幻想伝説エッセイ

早く船を完成させて、大海原に飛び出したいのよ。

ファンタジーの基礎知識

2005-01-31 22:54:01 | エッセイ
最近はハリー・ポッタ-の影響からか、海外ファンタジーの本がよく出版されていますね。
以前文庫で出ていた『アイスウィンドサーガ』なども新しくハードカバーで出版されましたし、本格的な海外ファンタジーが好きだった自分としては歓迎すべき傾向かもしれませんが、ハードカバーだと値段が高いのでなかなか手が出せないでいます(涙)。

ゲームブックや『ドラゴンクエスト』が登場したころも海外ファンタジーの本は数多く出版されましたが、結果的にオタク的なライトファンタジーという方向に向かってしまい、海外ファンタジーはあっというまに消えていってしまったという印象が残っています。

ムアコック作品は別として、自分がとくに好きだったのがウォーハンマーというTRPGの世界を舞台にした『詩人オルフィーオの物語』という三部作からなる作品だったのですが、これが当時としては滅茶苦茶おもしろく感じまして、同じウォーハンマーを舞台にした作品が翻訳されるのを心待ちにしていたのですが、もうそのころはファンタジーが下火になっていたころで、結局『ドラッケンフェルズ』という作品が翻訳されただけで終わってしまいました。

それらの海外ファンタジーを読むきっかけになったのはファイティング・ファンタジーというゲームブックだったのですが、当時はかなりブームになっていました。
最初に『火吹き山の魔法使い』という作品をやって、その次に出版された『バルサスの要塞』で完璧にはまってしまったのですが、まさか自分がファンタジーにはまるなどとは当時は思ってもみませんでした。
ギリシア神話や北欧神話などはかなり好きだったんですけどね。

その後ゲームブックもファミコンなどのRPGに押されて姿を消してしまうのですが、ファンタジーの世界を堪能するという意味においては小説やゲームブックに比べるとコンピューターRPGだけではなかなか厳しいものがあるのではないかと思います。
もっともファンタジーというのはそれこそ何でもありの世界ですから、知識がなくても作れてしまうというものではあります。
週間少年ジャンプに連載されている漫画のほとんどはファンタジーと呼んでもさしつかえないでしょうし。

何でこんなことを突然書いたのかといいますと、世界設定という項目を作って色々と書いているうちに、今まで経験したファンタジーを元にもっと突っ込んだ設定にしてもいいかもしれないと思ったからです。
自分もそんなに詳しい方ではありませんが、他の作者のシナリオをプレイしていると全然そういった知識がない人の方が圧倒的に多いんじゃないかと思ったりします。
例えば不死系のモンスターでASKのモンスター図鑑にはゾンビ、グール、ワイト、ゴーストなどがいますが、それ以外にもスペクター、ガスト、ファントム、シャドウなどといった存在が少し詳しい人ならすぐに出てくるでしょうし。
まあ、そんなの知らなくても問題ない、今のままで十分と言われればおしまいなんですけどね。

そんなことを考えている内にいっそのことASK設定とは別の背景設定を最初から作った方がいいんじゃないかなどという妄想が浮かんできてしまいました。
D&Dなどでは有名なドラゴンランスの世界の他にフォーゴットン・レムル、グレイホークといった背景世界がありますからね。
ただこういったことは自分一人の問題ではありませんから、簡単な問題ではないのですが。

自信がついたのは一年後 その3

2005-01-30 23:39:38 | エッセイ
自分にとって二作目となるのが『闇を誘う鏡』だったわけですが、これは『蜃気楼の塔』よりもさらにイメージ通りに作れませんでした。
なんといいますか、盛り上がらない自分の心に鞭を打ちながら作ったという感じでして、途中で作るのやめようかと思ったぐらいです。
軽いノリで作り始めたのでもっと真剣に作ればよかったとか、せっかく『蜃気楼の塔』で得た評価を下げるなとか、シナリオ発表の時はけっこう憂鬱でした。

ところがふたを開けてみるや凄くおもしろかったとか、かなり楽しめたというご意見をテストプレイ時にいただきまして、あれえ?という感じでした(笑)。
いや、これはきっと自分を傷つけないようにお世辞を言っているに違いないと思ったりもしたのですが、どうもそうではないようで(笑)。
まあ、自分では不出来だと思っていた作品が一般には凄く受けるという話はよく聞くことなので、今回は自分がそういった経験をしたということなのでしょう。

