幻想伝説エッセイ

早く船を完成させて、大海原に飛び出したいのよ。

主人公PCの存在

2005-03-12 20:50:44 | エッセイ
ストーリーを描く事とキャラクター描く事は無関係ではありません。
ていうよりもキャラクターをしっかり描かなくてはストーリーというものは作ることができません。
で、このキャラクターを描くという事ですが、漫画や小説や映画というのはキャラクターはひとつの人格として存在するわけですからそのまま迷うことなく作っていけばいいわけですが、RPGの場合だとキャラクターがPCとNPCとにふたつに別れ、どちらを立てるかで漫画や映画とは違った方法論が必要となってきます。
ストーリーを立てるためにはキャラクターを立てる必要がある・・・。
ですがそのために立てるキャラクターがPCの場合、果たしてどうなってしまうのでしょう。
まず言えるのはPCというのは一人の人格ではなく、プレイヤーの数だけ人格があるということです。
ですからキャラクターを立てれば立てるほどプレイヤーの持つPCのイメージとかけ離れてしまう可能性が高くなるのは当然の事なわけです。
つまりここの部分がストーリー性とゲーム制の矛盾が生じてくるわけですね。
以前にRPGにおけるゲーム性とはプレイヤーが役割を演じる気分に浸れる事と書きましたが、明らかに自分の持つPCのイメージと違ってしまったらプレイヤーは興ざめしてしまう事になってしまいます。
特に自分のようにキャラクターの内面を描こうと思っている人間に取ってはなおさらなわけです。

だったらRPGにおいてストーリー性を高めるためにはどうすればいいのかといいますと、それはNPCを立てるということになります。
実際カードワースのシナリオでストーリー性の高いシナリオというのはしっかりと描かれた(悩んだり苦しんだりする)NPCを中心に置き、それに関わるPCという構図がほとんどです。
ただ自分としてはやっぱりPCが壁にぶち当たり、挫折感を味わうようなストーリーを描きたいというのがあるんですよ。
ムアコック作品を読んだ方ならわかると思いますが、主人公のエルリックやコルムなどは己の持つ運命に翻弄され、それこそすすり泣いたり嗚咽をもらしたりするし、ラストではああいったエンディングが待っていたりします。
で、これをNPCでやるのはともかくPCではとてもじゃありませんが出来ません。
といいつつも『雪原の勇者』ではPCが嗚咽をもらす表現を入れてしまいましたが、導入するべきかどうかは最後まで悩みました。
『雪原の勇者』は最終的にはあのような形になりましたが、これでも自分としてはPCのキャラ立てを押さえている方なんですね。
このような感じで自分の描きたいストーリーとキャラクター、それとプレイヤーがシナリオ全体を通してどう感じるか(嗚咽をもらすPCにプレイヤーがしらけないように)のバランスを考えながら作っているわけです。
別な言い方をすれば自分のやりたいこととプレイヤーの要求の妥協点を探しているとも言えるかもしれません。
まあ、この辺りは未だに試行錯誤ですね。