由にすること。
自由というのは、全く力を抜くことではありません。
まず、椅子に座って、手を叩いたらできるだけ早く立つ。ということを練習しました。
腰の後ろ辺り全体を楽にして座っていると、早く立つことができ、立った後、戻る感じがします。
その姿勢で吹く。
背中を自由にするための練習です。
また、骨盤の両サイド辺に手を当てて、ここを自由にすること。開くこと。ここで吹く。
そのために、まっすぐ立っていて、カクンと、片足の力を抜くと、膝が前に出て、踵が上がります。
こうすると、息が足から上がってくるそうです。
通常、人は両足が同じ長さの人はいず、片足が短いそうです。こうすることで、股関節が開き、空気が腹のしたの方まで入るということです。
普通フルートのフォームを取ると、右足を引きますが、彼は、まっすぐ自然の形で立ち、この片足を上げたフォームで吹いてもらっていました。
しかし、ずっとその形で吹くわけではなく、要は、股関節を開き、背中を自由にして吹くことを知るための練習です。肝心なのは、自由に動けること。
デストライアングルといって、首の後ろ、両手が、フルートを吹こうとすると、固まって動かなくなりやすい。それを解消するために、両手をフルートをもって、頭の上に上げてから、口の前に持ってきたり、首を左右に振りながら吹いてみたり。いろんなことをして見せてくれました。
こんな言い方もしていました。口は小さく、身体の空気がフルートと出会う。
歯と歯のあいだにも空気が通る。
魚のように口をパクパクさせる。力が入っていない。
fは、空気を軽くして吹き、力を抜き、開放し、pは身体の支えが必要。
fとpを吹けるフルーティストはいるけれど、ffとppが吹けるフルーティストは少ない。
どうすればいいのか?
手を叩いて、pp p mp mf f ffとやってみました。
手が痛いです。そのようではなく、ここがプールだとします。mfのプールは、両手を身体の前で構えて、つかみかかるような感じにしてから、手を叩きます。
それから、fのプール。両手を、肩の上にあげてやはりつかみかかるような感じでやってみてから、パン。そして最後、ffのプール。両手を頭の上に高々と上げ、モンスターがつかみかかるようにしてから、パン。ちゃんとffに叩けます。
スタッカートは、できるだけ長い息を吐いているつもりで。
息をたくさん吐いて。低音を吹く時も、下に向かって吹かず、真ん中に向かって吹く。
マスタークラスの後ミニコンサート。
無伴奏 エマニュエル・バッハのAmoll
福島和夫の冥
アンデルセン エチュード op15 3
ドビュッシー シリンクス
バッハは歌い。冥は尺八のよう、アンデルセンは早いパッセージを吹きながら、シャンソンのようにテーマが聞こえ、シリンクスは、パーンのよう。
アンコールは、バッハのアルマンド 初めシャンソンかと思いました。
どの曲をやっても、歌う、フルートではなく、あなたの体が歌うのです。と言われいていました。
終演後、私の顔を見て、握手してくれました。
「どこかでお会いしましたか?」
「いえ、ずっと毎回来ているので。」
「あー。ファンでしたか。」と肩を抱いてくれました。
顔覚えてくれたのでした。うれしかった。今夜は眠れない。思いがけずミーハーな私でした。
今日は、島本でセミナー。御幸橋の瀬割り堤の桜がいよいよ咲いてきました。
昨日、帰ってからお腹の具合が悪くなってまずいなあと思っていると、38度、熱が出てきました。
父の風邪がうつったみたい。
妹が今日は行くというので、今日は通院は休みましたが、以前から約束していたセミナーは抜けられない。薬を飲んででかけました。
体と心は結びついています。
チベット仏教では、妬む心、憎む心を持った時にすでに病んでいるのだといいます。
父に依存し、甘やかされてきた分、自分が提供する側になったのだという変化に、身体がついていかないのだという分析に、なるほどと思います。
父の老いた身体に触り、おむつの世話をしているその時、自分が提供するがわになったのだということを楽しんで、笑えるか?と言われたら、頭では納得しているといいながら、心のそこから楽しんではいない。
怒りや、涙で処理しているうちは、心は、病んでいるといいます。
状況や、情報に、良い、悪い、正義や、不正は無い。
悪い状況だから、ここから良い状況にならないと間違っている。と考えている時点で、自ら病いになる道を選んでいるのです。
価値判断を少し置いておいて、科学的に観察すると、人生は興味深く、味わい深いものになるのかも。
日曜日、共同体感覚のゼミに出ました。
戦時下の人間はみんな病理を抱えています。あらゆる表現は制限され、一つの目標に向かいます。
国民皆徴兵制。というのは、それだけで人を病まわせます。
なぜなら、あらゆる軍隊は人を殺すことを教えるところだからです。
共同体感覚は、人が生まれながらに持っている感覚で、それがなくては人は一瞬たりとも生きていけません。なぜなら、人は、生まれて死ぬまで、人の世話にならずに生きることなど、無理だからです。
人の作ったものを身にまとい、人の作ったものを食べ、人の作ったところに住む。
どんな人も、人の世話にならずに生き残ることはできないのです。
この地球上に生きる人はすべて私の人生に影響を与え合い、赦し、赦されて生きている。
どんな国に生まれ、どんな心情を持ち、どんなバックボーンを持とうとも、一人たりとも、切り捨てていい人間などいません。
平和な時代に、平和な国にたまたま生まれても、誰かを切り捨てたり、仕返ししたくなったりしたら、戦時下の病理を受け継いでいるのです。どんなに美しい振る舞いをしても、心の中で、切り捨てていたとしたら、おなじことです。
子どもたちは、家庭の中でその二つの価値基準で動く親を見て育つのです。
一見仲良くしながら、裏で「アホ、バカ、死ね」という親を見ることの、ひどさ。
平和を実践するのは、人類にとって、簡単ではありません。
キリストやモーゼ、マホメットや、ブッダが修行の末に開いた悟った、宗教は、素晴らしい教義に、信じ、広まったにもかかわらず、何千年経ても、暴力によって敗れてきたのは、宗教を信じるという人は国に多勢いても、ついぞ実践するに至った人が過半数を締めたことはないということを示しています。
あと、何年たったら、何十年たったら、人は愛を実践するようになるのでしょうか?
それをするには、科学的に、自分の心の中を、見つめ、何か人の行為や言動、表現で傷ついたと思ったら、その解釈が自分のどういう信念からくるものか?
そのできごとが、相手をもっと理解し、知恵と知識にかわるところまで、誰かに手伝ってもらいながら、検証しなくてはなりません。
それはほかの誰のためでもなく、自分が平和に健康にいきるためになるのだから。
仕返ししたくなったり、無視したくなったら、それは、病理なのだから、自分を一番初めに傷つけるのだから。