とにかく言えることは、この頃までは自分のシナリオに対して半信半疑だったということです。
ちょうど振り子のように自信に満ちた状態になったり、自信喪失状態になったりと行ったり来たりでした。
自分が本当に自信が持てたのは『蜃気楼の塔』を発表した一年後に同じく『蜃気楼の塔』をギルド更新した時でした。
この時に二通の感想メールをもらいまして、それにおもしろかったと書いてあったんですね。
それでようやく「ああ、自分のシナリオはおもしろいんだ!」という思いに立つことができました。
そこまで達するのに一年かかってしまいましたけどね。

感想というのは誰でももらえるというものではないと思うんです。
自分もたまたまもらえただけかもしれませんし、現に感想サイトで自分のシナリオを扱っている所は決して多くはないですからね。
自分なんてまだ運が良い方だでしょうし、質の良いシナリオを作っていながら評価をもらえずに撤退していった作者もいるかもしれません。
良いシナリオが良いと評価されてこそカードワースは発展していくわけですから、そういった状況はもはや許されるべきではないでしょう。
そしてそのために何をするべきかということでしょうね。

自信がついたのは一年後 その2

2005-01-25 21:06:35 | エッセイ
前回は少し話が逸れてしまいました。
で、シナリオを作って発表しようと決めたのですが、『蜃気楼の塔』はそれこそまったく自分のイメージ通りにいかなくて、そんな自分に愕然としながら作っていました。
創作活動はかなり大昔に小説を書いたのと、ツクールの前身にあたるDante98というツールでRPGを一本完成させたことがあったのですが、その時はイメージ通りとはいかないまでも普通に作っていたのでかなりショックでした。
原因として考えられるのはブランクがかなりあったことと、当時は心身ともに疲労の極限だった(そんな状態で作るなと突っ込まれそうですが)というのが考えられるのですが、とにかく最後までやろうと思って完成させました。
ですから自分としてはそこそこ評価されればいいやぐらいにしか思ってなかったんですね。

それとは別に自分が非常に気がかりだったのがダークゾーンとアイテムを入手しないと勝てない敵が存在することでした。
こういう仕掛けってそれまでになかったものですから、どんな反応が返ってくるか予想ができなくて恐怖心がギルドに登録されてからいっきに倍増していきまして。
それこそ「あんなイベント入れるんじゃなかったああああああ!!!」とか、しまいには「シナリオ作って発表するなんて大それた真似するんじゃなかったああああああ!!!」てな具合でした。
そんなわけでシナリオ発表当初は本当に最低の心理状態でした。

その時にバグ報告というかたちで感想メールをもらいまして、これが自分に取ってまさに救いのメールとなりましたね。
その方が評価してくれたのはもちろんですが、それ以外にも自分のシナリオを評価してくれているサイトを教えてもらいまして、それで本当に一安心といいますか書かれている評価を見て本当に嬉しかったですね。
もしそのバグがなかったらずっと切ない日々を過ごしていたかもしれません。

ただ自分は疑い深い性格なのか(笑)、本当かなという気持ちもかなりありました。
何せ細かい批判も結構ありましたし、何よりも自分がシナリオの出来にあまり自信がなかったというのがありましたから。
その後も他のサイトで評価されたりしても嬉しさ反面お世辞じゃないだろうかという疑いはずっと自分の中にありました。

思った以上に長くなったのでつづく。

自信がついたのは一年後

2005-01-24 00:10:13 | エッセイ
今まで黙っていましたが(笑)、自分はプレイオンリーの時期が結構長くてカードワースを始めたのは確かASKが今のサイトに移転する少し前だったと思います。
実を言うと名前だけでしたらもっと前から知っていまして、見た瞬間これはおもしろそうだと直感しました。
ただ当時はまだインターネットをやっていなくて、シナリオが追加できないんだったら意味ねーやってことでやらなかったんですね。
雑誌に載っていたのですが、今その雑誌を見てみると本体のバージョンが1.10でした。

それからしばらくして別の雑誌に本体とASKの全シナリオが掲載されているのを見て、その時初めてプレイしてみたのですが、こちらの想像を遥かに上回るおもしろさでこれならお金取ってもいいんじゃないかと思ったぐらいです。
ここまでカードワースが大きくなったのはやはりASKの方々、中でも斎藤洋さんの力というのは本当に計り知れませんね。
今でも自分の中ではNo.1シナリオ作者となっています。

その頃から自分もシナリオを作成したいという気持ちは涌き出てきたりはしていたのですが、実際に作ろうというところまでは行きませんでした。
簡単に理由を書きますと、そんなことをする暇があったら他にすることがあるだろうということですね。
今でも何で自分はこんなことやってるんだろうと思ったりもするのですが(汗)。

ただ移転したその頃からカードワースがおかしくなっていったのかなあと。
名作といわれる作品が途絶えはじめたこと、それとおかしな価値観が蔓延するようになっていったことはあまりサイトを巡回していなかった自分でも感じていました。
その後しばらくして何の因果か自分が参戦するようになりまして(笑)。
もちろん不満はあったわけですよ、当時のカードワースには。

中でも自分が感じていたのは敵が弱すぎること、高レベルシナリオが少ないこと。英雄的なシナリオがこれまた少ないこと、ファンタジーの要素を持った作品が少ないことでした。
また、これらのことは当時の匿名掲示板などですべて否定されていたことでもありました。
そんな状況下で『蜃気楼の塔』ようなシナリオを発表するんですからね(笑)。
当然のことながら批判は覚悟していたわけですが、表面に現れてきたのは戦闘についてぐらいでしたかね。

ちなみに『蜃気楼の塔』発表当初は匿名掲示版の過去ログの存在は知っていたのですが、現行スレッドの存在は知りませんでした。
とある方のサイトから過去ログへはリンクが張ってあったので、そちらへは行ったことがあったのですがそこからは現行スレッドへは行けませんでしたから。
ようやく現行スレッドの存在を知ったのはシナリオ発表から一ヶ月後ぐらいでしたね。
そしたらいきなり戦闘議論が巻き起こっていて驚いてしまいましたけど。

何か前置きが長くなってしまったので次回へつづく。

RPGにおけるゲーム性 その2

2005-01-20 21:55:56 | エッセイ
役割を演じさせる方法ですが、簡単に説明しますとプレイヤーに情報を与え、その情報に基づいてプレイヤーに自主的に行動(アクション)を起こさせ、その行動に対して反応(リアクション)を返すということになります。

たとえば旅行などもそうですが、雑誌を見てとある湖に行きたいと思ったとします。
そして期待に胸を膨らませてその湖に行ったところ、殺風景で何もなかったらがっかりしますよね。
つまり雑誌から情報を得、その湖に向かった(アクション)、その結果は殺風景で期待はずれだった(リアクション)という構図がそこにあるわけです。
人間は当然ながら行動を起こすときは必ずそれに見合うリアクションを求めているわけで、それが得られなかったりすればとてもがっかりするわけですね。

ゲームにおいてもまったく同じでまず情報を張り紙やNPCとの会話などから得ます。
これは正確な情報ではなくはっきりしない情報でも構いませんし、情報を与えなくても構いません。
次にプレイヤーは行動を起こすわけですが、プレイヤーが自主的に行動を起こすようにします。
これは普通に情報を与えればプレイヤーはリアクションを求めて勝手に行動を起こしますが、ストーリーを重視した場合、プレイヤーの感覚とは裏腹に勝手にストーリーが進んでいくといった作りになることがあります。
この辺りはゲーム性とストーリーとのバランスをどこで取るかという問題になってきますが、とりあえず今回は省きます。
また、プレイヤーに自主的に行動させるのに一歩踏み込んだ方法としては、特定の場所や場面で入手アイテムや技能カードをプレイヤーの判断で使わせたり、選択肢を与えてプレイヤーに行動を迫ったりする方法があります。

そして最後にリアクションとなるわけですが、プレイヤーはそれなりのリアクションを期待しているのですからその期待に答える、もしくは良い意味で期待を裏切ってあげなければなりません。
旅行の話で言えば、湖に行ってみたらイメージしていた通りの楽しい場所か、イメージとは違っていたけどそれ以上の楽しみを味わうことができたなら来て良かったと思うでしょう。
ゲームにおけるリアクションは設置されたイベントとなりますが、そのイベントが魅力的であればあるほどそのゲームは楽しいということになります。

今までの内容をまとめますと、RPGにおけるゲーム性とはプレイヤーが役割を演じることであり、そのための方法としてプレイヤーに情報を与え、行動を起こしたプレイヤーにリアクションを返すということになります。
あとはこれをどのように表現するかということでしょう。

最後に繰り返しになりますが、これは人に押しつけるものではありませんので、頭のスミのでも置いていただければと思います。
というわけで終わり。

RPGにおけるゲーム性

2005-01-18 00:00:20 | エッセイ
RPGにおけるゲーム性については『雪原の勇者』のあとがきでも簡単に触れましたが、もう一度あらためて書いてみようかと思います。
最初に断っておきますが、これから書くことはこうでなければならないということではなく、あくまでも自分の目指す方向性ですので、決して違う方向性を否定するものではありませんので、まあ参考程度に受け取っていただけたらと思います。

自分の定義するRPGにおけるゲーム性とはプレイヤーが役割を演じる気分に浸れるということです。
他にあるかといえばありません。
すべてはこの一点に尽きることになります。

ではよく言われるキーコード、ミニゲーム、選択肢、探索システム(虫眼鏡カードをクリックするアレですね)などはどう位置付ければいいのかといいますと、これらはプレイヤーが役割を演じさせるための手段、方法論であって目的そのものではないということになります。
一番わかりやすいのがミニゲームだと思うのですが、ミニゲームはゲームであることは間違いありませんが、RPGそのものではありません。
ですから単純にミニゲームを導入したからといってゲーム性が高まったとは言えないということになります。
これはキーコードや選択肢や探索システム、さらに言えば文章や演出、それに戦闘やダンジョンにしてもまったく同じことが言えます。
そういったすべての要素はプレイヤーが役割を演じる働きを持ったときに初めて意味を持つということです。

では具体的にプレイヤーに役割を演じさせる方法はといいますと、眠いのでまた今度書きます(笑)。

感想を始めるにあたって その3

2005-01-12 20:45:56 | エッセイ
またまた反省文。
前回の内容がプレイオンリーの者の感想は駄目と書いているように見えてしまったかもしれませんが、そんなことはありません。
プレイオンリーの者でもシナリオ作者以上の感想が書ければ文句は言えませんし。

また批評としての感想とは違う意味合いを持つとは思いますが、ただ一言、おもしろかったという感想メールでもシナリオ作者にとっては凄く励みになります。
実際にそういった感想をもらったときに、そのたった一言のためにわざわざメールしてくれたんだあと思いましたからね。

要はカードワースをより良くするためにはどうすればいいか、そのためには何をすべきかというのが大事なわけですから。
それさえ忘れなければ方法論はひとつではないと思います。
現状を考えれば今まで書いた内容が良いとは思いますが。

感想を始めるにあたって その2

2005-01-11 20:34:17 | エッセイ
前回の雑談としての感想については少し堅苦しかったかなと若干反省気味。
基本的な考えは変わりませんが、もう少しアバウトでも良かったかなと。
あまり縛り付けるような事を書くと、せっかくの遊びの世界が窮屈になってしまいますからね。
それにシナリオ作者は誉められるだけでは成長しませんし、批判されることによって逆に火がつくこともありますから。
いずれにしても問題は表の評価システムがしっかりしていない事でしょう。
前にも書きましたがランキングで上位にランクされていれば裏で誹謗中傷されてもどこ吹く風なわけです。

前にテレビでサッカーの試合を見ていた時に解説者が、選手に評価される選手は良い選手である証しみたいなことを言っていました。
カードワースに当てはめるならシナリオ作者に評価されるシナリオ作者は良い作者ということでしょう。
真面目にシナリオを作っている作者は共通の悩みにぶつかることが多いでしょうから、同じ視点で物を測れるということなのかもしれません。
一応、自分もシナリオ作者ですから自分の評価するシナリオというのは良いシナリオといっていいのではないかと(笑)。
もちろんそれがすべてというわけではありませんが、少なくとも誰が書いたかわからないような匿名の感想よりは遥かに信頼できます。
ランキングは無理かもしれませんが、仮に匿名で叩かれたとしてもここの感想で評価されるようなことがあれば自信を持っていいのではないかと思います。

感想を始めるにあたって

2005-01-10 08:00:05 | エッセイ
実際に始めるのはもう少し先になりそうですが、感想を書くにあたって自分なりの心構えを書いてみようかと思います。
カードワースにおける感想はそのままシナリオの評価というものに直結します。
評価というものは公平なものでなければなりませんし、評価基準というものも狭量なものよりは幅広いものであった方が良いわけです。
つまりあいつは嫌いだからあいつのシナリオは評価してやんねーとか、凡作以外は認めねーといった思考の持ち主が評価する側になれば、カードワースは狭く息苦しい世界になってしまうということです。
また評価する側の何気ない一言が将来有望なシナリオ作者を潰してしまうこともあるかもしれません。
その辺りの判断は非常に難しいものがありますが、それだけ評価というものは慎重に行うべきですし、難しいという認識すらない者に評価を下す資格はないと思っています。

感想というとあのシナリオは面白かったとかつまらなかったといった雑談ができないというのはおかしいという意見があります。
実際そういった楽しみ方もカードワースを盛り上げるには必要かもしれません。
ただ現状ではそういったものは厳しいのではないかと思います。
それは先にも書いたとおり、感想は評価に直結すること。
これがプロの作品なら売り上げや発行部数といった別の評価基準がありますから、一方で酷評されたとしても売り上げという事実があるから救われるわけです。
もし雑談としての感想の場を望むのであれば、感想とは別の評価基準を用意しなければなりません。
そういう意味も込めてダウンロードランキングというものを提唱したのですが、ASKや愛護協会が機能停止している現状では厳しいものがありますね。
自分の感想が今後どのような影響力を持つかはわかりませんが、もしかしたら大きな影響力を持つ、いわばひとつの基準となるかもしれません。
そうなっちゃってもいいですか?

ゲームの面白さというのは好みの問題と切り離すことはできません。
どんなに公平といっても基準というのは人それぞれなわけですから、どうしても自分には評価できないシナリオは出てくるかと思います。
これは決してシナリオに問題があるのではありません。
サッカーでも監督の方針に合わなければどんなに優秀な選手でも試合で使われないのと同じことです。
もし自分の感想が基準となるならば、結果的にそういったシナリオを排除するようなことになるかもしれません。
まあ、本当にやってみなければわからないのですが。

今の心境としてはそんなプレッシャーとおもしろいシナリオを紹介できる喜びと両方が同居しているような感じですね。

冒険者は英雄ではない?

2005-01-07 23:13:14 | エッセイ
最近ではあまり見かけなくなりましたが、以前カードワースでよく主張されていた価値観に冒険者は英雄ではないというのがありました。
まあ、同じように主張されている価値観はいくつかありまして、カードワースの戦闘は屑だとか連作物はつまらないだとか地味シナリオこそ正統派だとか作り込み重視だとか、それ以外にも色々とカードワースを覆っている価値観があるわけです。

で、自分のシナリオというのはそういった価値観をことごとくひっくり返す要素を持っておりまして。
先ほど挙げた価値観はいわば権威のようなものを持ち合わせていますので、そういったものにしがみついている連中からすれば自分のシナリオというのは不愉快で邪魔な存在なのではないかと。
ゆえに自分には敵が多いというのは十分自覚がありまして、これは『蜃気楼の塔』を発表する前からわかっていたことですし、批判が巻き起こってくるということも当然のことながら予想の範囲内でした。
もっとも最近までは批判というよりも徹底的に無視される存在でありましたが。

それで今回のテーマである冒険者は英雄かどうかという問題ですが、冒険者=英雄でもなければ冒険者=非英雄でもない、冒険者は文字通り冒険をする者であってそれにどのような性格付けをするかは個人の勝手というのが結論となります。

あえて正統性を問うならば、ASKの公式サイトでレベル11以上の冒険者を後世に英雄として長く語り継がれる存在と明記されているのですから、少なくとも英雄を否定するものではないというのはっきりしています。

ところがカードワース界の一部に英雄というものを否定したがる者がいるようで。
自分はどちらの冒険者がいても一向に構わないと思っているのですが、こういった連中は逆に英雄というものを何とかして排除したいと思っているようですね。
こういった点を見てみますと、少なくとも器の大きさとしては非英雄な冒険者よりも英雄の冒険者の方が大きいと言えるようです。